大垣山岳協会

点名 小母倉(おぼくら)(1182mⅢ△)と川浦(かおれ)ダム報告 2020.04.03

点名・小母倉

点名 小母倉おぼくら(1182mⅢ△)と川浦かおれダム報告 鈴木正昭

岐阜県根尾大須はかつて奥美濃最奥の原生自然の地として知られていた。25年前に、巨大な揚水発電所が稼働して人と自然は一転変貌した。今さらではあるが、山中奥深い地にある発電ダムを見てみたい。原生と人工物は四半世紀たって、どう協調あるいは反発、確執しているのか。山中のダム周辺を見届けよう。ついでに、ダムサイトからすぐの小母倉に登ろう。

  • 日程:2020年4月3日(金)
  • 参加者:鈴木正(単独)
  • 行程:自宅6:00⇒東海環状道⇒美濃IC⇒県道94号⇒国道418号⇒尾並坂峠⇒県道256号⇒本巣市根尾上大須駐車地8:20
    駐車地(410m)8:40→9:25点名大須(567m Ⅲ△)→10:00・705m峰→11:30発電所管理道出合(標高980m)→12:10尾根取り付き→12:50小母倉→13:25管理道出合→2号・3号トンネル→13:50川浦ダム堰堤→14:45管理道から降下開始→16:05駐車地
1 管理道から見た能郷白山(中央)、その左側は前山

 根尾東谷川源流部には左門岳、明神山、ドウの天井といった奥美濃の秘峰が並ぶ。私はそれらに複数回登っている。しかし、3山の南側に広がる標高約1100mの高原にある川浦ダムはまだ見たことはない。1994年7月に竣工したダムは中電奥美濃発電所の上池ダム。このダムから485m下にある下池ダム、上大須ダムに放水し発電、需要量の少ない夜間に下池ダムの水を上池ダムに汲み上げる揚水式発電所である。

 1995年の発電所稼働以来、上大須ダムには登山途中に何度も立ち寄った。いつか、その約500m上の川浦ダム一帯の人工の風景を一度見たいものだと思っていた。

 根尾上大須の集落は廻り谷の分岐点にある。古びた6,7戸の家は無人で、集落跡といってよい。その裏手から広い尾根に取り付く。踏み跡のないヒノキ林の中のふわふわの落ち葉の上を踏みしめ登る。やがてプラスチック階段が現れた。送電鉄塔の巡視路だ。すぐに鉄塔が現れてその先に「大須」の三角点が杉木立の縁に座っていた。

 廻り谷右岸尾根は途中で右に大きく曲がり、やがて下草刈りの作業跡を踏みしめて高度を上げる。標高900m辺りで作業跡は終わり、やぶと岩混じりの急斜面を登り切ると、上大須ダムからの立派な管理道に出た。舗装路の前方に目指す小母倉の姿(写真2)。ただの小山に過ぎない平凡な山容である。と、その時明るい黄色の小動物が眼前の路面を横切り、左側の斜度70度ものコンクリートのり面を猛スピードで駆け上がって消えた。あわててカメラを向けた(写真3=不鮮明の段、お許しを)。ニホンテンかニホンイタチであろうか。

2 舗装路の前方に目指す小母倉の姿
3 ニホンテンかニホンイタチであろうか。

 管理道を進み、間もなく青々として湖面を広げる川浦ダムの西端に着くと、広い空地があった。ここから延びる尾根の先に小母倉が待つ。尾根上には踏み跡があり、古い看板やプラゴミが散らばる。かつて遊歩道や散策道があったらしい。標高1100m辺りから猛烈な斜度となり、太くて古い麻ロープが張ってある。ロープの安全を確かめながらやぶを跨ぎ、綱渡りの連続。三角点は平らな切り開き地にあった(写真4)。木枝に阻まれ眺望はほとんどなし。発電所稼働当初にできた一般向けの遊歩道的施設もその後の維持管理は忘れ去られ消えようとしている。寂しくもあるが、自然に戻りつつある姿は納得できる面もある。

4 三角点 点名小母倉

 往路を戻り管理道に出たあと、ダムを見学させてもらう。西に向うと、第2トンネル(約150m)、すぐ先に第3トンネル(約200m)。真っ暗闇の中をヘッドライトを付けて進む。暗闇を出ると、右に板取川の上流、西ケ洞の分岐谷、コゼイ洞の谷底が約100m下に見えた(写真5)。

5 コゼイ洞の谷底

 ダム堰堤からは、やや水位を下げて波紋一つない静かな湖面を広げていた(写真6)。昼のこの時間、下池ダムに放水発電した後なのだろうか。堰堤は長さ340mもあり、管理道はその先に延びている。行ってみたかったが、時間の制約もあり、引き返した。誰一人いない管理道を戻り、第2トンネルを出た所で下から中電のライトバンが来た。ちょっと緊張したが、若い男性社員氏に登山行動中だと説明。彼は川浦ダムの管理所に行く途中だという。元は常駐者がいたが、今は無線で遠隔操作しているので、定期的な確認業務だけだそうだ。

6 川浦ダム湖

 管理道をてくてく歩き出すと前方に能郷白山(1617m)の巨大な峰が現れた。例年にない少雪まだら模様の姿には痛々しい思いもする。それでもダムサイトを散策して生じたモヤモヤ感がその姿を見て晴れ晴れした気持ちになれた。脇侍役の磯倉は前山の陰になり見えなかった。往路を戻った下山は、丁寧に付けて来た目印テープのお陰でわずかな時間で済んだ。

 川浦ダムと長大なその管理道を眺め、最初は年月により自然になじんできた印象を感じた。しかし、トンネルを出てから右手、100m下のコゼイ洞の谷底をのぞいた時、思考が別の方向に進んだ。河床近くからモミ・ツガ類の巨木やブナの大木が立ち上がってきていた。管理道から手の届きそうな木立の樹頭がいくつも並んで見えた。ダムができる以前、沢登りの達人たちが、西ケ洞からこのコゼイ洞の谷筋を遡行して今ダムの底にある渓谷に達したのであろう。そこは原生不伐の樹林が広がっていた。今、コゼイ洞はダム堰堤により切断され、樹林はダムの底に沈み、管理道が縦横に走っている。

 揚水式発電所は私たちの生活向上に必要な役割を果たした。ただ、科学技術の進歩により不要になる日も来るだろう。2,30年もたてば、無用物つまり巨大なゴミ廃棄物となるだろう。時の経過がうまく自然の中に隠してくれるだろうか。子や孫の時代だろうが、気になるんです。完

<揚水式発電所>
中電奥美濃発電所は最大出力150万kw。稼働開始時では日本最大だった。今は3位。揚水式は夜間での出力量を調整しにくい原発の余剰電力を使って夜間揚水するという設置理由があった。夜間蓄電池の役割である。近年その役割に異変が生じた。爆発的な太陽光発電量の増大である。昼間に発電するので、揚水式の出る幕を奪ってしまうケースが出てきた。しかし太陽光発電は曇りの日に弱いので揚水式が活躍する場もある。また、奥美濃のように巨大な揚水式より、小型の施設が有利となる面もある。既存の揚水式の新しい活用法が求められている。

<ルート図> (1/2.5万図・下大須)

発信:4/8

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