大垣山岳協会

山中雑記 「回し」という薪材運搬法

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2013年9月(No.382)

「回し」という薪材運搬法

 7月中旬に丹生統司さんと、旧徳山村の門入に入った。思わぬ増水で山野歩きはできなかったが、門入の旧住民、泉末広さん(78)の持つ小屋に泊めてもらった2夜、氏から昔の門入での暮らしについて貴重な体験談をたっぷり聞くことができた。

 特に印象深く思ったのは、「回し」という薪用材の運搬法だった。門入は揖斐川源流の西谷筋の最奥にある集落だった。徳山ダムの出現で消滅した。冬には2m余も積もる豪雪地帯だ。冬を越すには大量の薪が要る。集落の36戸は、広大な面積の地区共有林を持つ地権者であり、薪などの生活材は林内で自由に取ることができた。薪材を取るには集落に近くて比較的なだらかな斜面の林野が適地だ。それが、集落のすぐ北にある牛尾山(690m)の南斜面だった。

 斜面で伐採した長さ最大6、7mの材を集めて大きな木の束をつくる。束といっても、巨大だ。長さ4~6m、直径最大2mもあった。3日ほどかけて束を作り、それを丸太を転がすように、標高差150~200mほどの刈り払った斜面を落とした。難しいのは束の両側を同じ太さにすること。違いが生じるとあらぬ方向に曲がり落ちて、分解する。束を堅く締め付けることも大事だ。束を結わえる素材は当初は天然の藤蔓だったが、後には鉄のワイヤーを使った。巨大な木の束が豪快に斜面を転がり落ちる様は見応えがあったと泉さんは回顧する。

 回しは高度の技術が求められ、36戸の内、できるのは10戸くらいだった。一方、転がる束の下敷きになる事故が時に起きた。泉さんは父から「こつ」を引き継ぎ、中学生時代まで回しをしたが、先輩にも負けないほどの腕前だったという。「回し」は徳山の他の集落では見られない門入独自の技法だった、そうだ。その後、道路事情の発達や架線集材の導入などで技術は消えた。電力も機械技術もなかったころ、頼れる人力と自然を最大限に活用した生活技術の工夫。そこに何か大切なものがあったように思える。

(鈴木正昭)

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