月報「わっぱ」 2015年11月(No.408)
【 一般山行 】 蝿帽子嶺 ( 1037.3m Ⅲ△ ) 後藤 正雄
- 日程:2015年10月18日(日)
- 参加者:L.丹生統、ほか11名
- 行程:大垣6:00=樽見駅駐車場6:50=コワタビ谷出合駐車地7:30~45-根尾西谷川渡渉8:00-蝿帽子峠・登山道分岐10:10-蠅帽子嶺10:35~11:10-蠅帽子峠12:10-峠・登山道分岐12:45-駐車地14:40=樽見駅=大垣
- 地理院地図 2.5万図:能郷白山
蝿帽子嶺は地理院地図に山名が載っていない山だが、多くの人を引き付ける魅力を持つ。鎌倉期から続く越美国境を越える古道であり、そして幕末元治元年(1864)の武田耕雲斎率いる水戸天狗党浪士による冬の峠越えという歴史場面の地でもある。多くの犠牲を払いつつも信念を貫くためこの峠を越えた。越前まで進むが夢破れて非業の最後を遂げた悲話を聞き、私も実際に歩いてみたいと思っていた。
根尾西谷川の倉見渓谷沿いの国道157号線を北上する。雪の多い旧暦12月に大砲、鉄砲等の武具を携えて水戸天狗勢が難渋した谷道だ。大河原を過ぎ少し進むと登山口を示す小さな看板があらわれ、草原がきれいに刈り払われた駐車地があった。
登山口からすぐ根尾西谷川を渡渉する。登山靴をザックに入れる。沢靴をはき河原を進む。ササやぶは奇麗に苅り払われ渡渉地点には新しいロープが張られていて、持参したロープを使わずにすんだ。晴天続きで川の水量は少なく、難関を簡単に越えた。渡った先に新しい看板で「乳くれ地蔵」とあるお地蔵様が立っていた。昔、幼子が峠を越えることができなくて命を落としたのかと勝手に想像をしてみる。
登山靴に履き替え、山道を登り始める。踏み跡は明瞭だが、道は狭く木枝が張り出して、うっとうしい。ジグザグの急登。風もなく汗が噴き出る。すぐに半袖Tシャツとなったが、やぶ道で腕にひっかき傷を多く作る。今日の反省点の一つとなった。
尾根稜線に上がると、ブナ、ミズナラなどの木々が立ち並び、なだらかな気持ちのよい道。途中、「洞ミズナラ」との標識が掲げられた表皮1枚で生き残る古木に感心する。シロモジの木々も色づいてはいたが、全般的にまだ黄葉には少し早いようだ。
峠では石囲いの中に古びたお地蔵様があり帰りの無事故をお願いした。この先の道はしっかりとしており、途中石組みの道もあり、昔の村人の道普請の労苦がしのばれる。だが、崩落しかけの切り立ったトラバースもあり気が抜けない。往路の道と合流する。途中で往路から外れて尾根の背を行くやぶ道に入ってしまう。
標高908mの標識もあり、こちらが古道の峠道の跡のようだ。やぶが多くて苦労するが、間もなく往路に戻った。蝿帽子峠への道と別れて、やぶの繁る尾根を上がり県境の主稜線に出る。東に向け県境稜線沿いの踏み跡をしばらく進むと山頂である。なんとか全員座れるほどの空地で大休止。南側の視界が開けて、快晴のなか、正面に能郷白山のでかい胴体が横たわっていた。
蝿帽子峠へは、踏み跡は希薄でやぶに邪魔されて右往左往。峠の銘板には「這法師峠・蝿帽子峠」と書かれていた。ちなみに三角点名は「這星」である。峠直前で大阪の7人パーティー、他に単独行2人に出会う。いずれも県外からで、峠道の評判は全国に知られているらしい。
峠では石囲いの中に古びたお地蔵様があり帰りの無事故をお願いした。この先の道はしっかりとしており、途中石組みの道もあり、昔の村人の道普請の労苦がしのばれる。だが、崩落しかけの切り立ったトラバースもあり気が抜けない。往路の道と合流する。途中で往路から外れて尾根の背を行くやぶ道に入ってしまう。標高908mの標識もあり、こちらが古道の峠道の跡のよううだ。やぶが多くて苦労するが、間もなく往路に戻った。
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