月報「わっぱ」 2012年1月(No.362)
惜別 国枝武喜さん
おーい、ブキさん、昨年1月の十二支会の卯月山をいっしょに登ったのに、なにをそんなに急いで逝ってしまったのだ………。
暮れも押し迫った12月31日朝、訃報の電話を受けた。5月頃に酸素ボンベをひいて歩いておられるとうかがったが、義弟にもう長くはないと聞いて20日に見舞いにお邪魔したばかりだった。
大垣山岳協会創設時から山行のかたわら、会報係をつとめ、活動報告をまとめるなど協会の中心的役割を果たされた。あの岩壁を、この沢をという華々しいところは無かったが、温厚にして篤実の人柄そのままに奥美濃の薮山を中心に地道な山行のリーダーとしての行動は忘れることが出来ない。
また、今西錦司先生が主宰された十二支会、自慢会、日本山岳会に所属するなど、多彩な岳友との交流につとめたが、その中でも特筆すべきは京都の伊藤潤治さんと1987年、梅雨の最中の南アルプス前衛の金森山(1702m 5万図「時又」)に8時間の薮こぎの末に登頂した山行でした。その年の自慢会で「最高困難登山者」に贈られる今西賞を受賞された。今後も後輩のよき相談相手になって欲しかったのに、思いのほか早いお別れとなってしまわれた。謹んでご冥福をお祈り致します。 合掌
享年81歳 2011年12月31日没
渡辺一光記(遺影は90年6月、西穂山荘)
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