大垣山岳協会

山書巡歴 ⑪ 冠山周辺の峠について

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2013年2月(No.375)

山書巡歴 ⑪ 冠山周辺の峠について  

 越前と美濃を結ぶ峠道は古くからいくつもあった。冠山周辺だけでも、西から南条町瀬戸と徳山村塚を結ぶ高倉峠、池田町楢俣と徳山村塚を結ぶ桧尾峠、40年前に開削された自動車道路(岐阜側は林道冠山線)の冠山峠。もう廃道と化した池田町田代と塚を結ぶ冠ヶ峠と、幾つもの峠が両国を結んでいた。

 これらのうち桧尾峠と冠ヶ峠は今日ではほとんど越える人はいない。桧尾峠は毎夏、鯖江の誠照寺の使僧が温見峠から美濃に入国し根尾村や徳山村での巡錫を終えて、帰路に踏み越えた峠だ。峠道は越前側が急峻で、村人が使僧を背負って下った。これを厄介なこととせず、むしろ名誉として進んで一行に加わったそうだ。越前側では今日でも登山道として使われている道である。

 冠ヶ峠は、ヒン谷に流入するシタ谷と中ツ又を分ける尾根上を北上して県境稜線に立った後、西進した冠山山頂の手前にある。私は50年ほど前にこれを目指したが県境稜線に上がるのがやっとで、後は猛烈なヤブに阻まれて逃げ帰った。

 地形図で冠ヶ峠への道を辿ろうとしても、国土地理院の5万図について調べると昭和33年版には点線路があったが、同50年版では消されている。人のみならず路もまた、うたかたの泡のごときものだと嘆ずるほかない。

(高木 泰夫)

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