大垣山岳協会

美濃百山A/B級完登・夕森山 2023.11.26

夕森山

【 一般山行 】 夕森山 ( 1597.1m Ⅲ等△ 美濃百山B級 ) 中津川市付知町下浦 NT

 美濃百山A/B級完登迄1山を残すのみとなったIY氏、有終の夕森山は谷沿いの道から登り一辺倒で辛い登高となったが木曽桧の美林に癒され仲間に励まされて登頂した。

 88歳の快挙に16名の仲間達は拍手とシャンパンで祝福した。達成の感激を報告する。

<ルート図>
  • 日程:2023年11月26日(日)晴れ
  • 参加者:L.FT、IK、IY、OH、KF、KM、ST、TM、TS、NY、NT、FM、FI、MH、MK、MT、YC、RH(体験)
  • 行程:登山口7:37-夕森山山頂11:35~12:35-登山口16:27
  • 地理院地図2.5万図:加子母

 付知川沿いの県道を走っていると前方に目指す夕森山が、ピラミダルで格好いい山だ。

 我々高齢者組は他のメンバーよりも大垣を1時間早く出発した。山頂手前で一緒になって登頂するのが理想だが旨く行くか?登山口に「熊注意」の看板があり爆竹を鳴らして出発。

 中津川市には夕森山が2ツある。旧川上村の奥三界岳南の夕森山(1621m)を南夕森山、旧加子母村の井出ノ小路山西の夕森山(1597mⅢ等△)を北夕森山と便宜上分けている。

 K女史に先行をお願いしたら張り切ってどんどん行ってしまう。俄然やる気、ストップは意欲低下を招くがこのままでは山頂まで持たない、ブレーキのかけ具合が難しい。

 休憩タイム、腰を下ろして足を投げ出し身体を休ませて欲しい。だが、体調はすこぶるいいようで坐って休めと言われても聞く耳を持たない。ドヤ顔でゆとりを見せている。

 高度感のない橋であるが木材が腐食して隙間が出来ていた。こういうところで足を取られての転倒が一番怖い、慎重に、ストックでバランスをとヒステリックになった自分がいる。

 2度目の休憩、疲れて来たのか腰を下ろして休んでくれた。もう一つの注文で栄養補給と水分補給をお願いしたのだが忘れている。細かく口うるさい自分が嫌いになりそう。

 谷沿いの道から尾根へのトラバースを終えて九十九折の斜面を登っていると下から大勢の話声が聞こえて来た。予定より早い、二人には未だ聞こえていない様子、敢えて無視して登った。だが下からの声はあっという間に近くなって、遅く出た仲間の列に取り込まれた。

 彼等のペースには到底ついて行けない。口惜しいが先行していただいて我々は自分達のペースを崩さない。これが長く山登りを継続していける秘訣である。

 それにつけても背後の木曽桧の美林は疲れを忘れさせる。現中津川市の加子母、付知、川上の旧3ヶ村(岐阜側)を「裏」木曽などという無礼な呼び名は気に食わないが、伊勢神宮や名古屋城、東大寺など日本の歴史建築物、木造文化を支えて来た誇りを幹の一本一本に感じた。

 尾根に上がりきると道の両脇は密度の濃い笹ヤブとなった。奥美濃や鈴鹿は鹿害で笹の退化が進んでいるがそれが全く感じられなかった。

 今朝方車から仰いだ夕森山はピラミダルで登高欲をそそられる山容であった。標高1400m辺りから一気に200mの急傾斜で山頂まで突き上げている。この先の急登でへばるのは目に見えている最後の平地で休憩タイムとなった。それにしてもお似合いのカップルに見えて少々焼きもちも・・・

 笹は根元から15㎝ほどで刈り込まれていた。毎年根気よく整備しないと直ぐに笹薮に戻ってしまう。高齢者には本当に有難い道と感謝し最後の気合を入れて足を持ち上げた。

 笹が切れて柔らかなスゲ類の草地に変わった。疲れで一歩の足が重いが山頂の鉄塔が見えている。仲間達の顔が確認出来る距離になると拍手が起きた、待ちくたびれたはずなのに笑顔でのお迎え、本当に有難いと思った。美濃百山A/B級はあと数歩で終わる。

 美濃百山を最初に登ったのは1994年6月5日の大日ヶ岳である。気が付けば29年の歳月が過ぎている。もっとも最初から百山完登を意識したわけではない。ある年齢に到達した時に目的を持って登山する充実感と歓びを知った。決して長くない登山人生で最高の日となって思わず欣喜雀躍(きんきじゃくやく)するほど高揚し三角点に頬ずりをした。

 Fリーダーが美濃百山完登祝いの為にシャンパンを担ぎ上げてくれていた。小さなカップだが17名の参加者が一斉に御嶽山迄届くほどの大声で完登の乾杯を行った。

 今朝方厚い雲に覆われていた御嶽山、我々が夕森山頂に着く頃にはベールを脱いでいた。山頂部肩付近に薄っすらと雪を載せて夕森山ではしゃぐ山の童を見守っていた。

 I氏は今年に入って体力の著しい低下を感じていると言われた。今日の夕森山も登りで4時間、下山にも4時間近くを費やした。悲しいかな人は誰でも老いて筋力の低下は気力で補いきれない現実が有る。しかし、雨具やヘッドランプ、食料、防寒具等手抜きしてはならない個人装備の入ったザックは自身で担ぎ登った。それが登山のルールであることを承知しているからだ。

 昔日、残雪のある山で日本山岳界の高名な登山家の水先案内をしたことが有る。スキー場は既にシーズンオフで有ったがリフトは特別に掛け合ったのか利用出来た。全ての荷物を取り巻きか教え子と思われる方達が持ち本人はストックのみで時間をかけて登って来た。

 三角点の石柱を感慨深げに撫でており印象的だった。だが、私はこれを登山とは認めない。近代トレーニングや先端栄養学の摂取を取り入れれば登山余命をもっと延ばし変えることは可能と思えるが小山岳会の及ばざる領域である。老いに合わせて山の高さや難易度、スタイルを変えて生涯スポーツである登山を継続していただきたいと願う。

 来年1月の総会においてI氏には美濃百山A/B級完登の記念のバッジ(ブロンズ、シルバー)と表彰状が授与される。

 本日体験参加のR女史には一緒に行動できず入会頂けるか心配したが意志を確認するとOKの返事、仲間が増えて嬉しく思う。大垣山岳協会は「ハイキングからヒマラヤまで」をモットーに岐阜県の山を中心に活動している。「美濃百山」はその一環である。このブログをご覧の貴方も仲間になって一緒に「美濃百山」を目指しませんか。完


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