大垣山岳協会

伊加土(いかづち) エベスグラ周回記 2020.12.07

伊加土

 14年前に登った美濃の山県と関の市境尾根にある伊加土に再登してきた。さらに尾根続きのエベスグラという高さ20mの岩峰を見届けることができた。ほとんど訪れる人のいない山稜歩きを楽しんできたのだが、山野の寂しい現実を痛感もした。2つの山峰は長く山麓の東洞地区の人々との濃密な歴史や民俗の物語を創ってきたのだろうが、今やそれらが山の彼方に消えつつあるように思う。

伊加土いかづち( 985m △Ⅲ ) エべスグラ 鈴木 正昭

  • 日程:2020年12月07日(月)
  • 参加者:鈴木正昭(単独)
  • 行程:自宅6:00⇒中央道⇒東海北陸道・美濃IC⇒国道156号⇒県道81号⇒関市洞戸市場⇒県道196号(柿野谷合線)⇒東洞集落北辺駐車地(山県市柿野東洞)
    駐車地8:15→8:35林道通行可能最終点→8:40林道終点→8:40日又谷分岐→9:05水田跡→10:10市境尾根出合→11:10伊加土(点名老洞△Ⅲ)11:40→12:50エベスグラ→1:45最低鞍部(760m)→谷降下→3:05林道出合→3:25駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:下洞戸

 2006年12月に登った柿野川の支流、東洞のどんつきにある伊加土登山の記録を読んでいると、無性に再登したくなった。記録につづる悪戦苦闘の記憶は薄れて霧消している。どんな苦労だったのだろうかと。さらにその先の尾根上にあるらしいエベスグラなる岩峰を確かめたかった。

 快晴の朝、東洞集落最北の県道脇空き地に車を止めて東洞谷の沢筋を歩き出す。県道の延長林道の終点を過ぎてすぐに左の日又谷を分ける。辺りを見回して道標類を探すが、何も見当たらない。というのは昔、ここに「右 伊加土 左 日又」と記した小さな板がスギの木にかけてあった。このことは美濃のやぶ山登山のバイブル的な書籍「美濃の山」(大垣山岳協会編)に記載されている。1991年の記録である。それを読んで98年5月に入山した際、私はそれを実見している。でも2006年12 月に伊加土に登った時には失われていた。

 この掲示板の記載は山名論議を引き起こす。前記の「美濃の山」には標高985m峰を東洞の住民から聞いた山名として「アナノコ」を採用している。私もそれを信じていたが、16年に登った際、地元の2人にアナノコは集落の東側の北山(907m)の東麓にあった昔の萱場の呼称であり、985m峰は「伊加土」だと教えられた。つまり板の掲示文の「右 伊加土」は右側の東洞谷本流を行けば伊加土という山に達する、との判断だろう。「左 日又」は今でも谷の名に生きている。私はそれを信じて伊加土の山名を以後採用している。

 分岐点を右に進み、小さな尾根の背に続く踏み跡を登る。わずかな笹やぶを突っ切ると古い石積み数段の水田跡が現れる(写真①)。標高560mほど。大正年間の飢饉の際に開墾された農業遺産的な遺構である。ここから山頂に向う尾根を直進する。薄い踏み跡は獣道となり、すぐ消えた。テープ類も全くない。ササは薄く斜度は次第に増すが、まばらな小木をつかみながら、想定通りのタイムで山県・関の市境尾根に上がれた。後は東へ100mほどで山頂のはずだ。楽勝かとゆるんだ気分はすぐに吹っ飛んだ。

写真① 水田跡

 歩き出すと背丈以上のネマガリダケの厚い層。茎の太さはさほどではないが、すべて上から下方に寝込んでいる。緩い斜面ではあるが、風や重力のせいで、そうなるのであろう。そこへ身体を突っ込む形である。足が抜けて前進すると、首など上半身に2,3本の茎が巻き付き前進を阻む。コースを変えても薄い層は見当たらない。やっと傾斜は消えて平坦となり、やがてササが切り払われた5m四方の山頂。真ん中に黒ずんだ三角点の点石が立っていた(写真②)。

写真② 三角点 点名・老洞 △Ⅲ

 距離100mで1時間を要した。時速100m。あ~ぁ、年老いて足なえたもんだなあと。帰宅後、06年の記録を読むとほぼ同タイム。喜んでいいのでしょうか。

 山頂周りはササやぶで眺望なし。下山では市境尾根の南東にあるというエベスグラを経ることにした。情報皆無の区間でもあり難場遭遇の可能性はあるが、時間的には許容範囲だろう。ササやぶも下りでは上に乗って滑り落ちる格好だから楽なはず。山頂から間もなく尾根分岐で一度ミスしたが、気づきすぐ復帰。下りのササ漕ぎは楽だったし、ササの密度の低かった。

 小さな鞍部を過ぎて登り返した先で巨大な四角形の石柱が西側に見えた(写真③)。尾根に背持たれし、頭が尾根より5mほど飛び出している。頭には尾根から登れない。その足元は見えないが、高さ20m以上だろう。そのすぐ10mほど南にも大きな石柱が立っていて、尾根筋に接しているが、頭に上がれず足元や全体の姿は見えない。いずれにせよこれらがエベスグラに違いない。

写真③ 四角形の石柱

 エベスグラの位置や名称について明確な根拠は知り得ていなかった。唯一の記録は前出「美濃の山」の山行地図に名称が記載されている。伊加土(985m峰)の約500m西側の尾根上に記されている。2006年の山行時に山情報をいただいたお二人はその記載は間違っていて、伊加土の南東尾根に露出している2つの岩壁のことを言うのが正しいと教えてくれた。その岩壁は東洞の南部の谷あいから見えるそうだ。それらの指摘は私の現地踏査で確認できたと思う。エベスはえびす(恵比須=七福神の一つ)のなまり。グラは蔵(岩壁や岩山の意)でエベスグラは恵比須さまが腰掛けた岩壁だと推察した。

 エベスグラからは心浮き浮きする尾根歩きだった。ササやぶはグンと低くなり、枯葉の積もる尾根筋の薄い獣道を足早に進む。テープや伐木は一切なくて、人々の手の入っていない天然美をめでながら標高760mの最低鞍部に達した。そこには50年ほど前まで養蚕農家が蚕種を保冷貯蔵した風穴と思われる縦穴がポッカリ空いていた。仕事の場であった山域は放置され、野生の姿に戻るのであろうか。鞍部から大きな沢を一気に下った。心配した滝場は一カ所だけ。標高550m辺りで5mほどの枯れ滝。両サイドも切り立ち巻くのは危険。ロープを出して肩がらみの懸垂で下降した。

写真④

 日又谷分岐の少し南で廃林道に出て駐車地に戻ったあと、東洞集落にあるIMさん宅にお邪魔して山の情報をたずねた。元町会議員で95歳の女性。この地で生まれ育ち地域情報に詳しい人と聞いた。伊加土の山名やエベスグラの名は聞いたことがあるが、山をあるいたことはないようで、詳しい謂れは知らないという。「いかづち」は雷のこと。落雷の多い山ではと聞くと、山に雷がおちることは少ないそうだ。

 06年に話しを聞いたお二人の消息を聞くといずれも90代半ばの高齢となり、お会いできない体調だという。東洞集落はかつて数十戸あったが、現住戸数はほんのわずかとなった。当然、地元の人が山に入ることは皆無となった。山野の伝統や民俗の消失は当然の帰結だろうが、それらから教えられる大事な教えや知識を失うのは残念であり、怖いことではないか。完

<ルート図>

発信:12/12

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