月報「わっぱ」 2016年10月(No.419)
【 一般山行 】 日永岳 ( 1215.6m Ⅲ△ ) 鈴木 正昭
- 日程:2016年9月25日(日)
- 参加者:L.中田英、SL.丹生統、鈴木正、藤森ふ、林旬子、後藤正、桐山美、福元茂、藤井利、成瀬徳、清水照、高橋文、清水浩
- 行程:大垣6:30=谷合=仲越小中学校廃校跡(全員合流)8:20→林道終点・尾根取り付き9:15-やぶの濃いトラバース10:45-市境稜線(イタゴ洞乗越)11:00-日永岳11:40~12:45-イタゴ洞乗越13:10-林道終点14:25-廃校跡15:25
- 地理院地図 2.5万図:下大須
広い砂利道のガッパ谷林道のゲートをくぐり歩き出す。予報では雨が心配だったが、青空がのぞく好天。谷左岸斜面に生える広葉樹の葉が緑の屋根のようだ。その下を歩く心地よさ。中田リーダーが地図の読み方を実地指導してくれた。それぞれがコンパスを操作して要所で現在位置を確認する。登山には何より大事な勉強をしながら進む。
仲越地区(岐阜県山県市)は旧美山町の中心である谷合から神崎川沿いを約14kmも遡った行き止まりの集落跡だ。日永岳の登山口は1986年に廃校になった仲越小中学校跡である。私は1997年12月中旬に単独で登っている。当時の記憶はほとんどない。簡単な登山メモと写真が残るだけだ。
林道終点の先で二つの谷を分ける尾根に取り付く。入口に中部電力の巡視路標識があった。この道は山頂にある日永電波反射板の補修路でもある。踏み跡は明確だが、相当な急登。スギの人工林内なので眺望はゼロ。標高1000m辺りから急斜面をトラバースする。ササやぶが現われ歩きにくい。一箇所、距離15mほどで土砂が崩壊し路面と張ってあった固定ロープが流下していた。こわごわ進むと小さなガリー状の直登。ここもロープが切れていて、木枝をつかみながら這い上がる。
その先で市境稜線に出た。すぐに天然ヒノキの大木が立っていた。背は低いが太い頑丈な幹が印象的だ。ここから滑りやすい木の根が張った痩せた急な尾根を上がり反射板の下の切り開き地にでる。三角点はそのすぐ北にあった。この日70度目の誕生日を迎えた清水浩三さんがあいさつの後、万歳三唱。山行メモでは前回は全開の眺望だった。今日は、遠方は雲に阻まれ見えない。しかも、北と西側は樹木の背が高くなったようで、見えない。昼休みをとった反射板の下の空地からは奥美濃の山々を見渡せた。真西に根尾の大白木山、その奥に蕎麦粒山の鎌首。北西側の奧に能郷白山から蝿帽子嶺にゆったりと続く連嶺を認めた。
下山の途中、前記の崩壊地でちょっとしたトラブル。リーダーが、登る際苦労したガリー状地点に固定ロープを張った。女性の1人がロープを伝い降りてから、ガレた斜面に踏みだしたとたん、よろけて左側の草付き岩溝に滑り落ちた。現場は斜度40度ほどもあったが、幸いにも2mほど落ちて木枝をつかみ止まり顔面にかすり傷を負っただけで済んだ。さらに少し下で別の女性が湿っぽい平らな石に乗り滑ってササやぶ斜面に転げ落ちた。緩い斜面だったので、けがはなかった。一歩ごとに足場の安全を確認する動作を怠ると大変なことになる。わがことと思いたい。あとは順調に樹林の中を下った。
この山行では前回山行の印象と比べ眺望が貧弱だったように思う。樹木やササが猛烈に繁茂したように思う。前回の写真には山頂から北西に奥美濃発電所の上池ダムの湖水が見え、その奧に白い屏風山(1354m)の鋭峰が写る1枚があった。今回その方向は樹木が並び視界は閉ざされていた。山頂からイタゴ洞乗越までの痩せ尾根も樹木に包まれ、ほとんど展望なし。温暖化による、樹木類の繁茂は山の妙味を薄めている。
標高1000m付近の歩道崩壊について、中電の担当部門に聞いてみた。山頂反射板は根尾・上大須にある奥美濃発電所の通信中継所で、その維持管理のため巡視路を毎年整備している。今年は9月末に踏査点検をする予定。崩壊カ所については、知らなかったので現地確認したうえ、地権者である神崎国有林当局と相談の上、必要な改修をするそうだ。
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