【 個人山行 】
点名桑下(Ⅳ△ 363.9m)、点名象座洞(Ⅳ△ 389.7m)、
点名宮洞(Ⅳ△ 518.4m)、御殿山(554m 三角点なし)
鈴木 正昭
美濃加茂市の最北境の低い尾根をぐるりと巡り歩いた。鮮やかなツツジの花や遠い銀嶺の眺望、さらにシイタケ栽培の歴史を作っ落葉樹林の明るく清楚な姿を満喫した。
- 日程:2023年3月20日(月)
- 参加者:鈴木正(単独)
- 行程:
- 自宅6:00⇒国道41号⇒山之上IC⇒県道348号⇒県道97号⇒上廿屋(かみつづや)白山神社奥の路側に駐車(岐阜県美濃加茂市三和町上廿屋)
- 駐車地7:40→8:20桑下地区の沢入口→9:30点名桑下(Ⅳ△363.9m)9:50→10:05点名象座洞(Ⅳ389.7m)→10:20間伐作業地→10:40斜面取り付き→11:35市境尾根筋12:00→12:35点名宮洞(Ⅳ△518.4m)1:00→1:30御殿山(554m三角点なし)→1:55林道出合→林道上水無瀬線→2:50駐車地
- 地理院地図 2.5万図:上麻生
最近、美濃加茂市の北部にある三和町の低山巡りに精を出している。今回は三和町最北部にある上廿屋集落を囲むおにぎりの様な三角形の尾根筋を目指した。古い大きな木造民家が並ぶ集落沿いの市道を歩き、桑下地区の谷の入口の民家に一帯の地理について尋ねる。独り暮らしの89歳の母を時折り見守りに来るという名古屋市在住のHさん(65歳)によると、上廿屋には20軒ほどの家屋があるが、現住家屋は数軒しかないそうだ。この地は30年ほど前まで、地域の森林を利用したシイタケ栽培の一大産地だったという。ただ、今では栽培農家はなくなり、山林の様子を知る人はないようだ。
谷沿いの道を50mほど上がると、左側に地域の墓地がある。その上からきつい斜面をよじ登る。薄い獣道が落葉樹の小木の間に続く。すぐに紅紫色の小さな花が明るくパッと林内を照らす(写真①)。ミツバツツジだ。心うきうき元気が出てくる。日差しが比較的に恵まれた場所に多いようだ。尾根筋に出ると、しっかりした踏み跡が続き、赤テープがうるさい程あった。間もなく広い丘の上に4等三角点桑下の点石があった(写真②)。周りにはクヌギ、コナラ、アベマキなど落葉広葉樹の中程度の木々が取り巻く。みな、シイタケ原木になる樹種だ。昔はこの山域でもシイタケ栽培がされていたのだろう。マツの木もたくさん見られた。
三角点から広い尾根筋を進むと、左からの尾根と合流し、以後関市と美濃加茂の両市の境界尾根となる。ほぼ30mごとに両市名が入った境界杭が並んでいる。これを目印に軽快に北上する。落葉広葉樹の木々の間には時折ミツバツツジの輝かしい花が迎えてくれる。雲一つない青空が広がる。時折、東上空にこれから登る点名宮洞や御殿山の山頂が見え隠れする。
そのうちに、象座洞の三角点に気づかずに通過してしまった。引き返すのは面倒。そのまま進む。ふと気づいたのは尾根筋に細い竹の幹が目に入った。東側の谷をのぞくと谷間は竹の密林だった。谷から尾根筋まで竹が侵攻していたのだ。標高は約340m。低いとはいえ尾根筋まで竹林となるのか。温暖化現象の一つだろう。そのすぐ先の丘に上がると、突然前方が明るい光に包まれている(写真③)。
人工林の間伐作業帯だった。まだ新しい立派な林道が下流側から市境尾根方向に通じている。ヒノキの人工林の間伐跡だった。背の高い細いヒノキが明るい日差しをたっぷり受けて立ち並ぶ。低山では手入れ不足の真っ暗な人工林が多いが、明るい地肌と樹幹を見ていると実に心地よい。ここで地図を精査すると、市境尾根から外れて一本東の尾根に入っていることが判明した。作業地に惑わされて横にそれたようだ。間伐地に降りて林道を横切り、北東に延びる枝尾根を上がる。もう、目印の市境境界杭はないが、落葉広葉樹主体の明るい急斜面をぐんぐん上がり、市境尾根上に達した。ここは北側に得も言われぬ絶景が広がっていた。
