【 個人山行 】 オトチ岩窟、点名・ 川合 ( 522.4m Ⅳ△ ) 丹生 統司
日程:2021年11月16日(火) 晴れ
参加者:L.丹生統、岩田嘉、桐山美、高橋文
行程:駐車地9:10-オトチ岩窟登山口9:30-オトチ岩窟10:15~35-点名・川合10:45-オトチ岩窟11:15-オトチ岩窟登山口11:40-駐車地12:00
地理院地図 2.5万図:近江川合
関ヶ原の役に敗れた石田三成は笹尾山から相川山を経て伊吹山中へ逃れ近江木之本古橋の法華寺三珠院を頼った。幼少時代を共に過ごした与次郎は三成を己高山対岸の大谷川を挟んだ山中の岩窟に匿ったと伝わる。我が会の歴史蘊蓄三傑と岩窟を訪れた。
歴史三傑と関ヶ原で落ち合い木之本町古橋に着くと制服姿のガードマンが数人居て物々しい。集落の入り口には鶏足寺、石道寺、己高閣は閉鎖、閉館中の看板と道路は赤いコーンが並べられて規制されていた。「三成の岩窟へ行く」と言って通してもらったがアリ一匹も通さない警備に思えた。林道の膨らみに駐車して20分でオトチ岩窟登山口に着いた。
杉の植林帯の斜面から小さな谷を越えた。夏はヒルが多いだろう。
大きな壁が現れ近くには平坦地が有って炭焼窯を大きくしたような石組の窯が有った。江戸末期から明治期中頃まで此処で石灰岩が窯で焼かれて生石灰が作られていたようだ。
幕末から明治期、日本の近代化に貢献した窯が3基残されており石組みが当時の様子を今に伝える。近くには風穴も有るようだが危険防止がとられて石で封鎖されているようだ。
石灰岩の焼き場跡から急傾斜の杉の植林帯を抜けると黄色く色づいた広葉樹が現れて来た。
黄色から紅葉した落葉樹林へ、落ち葉を踏むとサクサク音がして秋山を実感した。
敗走した三成は三珠院に辿り着くまで木の実等しか食しておらず衰弱して村人に発見されたという。寺や村に危害が及ばぬよう幼馴染の与次郎が山中のオトチ岩窟に匿ったと伝わっている。オトチとは「おろち」を意味するようだ。
オトチ岩窟の入り口はドリーネ状陥没地の縁に石灰岩の大岩が重なった隙間で非常に狭くて頭を打ちそうだった。標高560mの山中にこんな隠れ場所があるとは古橋の住人以外は気付かないだろう。三成はこの洞で2日ほど過ごしたと伝わる。
ハシゴが有って下に導かれるが背筋を伸ばして梯子にくっついて足で探り乍ら降りた。暗くて何も見えない、ヘッドランプを取りに戻るのが面倒で足で探り穴底の平で足場の安定した着地点を確認した。目が慣れても手探り状態だが雰囲気でかなり広いことが分かる。
フラッシュを焚いて撮影、現代では土砂が流入して狭く見えるが嘗ては25㎡ほど有ったようだ。三成は村や寺に咎めが及ぶのを恐れ徳川方へ通報するよう与次郎を説得した。与次郎の自首によって三成は捕縛されたが自力歩行出来ないほど衰弱していたようだ。
暗い穴から出ると紅葉が眩しかった。三成も目を細めてこの紅葉を見たのだろうか、旧暦9月21日に捕縛されたので新暦ならちょうど今頃の季節である。
尾根上の紅葉に誘われて522mの台地に三角点・川合があるので行くことにした。
点名・川合を囲んで。
紅葉を楽しみながら次の訪問地鶏足寺を目指して下山した。
己高山登山者駐車場に帰って此処を起点に遊歩道を歩く。己高閣は閉館中で鶏足寺から移された十一面観音菩薩立像等の収蔵品は鑑賞することが出来ない。鶏足寺へ向かった。
最澄が植えさせ今に伝わるとされる亀山の茶畑、現代は三成の三献茶として出荷されているそうだ。
鶏足寺にはヒノキを半分に割った長さ5mほどのベンチと椅子が幾つか有って大人数で休息が出来るようになっている。境内には己高山から下山後の登山者らしき人が5人ほどいた。しかし、大手門の石段は落ち葉保護で立ち入りが禁止されていた。諦めきれずに周辺に目をやると本堂への遊歩道が解放されていたので利用した。紅葉は3日ほど早いようで燃えるような紅色を期待したが当てが外れた。鶏足寺本堂から石道寺へ遊歩道が続いており辿ったが石階段降り口にも進入禁止のコーンが有ったので引き返した。コロナの影響だろうか、どうやら今季の紅葉見学での境内散策は此処までのようで諦めた。
三成は敗色が濃くなると再起を期して笹尾山の陣地を捨て裏尾根から相川山を経て伊吹山中より春日村に逃れた。以後坂内村の品又峠か新穂峠を越えて近江曲谷に出て七回り峠を越えて木之本古橋の法華寺三珠院を頼ったというが逃走経路の詳細は不明である。
山ヤの視点から三成の逃走径路を地形図で確認すると美濃春日村側に降りると複雑な谷や峠を幾つか越えねばならず遠回りだ。見知らぬ土地で複雑な地形をコンパスと地形図なし、案内人なしで村人に気付かれず通過するなど不可能に思えるのである。
私が三成なら相川山から伊吹山頂経由で北尾根を辿り国見峠や品又峠へ至る途中の木之本古橋へ最も効率的に近い所から近江側へ下る。稜線からなら領地の近江側が見渡せるし何より琵琶湖が見えれば土地勘が働くはずだ。近江側、姉川上流を目指して下れば勝手知った領地で有り人目に気付かれず古橋に辿り着くのは容易だろう。
以前、冬季に笹尾山から相川山経由で伊吹山に登ったことがある。夢破れた三成はこの尾根をどんな思いで辿ったのだろうかと、こんな戦国ロマンを空想しながらの登山も又時にはいいものだ。完
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