月報「わっぱ」 2023年7月(No.500)
【 週日山行 】 平木山 ( 544.4m Ⅲ△ )・御殿山 ( 559m △なし ) SM
- 日程:2023年14日(水)(雨のち曇り)
- 参加者:L.SM、IY、KM、TS、FT、MK
- 行程:中之江駐車場7:00=東海北陸道美濃IC=国道156号=県道80号=中廿屋公民館(S合流)=白山神社鳥居・登山口8:50~9:10-主稜線出合9:40-平木山10:20-御殿山11:20-点名宮洞へ出発11:30-途中で引き返し11:55-御殿山から下山開始13:05-登山口13:30=大垣(解散)
- 地理院地図 2.5万図:上麻生(飯田15-4)
[平木山:北緯35°33′/東経137°04′][御殿山:北緯35°33′/東経137°03′]
雨季の真っ最中のことだ。全員雨合羽上下を付けて、白山神社の鳥居をくぐって朽ちた階段を登り始めた。小雨の降る中、すぐ先左側に「一千座護摩供養塔」の石塔。隣に「文久三年五月 立山相真坊」(1862年)とある。修験者の千座登拝記念なのだろうか。その直ぐ先で、平木山に向かう道に入る。マツの大木の下に広葉樹の低木がぎっしり立ち上がる。見通しはきかず、飛び出す木枝がうるさいが道筋は明瞭だ。
標高差約150m上がり、主稜上の峠に出た。石のお地蔵様が立つ。「享和元年十二月 加淵間見」とある。1801年のことだ。この峠から七宗町側の間見峠につながる歩道があったのか。薄い踏み跡が北側に下っているようだ。主稜線上の道は明確であり、予報通り雨も止み、雨具を脱いで時折吹く冷ややかな風。樹林の繁茂で眺望は効かない。白い小さなツボ型の花が枝葉の下にぶら下がる。ネジキ(ツツジ科)の満開期に巡り合えた。
小さな峰を二つ超えてヒノキの大木が並ぶ平木山山頂に達した。薄暗い山頂からは眺望はゼロ。小さな山名板が立木に結んであった。間もなく、往路の尾根筋を引き返す。北側の七宗町側の斜面は全面的なヒノキの人工林。間伐などの手入れ不足らしく、下層植生の薄い暗やみ林である。
途中で右足ふくらはぎに痒みを感じる。ソックスをめくると、黒い血だまりが一つ。ヤマビルのお出まし。実は少し前にも右手首をかまれていた。ずっと先頭を歩いていたせいかな。でも、普通はかまれるのは先頭ではなく、2番目以降の人だという。だが、他のメンバーに被害なし。なぜ私だけがヒル君に好かれたのかな。
往路の尾根出合付近でやや手間取った時もあったが、予定通り主尾根を西行して小さな白山神社の祠が立つ御殿山に着いた。
ここから先、宮洞までは岩稜交じりの急斜面が多いので大事をとり、IさんとKさんのお二人はここで待機してもらい、4人で岩稜を越えて554mピークに達した。だが、幅の広い尾根筋で方角を誤り、南西の枝尾根を下りてしまった。僅かな赤布と地籍調査の杭を伝ったのだが、間もなくミスを確認し引き返した。時間的な余裕はまだあったが、二人の待機組のことも考えて御殿山に戻った。
伝説によると、遠い昔に加賀の白山から美しいお姫様が白雲に乗り、2匹の大蛇をおともにして飛来、山頂部にきれいな館を造り、里人の幸せを祈り尽くした、という。ただ、神社の規模や経過についての説明はない。この山の一帯にはこの伝説に関した涼み岩、猿の岩、口蛇淵、奥蛇渕など幾つかの地名が残されている。ただし、登山道周辺にはないので視認は難しい。
一方、かつてこの山域には白山修験者や里人の信仰者が足繁く入山していたことは確かだ。折を見て、その実態を地元の人たちにお聞きしたいと思う。
御殿山山頂下の古い休憩舎に座り、みんなで昼食をとった後、急な登山道を下り登山口の鳥居をくぐった。
註:554mピークから誤って降りたコースは薮と岩の難コース。少ないが歩いた記録がある。「うつぬけの岩」「行者の雲見坂」など説話上の地が途中にある。昔の行者道らしい。
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