大垣山岳協会は、1959年7月に創立され、今年60周年となる。既に美濃地方の三等以上の三角点707点の踏査を進めるなど記念の事業を行っているが、本日、約60名以上が出席し、記念講演会、記念式典及び祝賀会を行った。
まず、記念講演会は、元飛騨山岳会会長、前岐阜県山岳連盟会長の木下喜代男様から「笠ヶ岳の歴史」と題してご講演をいただいた。笠ヶ岳は、岐阜県の最高峰であり、山が作る雪形は代掻きの開始を告げる飛騨地方にとって馴染み深い山である。また記録に残る登山の歴史として、地元宗猷寺の住職であった南裔禅師が1783年に登り、その約40年後に播隆上人が登ったことが紹介された。また、上高地を広く紹介したウェストンも笠ヶ岳に登っているが、記録から読み解くと彼が登ったのは抜戸岳であり、ウェストン自身も異教徒である自分が信仰の対象である笠ヶ岳そのものに登ることはできないことを知っていたのではないかとの興味深い話をされた。さらに、自身が笠ヶ岳東面のバリエーションルートの開拓に熱中したことなども聞かせていただいた。
講演会に続き、式典が行われた。
ご来賓としてお越しいただいた大垣市教育委員会教育長の山本譲様から、高山市に在勤していたとき槍ヶ岳に初めて登り、苦しんだ中にも登山の面白さを感じ、その後各地の山に出かけたことなど励ましの心温まるお話しをいただいた。
さらには、長年当協会の会長を務められた井上孝二様、高木泰夫様のご遺族に特別功労賞、シャー・イ・アンジュマン峰初登頂の犬飼進様、川合延雄様に功労賞が授与された。
祝賀会では冒頭に創立以来の会員である山本照彦様が当時25歳の若者として加入したことを元気よく話された。
また、来賓の岐阜県山岳連盟小木曽昭文様から乾杯のご挨拶の中で、今までに登山のブームは3回あったこと。1回目は1956年のマナスル登山の成功、2回目は深田久弥の日本百名山ブーム、3回目が今の山ガールだそうだ。そうすると当協会の創立はマナスル登山の熱の冷めやらぬ中での創立だという思いがけない発見があった。
旧交を温める方、最近登っている山の情報の交換の中、定番の山の歌の合唱と続き、まだ話したりないという雰囲気の中で2時間があっという間に過ぎてしまった。
60周年記念事業は、このあと7月27日と28日、御岳を飛騨側と木曽側から交差縦走する、また残り40%となった三角点踏査が引き続き行われる。
コメント