【 一般山行 】 三国岳 ( 1209m △なし ) 美濃百山C級 【古い資料は三国ヶ岳】
岐阜県揖斐川町川上 NT
10月のヤブ山講習をL.SDの下で岐阜、福井、滋賀の三県に跨る三国岳で行った。前日の雨が長引き心配されたが池ノ又の駐車場に着く頃は雲一つない青空が覗いていた。夜叉ヶ岳迄は踏み跡が明瞭であったが以後は途切れがちな踏み跡を拾いながら赤布目印付けの実践となった。絶えずコンパスの指す進行方向と地形を睨めっこである。登山道を歩く単純登山との違いを頭と足とで実感した一日となった。
- 日程:2023年10月22日(日) 晴れ
- 参加者:L.SD、KF、SM、NY、NT、FT、FI、HT、HM、MY、YC
- 行程:駐車地7:10-池ノ又乗越8:47-夜叉丸9:10-夜叉ヶ岳8:49-三国岳11:33~12:15-夜叉ヶ岳13:41-夜叉ヶ池14:25~44-駐車地16:07
- 地理院地図 2.5万図:美濃川上、広野
駐車場で準備中に集合時間を間違えた1名到着、全員が揃いリーダーより今日の講習計画が述べられ新会員のKTさんの紹介をして出発した。
ブナの梢の間から朝日に照らさられた夜叉壁が黄金色に輝いている、一斉にカメラタイム。
「幽玄の滝」と言うようだ。昨夜の雨が多かったのか、秋の長雨のせいなのか何度か訪れた中で最も水量が多いと感じた。山漆(ハゼかも?)の紅葉が盛りで綺麗だった。
夜叉壁、壁の傍迄行けばおそらくクライマーの残したハーケンが1本や2本発見出来るだろう。ゲレンデとして定着していないのは見た目ほどでは無いのか、麓から遠いからか、
坂内村史によれば夜叉ヶ池は大垣藩の絵図に記載され、夜叉龍神を雨乞いや治水の神として祀り庇護した。藩主の代参では紅や白粉などの化粧品を土盃に入れ池に浮かべて夜叉姫に供えたそうだ。その歴史経緯から明治8年岐阜、福井両県立ち合いのもとで夜叉ヶ池は岐阜県と定め明治13年公式地図にも記載された。ところが明治42年陸軍陸地測量部が地形図作成の折りに池の東に県境線を引いてしまった。陸地測量部の凡ミスなのだが当時の世相を鑑みれば軍に逆らうことなど出来るはずもなく以来福井県となったようである。
池は帰りに見学するとして色付き始めた県境稜線を先ずは夜叉丸1212mを目指す。
明治42年6月大垣青年会のメンバーが川上村の住人に案内されて夜叉ヶ岳、三国ヶ岳、地蔵ヶ岳を目指した。だが50回に及ぶ渡渉で意気消沈、他の2山の登頂を諦め夜叉ヶ岳のみに絞った。大樽尾谷出合左岸から1206mの峰へ北西に突き上げる尾根にルートを取り夜叉ヶ岳に登頂、夜叉ヶ池では紅や白粉等7種の化粧品を夜叉姫に供えている。この記録から現代「夜叉丸」の山名板の有る1212mの最高点が夜叉ヶ岳かもしれない?
