大垣山岳協会

山考雑記 お不動様から不動峠 そして点名不動洞 2021.06.30

点名・不動洞

 お不動様づくしの山行となったが、荒々しい忿怒の様相とは無縁のなだらかで麗しい尾根歩きを満喫した。長い尾根を歩き通す計画は一時の強雨で縮小。でも、集落住民から山や信仰を巡る貴重なお話しを聞くこともできた。

点名 不動洞 ( 913m Ⅲ△ ) 鈴木 正昭

  • 日程:2021年6月30日(水)
  • 参加者:単独
  • 行程:自宅6:05⇒国道41号⇒下呂・帯雲橋⇒国道257号⇒県道62号⇒県道436号⇒蛇之尾集落⇒林道不動洞線⇒8:40駐車地(下呂市蛇之尾 標高約720m)
    駐車地8:50→林道→9:10古道入り口(標高750m)→9:40不動峠(約830m)→11:00点名不動洞(913m Ⅲ△)→12:55南側尾根降下開始→1:21西洞林道出合→県道62号・436号→3:00蛇之尾集落
  • 地理院地図 2.5万図:小和知

 今年5月13日に下呂市南部の野滝山(882m)に竹原峠から登った。この峠への道は江戸時代以前から飛騨と美濃を結ぶ要路(東山道飛騨支路)だった。竹原峠は地理院地図に記載されているのだが、さらに地図には竹原峠から尾根筋が東南にゆったり続いた先に「不動峠」の記載があった。

 そこで竹原峠から不動峠までの約3kmの尾根歩きを計画した。曇りがちな空を眺めながら、不動峠側から登ることにし、蛇之尾集落から舗装された林道不動洞線を上がる。林道終点から200mほど手前で倒木が道を塞いでいたので脇に駐車して歩き出す。すぐ先の右側の谷の底に小さな祠が見えた(写真①)。不動明王の石像が立っていた。不動洞や不動峠の地名のもとになる古い歴史を持つようだ。その少し咲き出林道は終点となる。付近一帯で古道の入り口を探すが道標名もちろん、道らしい踏み跡もない。

写真①

 沢筋を上がる地図の波線を丁寧に読み込み北に進むとやがて幅のある踏み跡を見つけた。でもテープ類は見当たらない。半信半疑で沢を詰め終わり尾根筋に出た。ササ原の中に峠の石のお地蔵様がポツンと立っていた。(写真②)

写真②

 正面の碑文には「文化六年(1809)十月十七日 此道作替 野尻邑中 施主丹羽……・丹羽和兵衛・今井清兵衛」とあった。峠を北側に下りた野尻地区有志が歩道を改修したようだ。お地蔵様以外にはなにもない峠。ヒノキ林に覆われて薄暗い。

 拝礼した後、私は西に向うやや急なササ原尾根を登り出す。標高60mほど上がると明るい伐り開き地。陽光がまぶしい。緩やかな尾根筋を上り下りする。両側の人工林で眺望は前方向のわずかしかきかない。やがて、やぶ深い小さなピークに差し掛かる。そこに点名不動洞があるはずだ。その時、急に雨粒が落ちてきて、たちまちどしゃ降りとなる。あわてて、ナラの大木の傘の下に隠れ、上下雨具を着ける。ひと時して小雨となったのでピークに上がりササや灌木をかき分け探すが見当たらない。ピークの西側に3回も降りてコース確認したが、位置はここに間違いない。ピーク上に戻りストックで足元のササを何気なく払うと、大きな三角点の点石が現れた(写真③)。3度も往来したのに見逃していた。4度目の正直である。足元をおろそかにした結果である。過去の人生でも繰り返してきたこと、と妙に達観した。

写真③

 ササ原を刈り払いして写真を撮り、すぐに尾根を少し戻り北西に延びる主尾根を進む。多くは左右からヒノキの人工林が迫る尾根筋。時折人工林が消えて、ブナ科やアカマツ、ツガなどの針広混交林となる(写真④)。ササの黄緑色のじゅうたんを軽快に踏みしめ、歩く。890mの小丘で腰を下ろし昼休み。広葉樹の緑の葉やアカマツの赤い木肌を眺めながめる。雑念から解放された無心の境地。

写真④

 歩き出してまもなく、主尾根を西側に歩き通して竹原峠に出る予定コースを変更することにした。時折雨がぱらつく天候の気配や時間的な制約もあり、西洞谷に降りることにした。真西に向う主尾根の850m地点から南に下る尾根を降りる。急斜面を木枝をつかみながら下り薄暗い沢に降りて、すぐに西洞林道に出た。時に小雨の降る林道と県道を歩き蛇之尾集落の入り口にある如日堂(観音堂)にお参りする。林道不動洞線に入るとすぐ先で畑仕事をしていた高齢女性に不動峠のことをお聞きした。

 細江Mさんだ。近くの自宅に招かれて貴重なお話を聞くことが出来た。Mさんは1960年に不動峠から北に下りた下呂市御厩野(みまやの)から蛇之尾の細江家に嫁いできた。両地区間には自動車路はあったが、かなりの距離を迂回することになる。古来から通じる不動峠経由の古道を歩いて往来した。蛇之尾の属する上原村には医者がいなかった。村人はしばしば峠越えして古道を往来したという。自動車交通の発達により1970年以降、古道は生活道路としての役割を追え、歩く人は皆無となった。

 峠越え古道の喪失の背景が理解できた。中山間地に高速道路並みの高規格路がどんどん延びる現代だが、その裏に古くから人の生活を支えてきた古道の消失が進む。歩いて山道を往来する行動が皆無となった。時代の趨勢は止まらないようだが、古道を巡る歴史さえ失われそうな現実は寂しい。

 蛇之尾集落一帯には小さな神社や祠、お堂が幾つかある。集落入り口に観音堂(如日堂)、白山神社、さらに登りはじめに参拝した不動堂さま。その不動堂についてMさんによると、けが、特に目のけがにご利益があると信じられ、村人は般若心経の文字を書き付けた石を神前に供えてお参りしたそうだ。これらの祠は今も蛇之尾の町内会組織がお守り維持している。帰り道の西洞林道や県道沿いにもお地蔵さまや石仏が幾つも目にした。

 お堂あるいは祠巡りのような山行となり、幸せな気分をいただいた。とは言え、不安な思いも忍びよる。昔、30戸あった蛇之尾の細江家は今10軒に減った。支える人々が減ると、信仰も薄れる。一方で人の増える都市部では信仰なき人々ばかりとなりつつある。(写真⑤=蛇之尾集落西側の県道沿いのお地蔵さま。花瓶の草花を抱いている姿が安らぎを与えてくれる)

写真⑤
<ルート図>

発信:7/4

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