大垣山岳協会

北八ヶ岳初級冬山入門講習・天狗岳 2024.02.11-12

天狗岳

【 アイゼン訓練 】 天狗岳 ( 北八ヶ岳 2646.04m Ⅱ等△ ) 長野県茅野市豊平 NT

 当会2月の初級冬山講習会を2月11、12日の2日に渡り八ヶ岳連峰の天狗岳で行った。八ヶ岳は穂高や剱などの北アに比較すれば険しさや積雪量で劣るが冷え込みが厳しく初級冬山の体感に適した山である。両日とも天候に恵まれ成果を残した報告である。

<ルート図>
  • 日程:2024年2月11(日・祝)~12日(月) 
  • 参加者:CL.NT、SL.SD、KM、KM、KF、ST、SM、TK、NY、HN、YC
  • 行程:
    • 2月11日(日・祝) 渋の湯駐車場7:31-黒百合ヒュッテ9:58~11:08-東天狗岳13:01~16-西天狗岳-13:42~12:05-中山峠15:00-黒百合ヒュッテ15:04
    • 2月12日(月) 雪上訓練7:15~8:45-黒百合ヒュッテ9:19-渋の湯10:34
  • 地理院地図2.5万図:蓼科

2月11日(日・祝)(晴れ)>
渋の湯駐車場7:31-黒百合ヒュッテ9:58~11:08-東天狗岳13:01~16-西天狗岳-13:42~12:05-中山峠15:00-黒百合ヒュッテ15:04

 渋の湯駐車は長い順番待ちを耐えやっと指定受付へ案内されヤレヤレ、が受付女将さんの士族の商法にも似た言に耐えて指定駐車地へ移動、これで登山が出来ると安堵した。

 廃ホテル前を過ぎ渋川に掛る橋を渡る手前で計画書をポストに投函した。多くの登山者で踏み固められたパウダー状の雪は歩きやすく奥美濃の湿雪とは全く違った。

 やはり八ヶ岳キュンキュンに冷えており指先が痛かった。シラビソの林の中で最初の休憩をした。ブログ担当のG、F両氏の写真提供依頼を受けてシャッターチャンスと見ればスマホを取り出し芸術作品を狙っていた。

 ダイヤモンドダストが太陽の光を反射してキラキラ輝き綺麗だったが所詮は素人カメラマン、旨く映っておらず大失敗。ダケカンバの霧氷も綺麗であった。梢の穂先迄満開に花を咲かせてシラビソやトウヒから逃れるように青い空へ背伸びをしていた。

 10時前に黒百合ヒュッテに到着、宿泊、テント泊とも受付を済ませたが小屋泊組は16時半まで入室は出来ないとのこと。天気は上々、雪上訓練を明日に回して今日の中に天狗岳を往復と決めた。テント泊組の設営を待って1時間の休憩後に出発した。

 計画では中山峠経由で天狗岳往復であったが小屋の前の斜面にトレースが延びていた。積雪を利用しショートカットで山頂へ行けるルートと思ったのだが道標やペンキ印も出て来て後で確認すると「天狗の奥庭」コースへ合流していた。

 これから向かう東天狗岳と右の西天狗岳を仰ぐ、地形図では東天狗迄簡単にワンピッチで届くと思ったが甘くはない。昨夜の寝不足も有ってか足が重たく何度か立ち休をいれた。

 「天狗の奥庭」よりも「天狗の遊び場」がふさわしいような大石の間をS字にくねって進むのでまどろっこしい。雪がもっと多ければ直線で進み距離が稼げるのにと胸の中で愚痴っていた。

 この尾根の寒々しいこと。オオシラビソが強風で叩かれ主幹の穂先を枯らされ芯止めされて枝を風下側に伸ばしており、短い幹の風上側にエビの尻尾を発達させていた。

 八ヶ岳は冬季に南の赤岳鉱泉をベースに横岳周辺に2度ほど20代頃に来ているのみだ。温度が低くちょっと吹雪かれただけの岩登りで指の感覚を失った。人の多さと積雪の少なさが冬山らしくなく敬遠していた。周辺地理に疎いが遠くに見えているのは北横岳であろう。

 中山峠からの主稜線に合流した。踏み跡が一段と広くしっかりとして歩きやすくなった。もうひと踏ん張りで山頂直下の岩場に届きそうだ。あれが天狗ノ鼻であろうか。

 天狗ノ鼻と思しき岩場の中ほどをトラバースする辺りが核心部と思えた。緊張を欠いてはならないところである。それを抜けて緩い雪面を登った所が東天狗岳山頂であった。15分の山頂滞在中にヘリが北の斜面と谷を集中的に捜索するようにホバーリングしていた。

