大垣山岳協会

池田山山中に不気味な風景? 2019.01.23

池田山

池田山(924m、二等三角点)・点名東足打(860m、四等三角点)登山報告 鈴木正昭

  • 日程:2019年1月23日
  • 参加者:鈴木正(単独)
  • 行程:自宅 6:00⇒名神高速羽島IC⇒揖斐川堤防道路⇒大津谷公園駐車場(岐阜県池田町)8:05→8:15大津谷登山道ゲート(標高130m)→10:05上部林道出合(765m点)→10:30林道池田明神線出合→11:05山道入り口→11:30池田山11:55→12:40点名東足打→1:00林道出合→1:50牧場跡→2:20北東尾根降下→3:10萩ヶ谷出合→3:35林道萩ヶ谷線出合→4:00山麓道路→4:20駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:池野

 雪山山行訓練を兼ねて、二年前の冬に登った池田山に至り、いくらかの変化を付けようと、北尾根を進んでから古い歩道を降りるコースを狙った。好天の早朝、大津谷右岸尾根に4年前に開設された大津谷登山道入り口(写真①)にある金網柵ゲートのカギを開けて入る。

(写真①)大津谷登山道入り口

 ここの獣除け金網は高さ2mほどもある。丁寧すぎるほどの行程看板や赤テープで道迷いする心配はない。今冬は例年にない少雪で、標高470mでやっと、綿切れのような雪が出始めた。

 尾根がどんどん広くなり、積雪も増える。標高にして530mほど上がったピークに出ると、派生林道の突端にでた。積雪は3,40㎝で輪かんの跡が残る。数日前のものだろう。ツボ足で林道を進むと、林道池田明神線に合流する。2年前にも歩いた道だ。ここで輪かんを装着。パラボラアンテナや建物などの施設が散在する林道沿線は雪に覆われた白の世界。人ひとりいない広い林道を進むと、尾根づたいの登山道入り口に初めて見る看板。「諸施設の維持管理協力金として一人200円を受領したい」とある。山林所有者らが昨年6月に建てたものらしい。受領ポストから幾分離れたところから尾根に出た。各地でこのような入山料金を求めるケースを聞くが登山者が納得できる合理的合法的な根拠があるのかどうか、首をかしげたくなる。

 池田山山頂の小さなロッジで熱いコーヒーを飲んで昼食。雲の広がりが消えて青空と日差しの恵みがうれしい(写真②)。

(写真②)池田山山頂の小さなロッジ

足跡の全くない雪面の尾根を北に向う。池田町と垂井町の境界尾根でもあるが、左に右に折れ曲がるので、位置確認に時間が掛かる。東足打の三角点(写真③、四等三角点860.14m)は大きなマツやヒノキの下に頭を出していた。

(写真③)四等三角点 860.14m

 ここで北東に向う町境尾根を下り、間もなく林道に出る。林道をうねうね下ると、地図上で複雑に林道が分岐する地点に達した。ここで、しばし思案逡巡。私が持つ2.5万地図にはここから般若畑と段という集落に降りる波線歩道が載っている。最新版である地理院地図にはこれが削除されている。あちこち見回り探したが、歩道跡は見つからない。標高630mの広い平原が広がり倒壊しそうな廃屋が数軒。不気味な風景(写真④)を見た後、思い切って北東尾根を下った。

(写真④)不気味な風景

 標高500mから斜度40度の間伐材の散らばる急斜面を下り、小振りな沢の河原に降りた。心配した滝は現れず3つの古い砂防堰堤を越えて林道に合流後、山麓道路(東海自然歩道)に出た。「萩ヶ谷林道」の看板があったので、降りた谷は萩ヶ谷であろう。

 ダンプカーも通る山麓道路を歩いて駐車地に戻る途中、山側に平安時代からの名刹、弓削寺(ゆげじ)があった。実は今山行計画中に奥深い歴史を持つ同寺の存在を知った。現在は臨済宗妙心寺派だが、9世紀初頭の開創当初は天台宗寺院だった。伝教大師が安八郡を巡錫した際に池田山に紫雲が漂っているのを見てこの地を訪れると、温泉が噴き出しそこから馬頭観音が顕現した。その観音を祀るため、寺を建てたと伝えられる。天台宗は山岳修験道とも強くつながる。また、池田山への信仰が寺の説話からも感じられる。平安時代以降に弓削寺の裏山から池田山に行者たちが登拝する古道があったかもしれない。それが、かつての地図に載る2本の歩道だったのでないかと思った。おそらく廃道だろうが下山にこの道を通り弓削寺に降りてみようと考えたのだ。

 下山後、弓削寺が境内で経営する日帰り温泉「湯華の郷」に寄る。濃尾平野が見渡せる展望露天風呂で地元の人らしい年配者に話しかけた。それが、なんと寺の住職の沢田恒雄さんだった。伝承を信じて、温泉を掘り当て、6年前に温泉を開業した。だが、氏の話だと、往古に行者が寺を出入りした、あるいは2本の古道が行者道だったことを示す資料はない、とのことだった。

 古道の上にあるあの奇妙な平原について、地元の人たちに聞いた。般若畑のMさんという人が30年ほど前に牛を放牧する牧場を造ったところだという。あの廃屋は牛舎だったのだ。彼は20年以上前に亡くなり廃業となったらしい。その後、牧場の地まで揖斐川町瑞岩寺から登る林道(車道)が通じたが、当時は段などからの歩道を牛を引き連れ上下していたそうだ。あの平坦部は約5haはありそう。飼育頭数は不明だが、高低差約500mを牛も人も歩いて移動した。すごいなあ、立派だなあ。動かず、歩かず、なまける一方の自分も含めた現代人は敬服して頭を下げよと言いたくなる。地元農家のIさんによると今2本の歩道は荒廃し通れないという。(1月25日送信)

<ルート図>

コメント

  1. 松原 二三人 より:

    弓削寺から 林道を使い三角点351.8のある尾根にから取り付いて 牧場を経由して池田山まで行きました。牧場近くは反射板からの古い地図にある林道に出会いました。廃歩道と書かれありますが 牧場付近は林道みたいなのが残っています。古い地図で弓削寺からの北側の破線の道は堰堤で行き止まりでした。堰堤の南側にはピンクのテープが付けられていました。南側の破線は砂防工事の林道でわからなくなっていました。三角点 段 船子 東足打 池田山を見てきました。

  2. 松原 二三人 より:

    点名間違えました 舟子でした。

  3. 松原 二三人 より:

    役場で確認したら 牛道(うしみち)は今でも残っているみたいです。現地で確認したら 林道からの登り口の南側にはお地蔵さんがあって ピンクのテープも付けられていました。ふれあい街道からも登れる様に林道沿いにある フェンスにも扉が付けられていました。今度登ってみます。