大垣山岳協会

一等三角点あれこれ(その3)

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2020年10月(No.467)

一等三角点あれこれ(その3) 清水 克宏

○今西錦司博士について(補足 - 堀 義博)

 先月号で紹介した「一等三角点研究会」は、著名な文化人類学者であり登山家でもあった故今西錦司博士が提唱し昭和49年に設立されている。提唱者の今西博士は戦前から奥美濃の山に登られており、奥美濃はヒマラヤに通じるとその魅力を広く伝えてこられた。昭和34年に大垣山岳協会が設立され、翌年の第1回講演会では今西博士が話をされている。昭和42年には岐阜大の学長として岐阜に来られ、大垣山協とのつながりもより親密になっていく。岐阜大の学長を受けた理由は「岐阜に奥美濃があるから」ということらしい。

 先生は「一等三角点研究会」をはじめ多くの山の会を創られ、全国組織であるそれらの会をつてに全国の山を登られた。そのため全国に「今西信者」がおり、大垣山協にも多くいた。前会長の高木泰夫先生もその一人で、高校の教師時代、授業そっちのけで今西先生と登った山の話ばかりしていた、と当時の教え子から聞いたことがある。

○小括

 一等三角点は展望がその地域有数の山に設置されることが多い。また、三角測量の当初に設置されるものなので、標石は明治までさかのぼるものが多く、測量官の労苦をはじめさまざまな物語を秘めている。一等三角点を尋ねて山巡りをするのも、また一興ではないだろうか。下の画像は新潟県の米山 (993m)にある陸軍参謀本部陸地測量部の測量に先立つ内務省地理局の一等三角点。明治15年設置された日本最古のものである。(2012年6月撮影)

新潟県 米山にある一等三角点

一等三角点あれこれ(その3)
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