大垣山岳協会

大博士、反峯、覗 ぶつぶつ記 2021.09.23

点名・反峯

【 個人山行 】 大博士 だいはかせ ( 994.7 Ⅲ△ )、反峯そりみね ( 668.1m Ⅲ△ )、のぞき ( 1009.3 Ⅳ△ ) 鈴木 正昭

 点名「大博士」。なんという奇妙かつ魅惑的な名の三角点である。同名でもある大博士集落から登ろうと計画した。一帯の山域は標高600~1000mの緩やかな斜面。大半はヒノキやスギの人工林だが、手入れ不足のまま人跡消えて忘れ置き去りの風景が続いていた。林道を何度も横断し、道のないやぶの斜面を上り下り3つの三角点を巡った。首尾よく計画は実現したのだが、うら寂しい思いが心奥に残った。

  • 日程:2021年9月23日(木・祝) 
  • 参加者:単独
  • 行程:
    • 自宅5:40⇒中央道⇒中津川IC⇒国道257号⇒県道408号⇒県道72号(蛭川東白川線)⇒市道⇒柏ケ根⇒大博士(岐阜県中津川市蛭川)
    • 駐車地(580m)8:00→8:25主稜線出合→8:55点名反峯(668m△Ⅲ)→9:30林道深山線出合→やぶ斜面とりつき→10:30林道二ッ森線出合→10:55上部林道出合→11:40点名大博士(994m△Ⅲ)11:45→12:55点名覗(1009m△Ⅳ)→1:30上部林道出合→2:20林道二ツ森線出合→2:40林道深山線出合→城跡探索→3:20駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:美濃福岡

 木曽川の末流、柏ケ根川の最奥の大博士集落は昔、10軒程の民家があったが、今は1軒しかない。そのASさんに大博士城跡への道順を伺った。「大博士城」とは中世に武将が造った砦と言われ、堀の石垣などわずかな遺構が現存している、と蛭川村史などに書かれている。公式の発掘などはされていない幻の城址跡である。それが、最初の目標の点名反峯近くに位置するので、現認しよう。

 ASさんの案内でシカ柵を開けて入り古い道跡を上がり南北に延びる尾根(写真①=登り口手前から前方の尾根が目標)を目指す。かつてのマツタケ山境界を示す青・白のビニルテープが張り巡らされた辺りを注意して探すが、何も見つけられず、さらに南下し小さなコブ上に点名反峯を見つけた(写真②)。まばらなヒノキ林の中、眺望は効かないがわずかな日差しが落ちていた。

写真①
写真② 点名・反峯(そりみね)

 尾根を戻り、北上する。掘割り歩道をひとしきり進むと舗装された林道深山線に出た。その直ぐ西でやぶ尾根に取り付き、薄い踏み跡をたどり、林道深山線と二ッ森線の合流点にでた。ここにあるはずの点名深山(800m△Ⅳ)を探す。だが、厚い草藪に阻まれ断念し、二ッ森林道を西へ300mほど進んだ地点で斜面を北側に向け登りだす。等高線が等間隔に並ぶ緩やかな斜面。薄暗いヒノキ人工林内に背の低い灌木が広がる。踏み跡は全くない。やぶは厚くないので快調快適。またもや林道。二ッ森線の支線らしい。砂利道で深くえぐれている部分もあり、完全な廃林道だ。すぐに林道を横断してやぶ斜面を登る。

 標高930m辺りで目が覚めるような美景に出合った(写真③)。ヒノキが消えて、ナラなどの広葉樹の大木が現れ、その下に黄緑のコケを全身に纏った岩がごろごろ敷き並ぶ。木の枝と合わせて黄緑一色の日本庭園のようだ。大きな草もちふにゃふにゃ。変な類推も。しばし見とれる。近くの小さな沢に水が流れていた。太陽光の恵みと沢水の湿りがこの森林生態を作ったのだろう。

写真③

 立ち去りがたさを振り切り歩を進め、小さな岩稜帯を超すと主稜線に出た。全面ヒノキ林の平らな尾根の小高い平地に大博士の標石が突っ立っていた(写真④)。幅数十mもの広い尾根には5.60年生のヒノキの人工林が密生して、日の光は届かない。見晴らしはゼロ。地面には草木一本も生えていない。無間伐、ヒョロヒョロ林の典型のようだ。ある林業専門家は無間伐手入れ不足林では数は少ないが生存競争を勝ち抜いた最高品質の材が期待できるという。見回しても細い弱々しい木々ばかりだった。

写真④ 点名・大博士(だいはかせ)

 ここから東に延びる尾根筋は中津川市蛭川と白川町の市町境界線だ。まだ時間はあるので、その約2㎞先にある点名覗の4等三角点を目指すことにする。過密ヒノキ林内なのでやぶはない。青い頭の市町境界プラ杭を追って軽快に進む。左の白川町側から上がってきた廃林道が尾根上に接した辺りで、距離感がつかめなくなった。もう目的地に近いと錯覚し、付近をうろうろ探す。2.3回無駄なウロウロを繰り返した末に点名・覗に達した(写真⑤)。地図だけが頼りだと、こんな錯誤はよくある。どれくらいの距離を歩いたかを常に把握できないと目標値を逃してしまう。いつも距離感を意識しながら歩く。それを怠りウロウロを繰り返してしまった。

写真⑤ 点名・覗(のぞき)


 下山では薄いやぶの斜面の下りと林道歩きを繰り返して思い通りのコースを降りることができた。未練の残る大博士城探しに再び立ち寄った。またも見つけられずに帰った。ASさんに下山報告がてら、伺うと遺構の石垣は尾根の西側斜面にあるとのこと。東側ばかり探していたのだ。

 下山の長いやぶ下りの途中で幅広の道跡に出合い、随分助かった。ASさんは、昔の木馬道(きんまみち)だという。50年前の高校時代の登山中、丸太を引きずり下る馬と作業人を何度も見た。細い木枝を敷いた急峻な木馬道と馬の姿が目に浮かぶ。この一帯の山林は林業者や里人らが仕事に山菜取りに賑わったのだろう。私の7時間余の山中巡行の間、誰一人とも出会わなかった。

 静寂の森林林野は楽しいけれど、これらの放置された暗闇の人工林が数十年後にどうなるのか。将来の人々にとって、とんでもないお荷物になりそうな気配を感じる。私にとっては“他人事”ではあるが、放っておいてはまずいのではないか。

<ルート図>

<大博士城跡>
大博士集落の西に延びる尾根上にある。わずかな石積み遺構が残るのみ。戦国時代、曽我幸慶という武将が城主だったという説話が蛭川に伝わる。年代や歴史、構造は明らかではない。曲輪跡や堀切地形が見られるそうだが、落ち葉の堆積が広がる自然の山肌としか見えなかった。

発信:9/26

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