大垣山岳協会

<徳山の森の行方> ⑨ 逃げ腰

TOPICS・随想・コラム

月報「わっぱ」 2012年10月(No.371)

<徳山の森の行方> ⑨ 逃げ腰

 旧徳山村域24500㌶の内、30年前に7つの集落が保有していた共有林は約12400㌶(徳山ダムの記録)もあった。1戸当たりの持ち分(株)が140㌶という集落(塚)もあった。持ち分の権限が特定の有力者に集中することはなく、外部資本への流出も少なかった。人々は均等な持ち分を持ち、集落に所定の代金を払えば焼き畑や樹木の伐採や植林が自由に出来た。江戸時代からの自由でおおらかな入会権が認められていた。文書記録などなくても、人々は互いの植林地を認め合い、不正確な土地登記簿であってもさしたる支障は起こらなかった。古い入会山の制度と慣習が維持されている例として全国でも注目されたが、その「おおらかさ」が公有地化事業難航の背景にあるようだ。

古い制度慣行のもとにある林野を合理的制度による公有地にするには、多くの摩擦や矛盾が生じる。それを解決する方策を見つけるのは行政や事業者の責務であろう。どちらも絡み合った制度や手続きのヤブの中に入ろうとせず逃げ腰の姿勢である。

(鈴木 正昭)


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