【 個人山行 】 蠅帽子嶺 (1037m Ⅲ等△) 丹生統司
元治元年(1864)12月4日から5日にかけて水戸浪士達は大砲10問、鉄砲164挺を担ぎ蝿帽子峠を越えた。一橋慶喜を通じて帝に尊王攘夷を嘆願するためであった。この年はまれにみる暖冬で峠に雪はほとんどなかった。しかし5日の夜明けごろから雪が降りだし白い壁となって視界を遮った。水戸をはじめ関東出身の者が多い隊員たちには、今まで見たことがない密度の濃い降雪であった。隊員の大半は草鞋も履かず布で足先を覆っていただけのようだ。彼等が敬い頼りとした一橋慶喜は保身に汲々で嘆願を握りつぶし関りを避けた。投降した者823人のうち352人が斬首となったが彦根藩から12名が太刀取り(首切り)に志願している。桜田門報復の連鎖である。
(参考文献『天狗争乱』吉村昭)
今回はコワタビ谷と尾根から同時登頂し万歳をした後に鯖江誠照寺の僧や水戸天狗党が越えた峠を訪れ歴史に感傷し触れてみようという計画である。
- 日程:2020年10月31日(土)
- 参加者:
- 沢組 L.平木勤、伊藤正、佐藤大、中田英、吉田千
- 尾根組 L.丹生統、小栗敦、後藤正、清水克、田中恵、藤野一、宮澤健、村田美、山本知
- 行程:尾根組 根尾大河原駐車地標高490m8:05-渡渉完8:25-蠅帽子嶺尾根取付き10:40-県境稜線11:10-蠅帽子嶺山頂11:20~12:05-蠅帽子峠12:45-駐車地15:15
寒い朝であった根尾樽見の国道沿いの温度計は4℃であった。我々尾根組より30分早く大垣を出たコワタビ谷のメンバーは震えているのだろうか。しかし寒い朝は素晴らしい好天と澄んだ空気を連れて来た。青い空に里に先駆け黄色く色づいた県境稜線が映えていた。
蠅帽子へは先ず根尾西谷川の渡渉から始まる。天然の堰状の速い流れと冷たい水、ここでつまずくと車で待機となる。慎重に流れに負けぬよう渡った。写真は清水克氏提供。
渡渉が終わると大きな杉の下に「乳くれ地蔵」が祀られていた。文化〇〇と読み取れた、文化6年(1809)大垣藩が能郷から黒津に新道を開いたのでその時に安置されたのであろうか。蠅帽子峠は鎌倉末期から南北朝頃には美濃と越前を結ぶ間道として利用されていた。
駐車地を出てから標高830m辺りで最初の休憩をした。休憩中もコンパスと地形図で現在地の確認に余念がない。鈴鹿や北アでは先ず地図を見ないコンパスを出さない。が踏み跡が明瞭でない山に来ると自発的に地形図を見る習慣が出来る。GPSはお守りである。
童話に出てきそうなコブコブのブナの木、森の妖精が出てきそうな雰囲気であった。
2015年10月に撮影したミズナラの巨木。そのほとんどが虚になって厚さ6~7㎝の皮1枚で生き長らえており生命力に感動したものだ。今回行きも帰りもつぶさに観察して歩いたが見つからなかった。登山道脇に有ったので見落としはないと思われる。2018年の台風21号で岐阜県は甚大な森林被害を受けたが、このミズナラも抗しきれなかったのか。
今山行の収穫、ヤマブシタケの収穫風景である。大きなミズナラがあり虚が有ったので「マイタケ」がないか周囲を入念に見渡した。FJN氏が虚の中に白い物があるというので覗くとヤマブシタケがあった。
下山後に皆で山分けの予定が欲しい人を募ると誰も手を挙げない。キノコの名が思い出せないが「山のフカヒレ」の珍味であると言っても誰も手を挙げない。見つけたFJN氏も横に手を振る。ITU、SMZが渋々手を挙げた。その夜SMZ氏から「中華風卵スープ」で美味しく頂きましたとメールあり。そうだろうて!中国では宮中料理で有ったそうだ。我が家では八宝菜とみそ汁にも入れて珍味に舌鼓を打った。家内はその30分後に箸をつけた。
キノコ採りに時間を浪費したわけではないが高丸に続き山頂到着はまた沢組に後れをとった。先日は1時間半、今回は30分だから許容範囲にしてもらおう。今回山頂は暖かくて日溜りの待ちぼうけで苦にならなかったようだ。
山頂はシロモジの黄葉が素晴らしく綺麗だった。ナナカマドも周りに有ったのだが葉焼けで黒ずみ紅葉出来ないようだった。日溜りの中で14名の大所帯、賑やかに昼食休憩を楽しんだ。
山頂から雪を乗せた白山が見えた。FJNさんの会社が有る名古屋の高層ビルからも冠雪した白山が見えると言っていた。今年の夏は超がつく猛暑と言われた日がつい先日だったような気がするが。今季は雪が多いとの報道があるが超がつく寒波襲来か。
西隣に奥美濃の盟主能郷白山が一際高い。山容は我々が住む西美濃から見た能郷とは違って見える。蠅帽子嶺の山頂周りのナナカマドの葉が黒茶に縮れて汚い。
蠅帽子嶺から峠へはゆっくりカーブを描いて西へ進む、途中で北の福井側尾根へ迷い込まぬよう注意が必要だ。ところが北に延びる尾根の手前に南へ下りる尾根があった。福井側の尾根を気にするあまり県境稜線を福井側の尾根と勘違い南の支尾根を下ってしまった。稜線下のトラバース道に着いたが峠の「地蔵」がない。最初は何が何やら狐につまされた感であったが。コンパスで冷静に測れば手前で南に下りていた。大所帯になると皆「あなた任せ」でコンパスも地図も見ずについて行くだけだった。お粗末であった。現在地を確認してトラバース道から峠に向かった。凡ミスの恥ずかしさが有ってか峠が遠く感じた。お地蔵さまに会えたらホッとした。
峠のお地蔵さまは周囲の石垣が崩壊寸前で天井石が頭に当たって窮屈そうだ。遅かれ早かれ崩壊は時間の問題と思われた。
峠からの帰路は黄葉の真只中を歩いた。大きなブナとミズナラ、シロモジの黄葉が素晴らしかった。モミジなどの際立つ紅のない黄葉も素晴らしい。
我が会は郷土の山を百選び美濃百山としている。登山時間や登山道の状況、登山者の多少などによってA級30山、B級30山、C級40山に分けそれぞれ完登者は表彰している。毎年新年の総会で昨年の完登者にA級ブロンズ、B級シルバー、C級ゴールド(百山完登)のバッジを贈呈し表彰状を授与している。蠅帽子嶺はC級である。このブログを御覧の貴方も仲間になって一緒に登りませんか。完
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