 ヒュッテ到着時に長野県警救助隊員と思しき人達を確認していたので事故は想定出来た。少し嫌な気分だがヘリが救助隊へ配属される以前は歩荷搬出にたまに出くわしたものだ。出鼻をくじかれたが隣の西天狗岳山頂には大勢の人が確認出来る。我々もあそこへ急ごう。

 西天狗岳とのコル迄来ると左足のアイゼンが壊れた。右足は問題なかったので片足で通すことにした。壊れたアイゼンの回収を終えて東天狗岳を振り返ると山頂直下の100mほど下の雪面にショートカットのトラバース道が付けられている。帰りはあれを使おう。

 決して広くない西天狗岳山頂には大勢の人が居た。石彫り不動明王と思われる先に南八ヶ岳の峰々が見える。左が赤岳で右が阿弥陀岳であろう。赤岳の左に僅かだが岩稜の山頂部が見える。大同心、小同心の岩や岩稜、ルンゼに氷瀑を発達させて抱く横岳であろう。

 唐沢鉱泉へ周回下山する西尾根には踏み跡はなかった。ワカンかスノーシューが無ければ走破は無理であろう。登山者は黒百合ヒュッテ、しらびそ小屋の往復のみと思われた。

 下山は東天狗岳直下のトラバース道を利用し中山峠経由とした。途中で県警救助隊員らしき3名に会う、70ℓほどの大ザックを担ぎ猛スピードで抜き去っていった。あのくらいでなければ人は担げない。この尾根にはシャッターチャンスの景色が幾つかあった。

 樹氷が風に叩かれ寒々しく、断崖とその先に浅間山が噴煙を真っ直ぐ立ち昇らせていた。

 素晴らしいスラブのフェースがあってシャッターを押した。雪の白さのせいだろうか壁が肉眼で青く見えたが写真で見ても青壁である。

 ヒュッテに着いたが16時半まで入室が出来ないので談話室でテント組も交えて懇親会。この頃のノンアルコール派は酒なしでも話題が途切れず時間が経過していった。

2月12日(月)(晴れ)>
雪上訓練7:15~8:45-黒百合ヒュッテ9:19-渋の湯10:34

 小屋前の斜面を使って雪上訓練を行った。SD.SL講師によるピッケルの部位の名称と持ち方、雪面斜度に応じての使用方、またアイゼン歩行についても説明を受けた。そして口頭講習の後に滑落停止の実践訓練を行った。背中で滑って反転しピックを雪面に刺して滑落を停める訓練である。昔は11月後半から12月は富士山や御嶽山の名物光景だった。停止した時に、右利きは右肩と顔の頬の間にブレードが来るように、左手で石突き部の少し上を持ち右肩から左腹付近にシャフトが45°位に、左肩を少し上げ気味だと右脇が締まって堅雪にも負けず停められる。近頃のピッケルは登攀用で短く切腹しないかハラハラで見ていた。アイゼンを着けての訓練は熟練するまでやってはいけない。

 昨夜の降雪で冬山モード全開!あっという間の雪山講習が終わる頃、晴れ間が戻って来そうな雰囲気となった。テントの撤収作業を終えて全員が揃ったようなので出発前に1枚。

 早く下りて温泉へ入り、その後は美味しいものに舌鼓を打つ予定である。

 下山後のニュースによれば我々が山頂で見たヘリはやはり捜索機であった。下山中に追い抜いたのは救助隊員であった。11日、12日の両日で遭難事故が3件有り、いずれもルートを外しての救助要請のようだ。2日で3件もの事故に出動した隊員たちに頭が下がる。

 夏山と変わらぬほどの人の賑わい、踏み固められた道の歩きやすさで地形図確認の必要もなく山頂に達した。駐車場の混雑を見てワカンを車に置いて行ったのもいい判断だった。だが、よくよく考えれば地形図が読めずとも他人の踏み跡を辿るだけで誰でも冬の八ヶ岳山頂に立てた。この気軽さが事故を多発している原因と思えないか。もし、一晩に1mの降雪が有ってGPSが寒波で機能しなくなったとすればシラビソの原生林に自力でルートを拓き下山出来るパーティーが何組いただろう。

 改めて読図と基礎技術習得の重要性を認識させられ山岳会の使命を感じさせられた冬山講習会であった。そして稀にしか人に出会うことのない奥美濃の山の良さを再認識させられた。奥美濃の重い雪に育てられたことにも誇りを感じた。

 気になることが、涸沢岳蒲田富士付近で岐阜と各務ヶ原在住者が2名行方不明とニュースが報じていた。蒲田富士といえば飛騨側奥穂高への冬季ルート「涸沢岳西尾根」である。3年ほど前に岐阜岳連傘下のH山岳会会員が滑落したばかり、無事を祈りたい。完


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