【 月例山行(初登り) 】 笠置山 ( 1128m Ⅱ△ ) 丹生 統司
2022年初登りは藤野一郎Lの下で恵那市と中津川市に跨る笠置山で行われた。当日は快晴に恵まれて新春の初登りを楽しんだ。(写真は2013年6月撮影の棚田と笠置山)
- 日程:2022年1月9日(日) 快晴
- 参加者:L.藤野一、SL.丹生統、阿部育、安藤正、岩田嘉、大谷早、奥田恭、小倉繁、加藤美、金光鏡、河口加、柴田悦、清水友、竹森せ、藤井利、藤井真、宮川祐、宮澤健、三輪唯、山中晴、山本知
- 行程:姫栗ふれあい登山口9:00-記録小屋9:55-ナンジャモンジャ自生地10:20-おみたらし11:40-笠置山山頂11:50~12:50-姫栗ふれあい登山口15:00
- 地理院地図 2.5万図:切井
今回は参加者が多数見込まれる為にリーダーの計らいでバスをチャーターしての山行である。中央道の車中からは幾筋かの谷を雪で埋めた恵那山が見えて印象的だった。姫栗ふれあい広場の駐車場には乗用車が2台ほど有るだけで少し拍子抜けの気分である。
舗装された別荘地の中を過ぎると針葉樹の林となって地道となり小石が多くて歩き辛かった。林の中に石仏が残されており嘗て信仰の厚い山だったことを知ることが出来た。
東濃地方は降雪量が少ないが厳しい冷え込みはつとに有名だ。登山道は舗装された林道を横断したがツルツルに凍っており転倒による骨折が心配で最後尾でハラハラしていた。
自然石に彫られた道標を見つけ歴史を感じた。笠置山は山頂まで針葉樹で覆われていたが所々に炭焼窯の跡を見つけた。嘗て雑木林で有ったのを戦後植林したのだろう。
天然記念物のヒトツバタゴ(ナンジャモンジャ)である。国内では長崎県対馬の北部と岐阜県東濃地方に自生が確認されている。大正12年に国の指定を受けたと。(恵那市観光課)
「あんこ」の生息地の看板、「あんこ」とは「ハコネサンショウウオ」のことで地元恵那ではそう呼ばれた。「生きたまま飲み込む」と美声が得られると書いてある。
再び林道を横断して山道へ、冷え込みでパウダー状の雪が10㎝ほど積もっており、この先から積雪が途切れなくなった。
大石の多いのもこの山の特徴だ。濃尾流紋岩、地層から笠置山デサイト溶岩と呼ばれるそうである。白亜紀後期には溶岩ドームを形成していたようで、大石はその名残であろう。
尾根が透けて見えだし山頂が近くなった証で傾斜も増して来た。ふと下山中のスリップの心配が頭をよぎる。帰りは軽アイゼンを使用した方が無難だろう。
山頂直下に「おみたらし」と呼ばれる神の恵みの湧き出る「御神水」が岩間から樋を介して流れ出るようになっていたが、この冷え込みは神の「おみたらし」も凍らせていた。
笠置山山頂の笠置神社奥社到着、雨乞いの神様である笠置大権現が祀られているようだ。元々舟伏山と呼ばれていたが平安期の花山法皇が京都の笠置山に似ていると歌を詠んだことに由来する。正式に笠置山と改められたのは明治3年苗木藩の記録からである。
点名・御笠置、Ⅱ等三角点石柱の天端が欠けているのが痛々しい。
神社の前で記念写真。せっかくの快晴であるが周りが針葉樹の林に阻まれて眺望は得られない。恵那市観光課によれば、山頂からの眺めは絶景で恵那市内や中央アルプス、晴れた日には遠く伊勢湾まで一望できるとあるのだが・・・
厳しい冷え込みで寒い山頂だった。木漏れ日を求めて山頂の南向き斜面で1時間の昼食タイムを団欒で過ごした。
帰りは軽アイゼンを使用して安全第一を心掛けて下山した。おかげで一人の転倒者も出さずに姫栗の駐車地まで無事に着いた。今年も上々の初登りである、安全登山を心掛けて楽しい1年にしましょう。藤野リーダー有難うございました。完
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