夜叉丸山頂で赤布目印のポイントの説明をするSリーダー、目印は下山の為で帰りに発見しやすい位置で且つ支尾根分岐で明確に判別が出来る様に説明。此処でストックなど藪漕ぎで邪魔になるものを一ヶ所にまとめてデポし三国岳を目指した。(写真はHM提供)
大樽尾谷出合から北西に突き上げたピーク1206mに掛けてある「夜叉姫ヶ岳」の山名板、もう1本の木には「夜叉ヶ池山」の山名板が括られていた。どっちが正解だ。山名等の命名は地元の公的な組織に限るべきで功名での勝手な個人行為は慎んで欲しい。奥美濃を自然のまま残していただきたい。明治42年の記録では大樽尾谷出合から尾根を登り夜叉ヶ岳へ登頂、夜叉ヶ池へ行っている。今報告では仮にこの峰を夜叉ヶ岳とする。
本格藪漕ぎが始まったがソコソコ踏み跡が有り案外早く片付きそうだと楽観した。2013年6月に左千方から藪漕ぎした時の記憶が激藪のイメージで残っていたが嬉しい誤算だ。
括り付けた赤布の点が直線状になるように配置すれば帰りの発見が容易で下山時間が短縮できる。しかし株立ちの木や倒木、蔓等が障害となり止む無く右に左に、背丈を越える藪の中で千鳥足、ちっとも距離を稼げず楽観は何処かへ消えた。
より高く、より目立つように赤布付けは長身者のFさんお任せになってしまう。ヤブ山も雪山も尾根芯を出来る限り外さぬように歩く、少しでも高い目線での歩行は支尾根の見落としを防ぐ。それから自分達で使用した赤布は必ず回収して山に残さないようにする。
結構な時間を費やし汗ビショで藪を掻き分けて来たが振り返ると未だどれほども距離を稼いでいない。出発時の楽観論は既に何処かへ消えて「甘くない」が合言葉となった。
藪の中で見つけたご馳走、白色キクラゲと思ったが「ハナビラニカワタケ」と思われる。当然採取して持ち帰り塩水で洗って汚れを除去、沸騰湯で湯通ししてポン酢で食した。ゼラチン質のキノコがツルーと喉越し最高!癖がなく美味しい。妻は警戒して私が喫食して1時間後にしか箸をつけないと宣言、なら嫁に食わすのがもったいなく全部一人でいただいた。
藪の中でクロモジの木と思われる紅葉を見つけて心が和む、クロモジの幹は香りが良い。山漆は綺麗だが「かぶれ」が心配で近づかない。ナナカマドの紅葉は山漆以上なのだが、今日尾根で見る葉は焼けて先が黒く焦げたようで汚かった。(写真はHT提供)
三国岳山頂着。入会2回で美濃百山C級を2山ゲットのKさん、足腰がしっかりしてリーダーの後ろから離れず完登した。彼女の背後は高丸、重なるように烏帽子岳、その後ろに能郷白山、右中央のピラミッドの山は蕎麦粒山で右に黒津山、天狗山、小津権現山であろう。
山頂で記念写真。2013年の写真と比較すると笹の丈が半分ほどに退化して広場になっていた。三国岳は昭和42年の地形図には「三国ヶ岳」と記載され『続岐阜百山』等古い書籍は全て踏襲されている。国土地理院が三国岳に山名を変更したのは理由があるのだろう。
下写真は2013年6月30日、左千方(1196,79m三等△)山頂の1枚である。6名で大樽尾谷から左千方~三国岳~夜叉丸~夜叉ヶ池へ周回した。左千方から夜叉丸まで辛い藪漕ぎだったと記憶していたが池ノ又駐車場へは15時10分に下りている。皆まだ馬力があったのだ。終始トップで藪を漕いだSチャンのスネが赤くミミズ腫れになっていたのを思い出した。次週の赤兎は彼の「追悼登山」だが10年前に辿ったルートで一週早く偲んだ。
使用した赤布を回収して順調に下山して来たが夜叉丸1212ⅿまで帰って唖然とした。藪漕ぎで邪魔になるストック他のデポをしていたが荒らされていた。私は藪の中で紛失しても惜しくない古い安物を持参していたが価値の低いものは残され一見して高価な2本組セットが持ち去られていた。穂高など有名山岳で不届き者の仕業による留守のテント被害事件を聞いたことは有るが奥美濃の山にも犯罪の登山者がいたとは大ショックである。此処にデポしようとの言い出しっぺとして大変申し訳ないと思った。
GPSの普及は山登りをハイキング化し登山人口を増やしたが犯罪者に迄門戸を広げてしまった。昭和の山岳会で厳しく律し育てられた身には信じがたい光景だった。
リーダーが池ノ又乗越しで長めの休憩を告げると夜叉ヶ池を訪問したことのないメンバーは木道へ下りていった。岩に腰を下ろして傾いた陽射しを浴びて待ち時間を過ごした。いつもなら今日の成果に軽口も出るのだが事件のショックで口数も少なく無為な時間となってしまった。(写真はHT提供)完
コメント