大垣山岳協会

若い妻の悲しい物語、いや美人妻の恋い騒動か。 点名 嫁振 2020.08.02

点名・嫁振

点名 嫁振(865.3m Ⅲ△) 鈴木正昭

 若い妻の悲しい物語、いや美人妻の恋い騒動か。魅力的な名称にひかれ、懸案であった点名嫁振(よめぶり)に登ってきた。岐阜県の東白川村と白川町の境界尾根上の山である。登頂後、境界尾根を東に進み、途中で南下してもう一つ三角点を極めようと思ったがこれは見事に失敗。想定から随分外れた、難儀な斜面から無名の沢を下った。我が頭脳のGPS機能はこんなものだ。勉強になりました。

  • 日程:2020年8月2日(日)
  • 参加者:鈴木正昭(単独)
  • 行程:自宅6:30⇒尾張パークウェイ⇒国道41号⇒白川口⇒県道62号(下呂白川線)⇒東白川村大沢集落で駐車(標高310m)
    駐車地8:10→大沢林道→8:50尾根取り付き→10:00町村界尾根出合→11:05点名嫁振11:45町村界尾根東進→12:40・871m点→2:25谷筋降下→2:40廃林道出合→3:40棚田跡→4:00集落最上部→4:35駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:神土

 「嫁振」は、地域の人が呼ぶ山名ではない。単なる三角点の点名だが、なぜかその名の由来が知りたかった。白川右岸にある大沢集落外れの小高い丘の大沢林道脇に駐車して歩き出した。林道から伸びる歩道を上がると広々とした墓地。新旧交えて、たくさんの墓石に刻んだ家名を見ると今井姓ばかり。大沢と隣の五加の集落はほとんど全員が今井姓だよ、と軽四で山仕事に行く地元の人が教えてくれた。一村同族の古い型の集落がまだ残っているのだろうか。

 標高約400mで林道から西へ延びる尾根に上がる。3,40年生のヒノキ林に包まれ、薄いササ原の中に薄い踏み跡が伸びていた。

 間もなく、町村界尾根に出て急登が始まる。薄い踏み跡が続く尾根筋には時折古い赤テープが無造作にぶら下がる。先行登山者のものらしいが、山野の自然に無作法ではないか。尾根の背の上数カ所に巨岩が横たわる。割れ目を登ったり、左右を巻いたり、忙しい。大きな卵が立っているような岩(写真①=高さ7mほど)のすぐ先に小広いササ原があり、嫁振が鎮座していた(写真②)

写真①
写真②

 山頂では、ある探索を予定していた。数日前に嫁振についてネット検索で調べたところ、「嫁振」という地名が愛知、岐阜県に数カ所ある、という。羽島市足近町と一宮市萩原町朝宮に、さらに織田信長の出生地と言われる稲沢市平和町の勝幡城跡には嫁振橋があるそうだ。江戸時代にはこの一帯に嫁振新田村があった。次に三角点嫁振の「点の記」を見ると、所在地は「白川町大字下佐見字嫁振」(明治38年選点)とあった。点名は地名でもあった。私のスタート地点の東白川村とは反対側の白川町下佐見にあった昔の小字名だった。また、ヨメフリ(嫁振)はハコヤナギの別名を持つヤマナラシの古称だと「日本の樹木下」(小学館)などにあった。古くは与梅扶利と書いたそうだ。

 実際に白川町には昔の小字に嫁振があった。同町の地名研究家のYY氏の記述では風に揺れてサラサラと葉が鳴るヤマナラシの林があったからの命名だろうという。山頂でそのヤナギ科の木を見届けようと、図鑑片手に周りを探した。ヒノキの壮齢林の中にいずれも小木のミズナラ、カシワ、シロモジが細い幹を見せていたが、ヤナギ類らしい木は見つからなかった。この先難しいコースを歩くという心的重荷のせいか、丁寧な探索をせず、間もなく町村界尾根を東北に進んだ。

 直ぐ先の鞍部には広葉樹の壮齢林があった。それを調べることもせずに、尾根分岐で進路選択に苦労するうちに先へ進んでしまった。しばらく、平坦な尾根筋を行く。薄い踏み跡と時折目に入る両町村の境界票を伝って標高871m点に着く。樹林の下で眺望は皆無だが、涼風が時に吹き抜けて身体の加熱を抑えてくれる。

 しかし、間もなく乱調気味のふらふら歩きとなった。町村界から外れるので、境界標はない。南方に降りる尾根筋は無数にある。細心の注意をして地図を読むのだが、一カ所で間違うと現在位置がつかめなくなる。ある程度こんな状況を覚悟していたので、構わず急斜面をヒノキの木を伝い歩きして下る(写真③)。ただ、危険な岩壁が怖い谷間を避けるため、何度もトラバースする。目指した点名五加(493m Ⅲ△)がある尾根より、西側寄りだとは推測は出来た。やがてなだらかな尾根筋に地図にない廃林道が現れ、標高450m辺りの広い沢に苔むした棚田跡が現れた。今なお堅固な石積みが広い谷間を埋めていた(写真④)。きっと、歩道があるはず。探したが道はなくて、棚から棚を降りながら下る。棚田の下方に大きな砂防ダムがあった。古びたコンクリートの色から数十年前の建設らしい。

写真③
写真④

 ダムを過ぎると、白川茶の茶畑が広がりその先に住家があった。庭先にいた男性に現在位置を聞くと、大沢集落のほぼ中心だという。私が降りてきた棚田の谷は谷としての大沢から東側2本目の谷だという。名前を聞いたが知らないそうだ。

 あれほど大規模な棚田がある谷も下流に砂防ダムができ、スギ林となり廃墟化した。出入りする人も居ないようだ。大沢集落を長年支えてきたであろう棚田が荒れ果て忘れ去られつつある。大切な文化財の喪失は悲しい。

 今井家の墓地団地、ヨメフリの木、そして消えかける棚田石積み。失われつつある先人たちの足跡に貴重な教訓が隠されているように思えた。コースを外す山行はほめられることではないが、意外な収穫に出合うこともある。 完

<ルート図>

発信8/7

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