大垣山岳協会

山考雑記 やぶ道の安泰を願う 三尾山 2023.10.14

三尾山(サンノーの高)

【 個人山行 】 三尾山 ( 1106m Ⅱ△ ) SM

 岐阜県山県市と関市板取の境界尾根にそびえる三尾山(1106m Ⅱ△)に三度目の登頂を果たした。緩やかな尾根筋に昔からの山仕事のための歩道が続いている。西側はほぼ全面が人工林、東側は製紙会社有の二次林。部分的に肩まで届くササやぶの歩道。人と山を結ぶ道の行末が心配でならない。

  • 日程:2023年10月14日(土)
  • 参加者:SM、山友2人同行
  • 行程:自宅5:10⇒国道41号⇒東海環状道美濃加茂IC⇒美濃IC⇒国道156号⇒県道81号⇒7:00国道256号・ラステンほらど(全員合流)⇒県道196号⇒柿野川沿い林道⇒林道西洞納谷線奥駐車地(標高約550m)
    駐車地8:00→8:20戸立岩→9:10・電源開発74番送電鉄塔→9:50市境尾根出合(980m)→10:10三尾地区コース合流→11:05三尾山11:45→12:50市境尾根離脱→1:10・74番鉄塔→2:30駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:下洞戸・上ケ瀬

 3日前にAさんに誘われ、さらに私がBさんを誘い、慌ただしい山行となった。登山口は山県市柿野地区の西洞谷最奥地。林道西洞納谷線を離れて300mほど舗装支線林道を進み路側に駐車。出発の前にAさんが持参の爆竹を威勢よくババーンと鳴らした。最近のクマ出没へのささやかな対策。私も手持ちのクマ笛をピーピーと鳴らし警告した。少しの間続いた砂利の作業道と分かれて西洞の谷筋に下りる。薄い踏み跡に僅かな赤テープ。さらに送電鉄塔の巡視路マークを探して進む。谷の右岸斜面を歩いているうちに、右下谷底に巨大な岩稜が二つに縦に割れている景色。どこか見覚えのある光景だった。(写真①)

写真①

 私はごく自然にそこに下りて通り抜けようとした。両岩の間には岩や流木が折り重なり高さ2.5mほどの壁が出来ていた。長い流木の上によじ登り、岩壁にスタンスを得て、乗り超えた。二人は右岸を巻く巡視路を進んできた。ここで西洞が二つに分かれ、左側真北に上がる谷筋を登る。

 しばらくして今山行最大の難場に出合う。岩場交じりの急斜面トラバース。鉄塔巡視路のせいか、太いロープが張ってあり、要所には鉄板が固定してある。足を外すと一大事となる。みんな慎重に丁寧に歩を重ねる。やがて小さな尾根の上に74番送電鉄塔が立ち、そこからは南側にわが居住地に近い鳩吹山や弥勒山の山並みが小さく見えた。

 鉄塔の上から背丈ほどの高さのササが出始める。薄い踏み跡や赤テープを確認しながら、標高100mほど上がると、市境尾根に出た。以後この尾根を真北に登ると三尾山が待っている。ササやぶは時に密度を増すが、さほどのことはない。

 長い尾根の西側はヒノキの人工林がずっと続く。3,40年生の幼齢樹。手入れの良く林内が明るいところ、間伐もせず、薄暗く細い木が密集する林分もある。地元の林業家のものらしい。(写真②=手前から奥に向かって薄い道が延びている)一方、東側斜面の林野は王子製紙の森。丸印の中に「王」の字が入るマークが幾つも見られた。やぶ山歩き中に何度も出合った印だ。こちらはシイ、カシ類などの自然林、二次林ばかりで、アカマツがあちこちに巨体を立ち上げていた。(写真③=赤い木肌はアカマツ=下山途中で)かつてパルプ原材として皆伐した後、材積が回復するのを待っているのかな。

写真②
写真③

 小さな上り下りを繰り返し、三尾地区(廃村)からのコースと出会う。といってもササ原の中に薄い踏み跡が見えるだけだ。ここに御料局の境界石を見つけた。私はこのコースから1998年2月に三尾山に登っている。何一つ覚えがない。

 残すは約高度200m。細い尾根筋だが、ササ原の中。一部切り開いてあるところもあったが、多くは胸高ササを両手で振り払いつつ登る。最後の高度にして50mは頭まで塞がるササのトンネルをくぐって、家一軒ほどの切り開き地に立つ2等三角点に達した。(写真④)三尾山には2016年6月に板取の松谷洞からの沢登り山行も含めて3度目だが、今回は特に長い尾根筋の両側の樹林をたっぷり見ながらの山行だった。ただし、温暖化の影響もあり、樹林の成長度合いは早まる。林内は薄暗くなり、山頂からの眺望は全くなかった。

写真④ 三尾山 2等三角点

 下山では往路を忠実に戻った。市境尾根から西南に曲がる地点でわずかな方向間違いをした。私が往路の際に付けた赤テープの位置が不適切のせいだった。予想時間より早く下山できたのはよかったが、その後に難事を起こしてしまった。駐車地から私の車で細い林道を慎重に下り始めてすぐ、左前輪タイヤがパンク。路上の鋭い岩のかけらを踏んでしまった。ゆっくり西洞廃村の中心部(北山への登山口)まで進み、3人力を合わせて車載のスペアタイヤに付け替えた。

 その時、下流から軽自動車が来た。私より少し若い男性にこの山域のことをお聞きしようと話しかけた。西洞への入口にある関市洞戸地区にあるK木材工業会社の社長さんだった。今から一人で山中に入り、作業用歩道の整備をするのだと言う。同社は父の代から70年続く会社で、所有林での木材育成・伐出、製材、木造家屋建設を業務としているそうだ。この柿野地区に100町歩(100ha)を所有している。車が入れる林道は限られるので、人が通れる幅60㎝の歩道を付ける作業を自分と社員とで続けている。ここで、昨年は2㎞、2年前から延長約4㎞を開設したという。ほとんど手作業だが、この日は一人作業だ。わずかだが、地元山県市から助成金が出ているそうだ。

 最近の山行でしばしば出会う新しい舗装林道がどんどん奥地にできている。林業の振興は温暖化抑制に役立つ面もあるが、その反対作用に繋がる舗装林道の延伸に危険性を感じている。Kさんの活動を知るとすばらしい現代的な意義を感じた。

 もう一つ、Kさんの話に共感を覚えた。

「長生きするには体力を使わない生活が大事だという高齢者が多いが、全く反対だ。私は自分の寿命を守る(長生きする)ために山に登って仕事をするのだ」。これは私の日頃の思いと同じである。氏の「仕事」は私の「山登り」に当たる。

 自宅に帰り、過去の山行記録を調べると、今山行の出だしに遭遇した岩稜の隙間道の記憶がよみ返った。2004年12月にここを抜けて、市境尾根のすぐ先の点名大洞(1088mⅣ△)に登っている。地元の人は「戸立岩」と呼んでいたのだ。当時の写真(写真⑥)と冒頭の写真と比べると、苦労した間の壁は全く見えない。つまり、19年の間に石や岩や倒木で2.5mの壁が出来てしまった。あと何年かを経ると、隙間が閉鎖されて上部にダムが出来てしまうのかな。 完

戸立岩(とたていわ)
往古、岩は閉まっていたが、鶏を鳴かしたら、岩が開いたという天の岩戸伝説が西洞に伝わっていた。道はこの間を通る。(04年12月30日山行記録から転載)

写真⑥ 2004年12月当時の「戸立岩」
<ルート図>

発信:10/17

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