ここから急斜面の小尾根を北に下ると轡野・権現山に至るらしい。ただ、登山道はなく一定の力量が求められるようだ。
急いで昼食をとった後、境界尾根を南東に進む。岩稜あり、ぶ厚い枯葉床の斜面あり、薄い踏み跡を追う。再会した市境境界杭を追えるので、迷うことはない。宮洞の三角点(写真⑥)で一休み。クヌギ、コナラなどの広葉樹のほか、マツ、スギの針葉樹も加える明るい尾根筋。尾根の南北は切り立った急斜面が一気に落ちている。上り下りする尾根筋を進むと、各所で小さな岩稜を越えたり巻いたりするうちに御殿山の山頂(写真⑦)。小振りな御殿山白山神社にお参りしてすぐ、真南に降り始める。やっとしっかりした登山道。ひとしきりで神社の鳥居の立つ林道出合に降り立った。
山中歩行を終えて、立派な舗装の林道上水無瀬線を下る。廿屋川沿いの道で、車は一台も合わなかった。シイタケの栽培地帯だけあって、落葉広葉樹林の気持ちの良い林を見ながら下る。でも、北側の広い枝沢を見て驚いた。沢全体が竹の密生した激竹藪に埋まっていた。午前中、尾根筋で見た竹藪とは別の沢筋である。温暖化のせいだろう。私が歩いた尾根筋が将来、竹藪尾根とならないように願いたい。
駐車地に戻り、上廿屋の集落を通る際、朝方お邪魔したHさん宅を訪れ、山行の結果を伝えるとともに、昔のシイタケ栽培のことをお聞きした。村の農家の大半はシイタケ栽培に精を出していた。彼も中学時代から近隣山林のシイタケ山に入り、チェーンソーで原木に穴をあけて種菌を埋め込む作業をした。原木は伐採した材のほか、専門業者から購入したものもあった。集落全体では大量の出荷量となり農協を通じて名古屋市場にも出荷していたそうだ。それも20数年前までだった。シイタケ栽培は重労働を要する野外での原木栽培から温室など施設内で大量生産する施設栽培に移行したからだ。
廿屋地区を含む三和町のシイタケ栽培は昭和初期に廿屋地区の天池武義氏が優れた原木シイタケ菌糸を発見し全国でも有数のシイタケ産地となった。昭和30年(1955年)ごろが生産のピークだったが、今では三和町全体でも原木シイタケ生産は数軒となった、という。今日、歩いてきた尾根筋は昔、三和シイタケの原木生産地があちこちにあった山域だったのだ。その痕跡はなにも見なかったが、後から考えるとクヌギやコナラのシイタケ林の存在はずっと見続けていたのだ。
帰りがけに、出会った別の上廿屋の住人に、中廿屋の農家に、シイタケを原木栽培している農家があり、安価で分けてくれるところがあると教えてくれた。帰路、その農家を訪れると、採れたばかりの原木栽培のシイタケを見せてくれた。わずかな量だったが、安価で分けてもらった。
自宅で食べると、うまく表現できないのだが、実に個性的な香りと風味がする。施設内栽培のシイタケは香りの薄い無味な品が多い。廿屋産の原木栽培は食べるとしばらく口内と脳内に味が記憶され続けるようだ。歩いてきた尾根筋で出会った花や木や山容の味と同じように感じた。
<注> 御殿山白山神社
加賀の白山比め大神の分神をお迎えし祀ってある祠である。遠い昔加賀の白山からお姫様が白雲にのり二匹の大蛇をお供に飛来され、このやかたを造りすんでおられたところと伝えられています。山頂の神社の説明板に以上の記載がある。
発信:3/27
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