大垣山岳協会

令和5年還暦、古稀、傘寿祝賀+忘年山行 高畑山、三子山 2023.12.03-04

三子山

【 月例山行(忘年山行) 】 高畑山( 773m Ⅱ等△ )・三子山( 568m △なし)(還暦・古希祝賀山行)
NT

 嘗て還暦を迎える御歳で山に登っていることが珍しい時代がありお祝いをした。それが古稀でも珍しくなくなりお祝いをした。今年は88歳で美濃百山B級完登者が出て来たことも有り傘寿もお祝いをしようとなった。80歳を過ぎてなお山へ行ける健康を祝おう、慶事は多いほどめでたくもあり盛り上がる。全部まとめて祝賀山行の報告である。

<ルート図>
  • 日程:2023年12月3日~4日(日~月)
  • 参加者:L.AM、SL.FT、SL.FI、IS、IY、OS、KM、KM、SD、SM、SM、TM、TS、KK、NY、NY、NT、HT、HY、MY、MK、MT、YM
  • 行程:
    12月3日 高畑山登山 駐車地9:21-鏡岩9:29-ナイフリッジ10:54-高畑山山頂11:44~12:54-駐車地14:51
    祝賀会+忘年会  宿泊地:三重県亀山市関町「関ロッジ」
    12月4日 三子山登山 駐車地8:52-Ⅲ峰9:47-三子山山頂10:42~11:05
  • 地理院地図2.5万図:鈴鹿峠

12月3日 高畑山登山 

 駐車地から2分で登山口(鈴鹿峠)、広い平地が続き峠らしくない。坂上田村麻呂の神社跡と江戸期東海道の茶屋屋敷跡の幾つかの石垣を確認した。

 三重県天然記念物、鈴鹿山の鏡岩(鬼の姿見)を周回と知らずロープに沿って歩かされた。

 これだけ多人数だと最後尾はリーダー任せでついて行くだけになってしまう。鏡岩では尾根が続いているように見えず、えらい急下降になると覚悟したら一周して引き返し出した。立ち寄って周回見学しただけと知らされて安堵、登山口へ帰り再スタートした。

 斜面の急登が続いたと思ったら急下降、花崗岩のザラメ状の砂は滑りやすく注意が必要だ。

 手前の尾根の標識には「ナイフエッジ」と書かれていた。スケートなどでエッジの表現をよく聞くが山言葉でなら山稜なのだから「リッジ」と呼ぶべきと思うのだが。

 尾根に上がりきると鈴鹿の北の山並みが見えて来た。すぐ後ろの三子と四方草山が重なって見え稜線が仙ヶ岳へ続く、右は野登山である。仙ヶ岳の左奥に鎌ヶ岳、その左に御在所山、更に左に雨乞岳が写真では半分だけ見えている。

 高畑山山頂に着いたのだが風が強くなって祝賀会をやっていられない。記念品のカードが飛ばされたら大損害、前山まで引き返して行うことにした。だが写真だけは山頂でなければ意味がなく長いタイトルの横断紙が破れないように大事に持ってお澄まし顔。

 前山へ引き返し風を避けて記念品のクオカードをH会長から一人一人へ手渡した。

 本日の還暦、古稀、傘寿の祝賀受賞者の各位。人生100年と言われる今日、卒寿、白寿を目指し生涯現役を貫いていただきたい。貴方達は我々が研鑽を積む目標である。

 本日の祝賀の為にとっておきのシャンパンを担ぎ上げたFTさん有難う。30mlのカップに並々のシャンパン、鈴鹿の峰に木霊する「カンパーイ」の大声。

 その夜は関町の「ゲストハウス」へ移動して祝賀会+忘年会を行った。YMさんが特異のフォークギターで盛り上げてくれた。プロ並みの腕前からは、君の行く道は・・・「若者たち」拓郎の「結婚しようよ」こうせつの「神田川」それからジョンレノンも・・・

 そして酔っぱらう前に記念写真を撮った。その後は差しつさされつして夜の更けるのを忘れ山談議に花を咲かせた。また順番に山への抱負を宣言し大いに会場を沸かせた。

 ホテルの窓からの景色である。支配人に山名を聞くと錫杖岳という。一度登ったことが有るのだがリーダー任せの集団登山で後方からついて行っただけ、恥ずかしながら登山口などルートも覚えていない。今度は鋸の刃の稜線を辿りたいものだ。

12月4日 三子山登山

 江戸時代、鈴鹿峠には6軒の茶店が有り繁盛したそうで石垣の屋敷跡が東海道の賑わいを物語る。東の箱根、西の鈴鹿越えといわれ往来は多かったようだ。

 峠の登山口から東海自然歩道を三子山側へ進むと右手の山林に六体の地蔵を見て写真に収めた。付近にも倒壊した石塔など有って墓場だったようだ。偶然か説明書きの6軒の茶店に六体の地蔵、それとなく往時を偲ばせていた。

 峠の説明書きによれば仁和2年(886年平安時代)に伊勢神宮への斎王群行が加太峠から鈴鹿峠越えに定められると東海道の本線となったようである。往時は牛馬が行き交ったはずでもっと手入れが行き届き広かったと思われる。

 この石階段はコンクリートで固められていた、だが風化の進んだ石が使われていたのでコンクリート以外は往時のモノかもしれない。残念だが此処で電池切れ、以下の写真はFI氏の提供に寄る。

 嘗ての東海道は標高500m(鉄塔)の峰で山女原へと分岐し北へ向かって別れた。一旦下って50m登り返した途中に四方草山の案内板と道が有った。最高点に向かうと「しめ縄の結界」が有って潜った。最高点で休憩後にリーダーが引き返す、「結界」を潜ったのだから当然そのまま進むと思ったのだがⅡ峰への進行方向は逆だという。今までついて行くだけであったが此処で初めてコンパスで確認して気付いた、リーダーの進む方向が正解だった。

 Ⅲ峰から50m下降して50m登りⅡ峰、また50m下り60m登り返してⅠ峰へ到達した。

 山頂は切り開かれて広場が確保され陽当たりは良かった。約30分の昼食タイム、それぞれ自分の位置を確保して「トカゲ」を決め込んだ。

 私が持参した地形図はA4サイズのコピーであった。「三子山」の山名記載が「Ⅱ峰556m」の付近で有りてっきり556mの峰が「三子山」と思い込んでいた。Ⅰ峰はコピーの紙面には入っていなかった。事前勉強をしておけば気付いただろうがリーダー任せの集団登山の悪い所が出たようだ。反省しきりである。

 反省材料はあったものの盛況の中で今年の祝賀行事を終えてホッとしている。来年もまた楽しく山に登れるように日々の健康に努めましょう。完


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