月報「わっぱ」 2017年4月(No.425)
山上の霊地・御輿宿りを探る
当会の小白山山行の模様を聞いて、私は5年前にほぼ同じコースを歩いた単独山行のことを思い出した。特に遠い昔、石徹白の中居神社の祭礼時に御輿が登って来て神楽を奉納した地、「御輿宿り」がコース上の山中にあったという伝承のことが忘れられない(地図参照)。
神社から約400m上がった福井県境の尾根の上で白く輝く白山(別山 白山本峰は見えない)を遙拝したという村人の労苦を厭わぬ厚い信仰に驚いたものだ。だが、問題は事実の確証と位置の確定が出きていないことだ。現在7月の祭礼では御輿は神社近くの「お旅所」に行き神楽を奉納しているが、昔、お旅所は山上の御輿宿りにあり、洪水により小白山谷を流れ落ち、中居神社まで移動したという。しかし、御輿宿りがどこにあったのかを示す古文書は残っていない。
白山信仰の研究者、上村俊邦さんら石徹白の人たちが想定する御輿宿りの位置は三角点杉山から県境上を600mほど北西にあるなだらかな鞍部(写真①=2012年4月19日撮影)。
5,60年前まで、ここまで中居神社側から堅固な歩道があった。山林の管理や農業用採草などに往復する道だった。そこには石積みと巨大なスギの切り株があり、水の流れる沢が通っていたという。上村さんら有志は5,6年前に現地踏査を試みた。捜索を阻む雪が消えた6月のこと。以前の歩道は完全にやぶでふさがり消失。苦労して県境鞍部に達したが、地面は木枝に覆われ、遺構などは見つからなかった。私も5年前の山行の際、その鞍部を探したがまだ積雪が多くて、手がかりつかめなかった。
有志の一人、石徹白隼人さんは「近年、地域の古い民俗歴史を保存しようという機運が強まっているので、御輿宿りの踏査解明に努めたい」と語っていた。
石徹白創業伝記という古文書に、石徹白を開いた伝説上の人物タケヒコは「小白山の奥に居れり」とある。上村さんはゆえに、御輿宿り辺りに住んでいたとみる。タケヒコの3人の息子は石徹白の集落に住み、ムラを治めたという。石徹白人の祖先は「山の民」だったのだろう。御輿宿りから小白山への県境尾根は石徹白の人々の聖地だったと言えそうだ。その思いが今後に継承されることを願いたい。(石徹白住民にとって「小白山」とは北峰のこと。南峰は三面(みつら)山と呼び、「陰山(かげやま)」であった。
(鈴木 正昭)
コメント