月報「わっぱ」 2021年11月(No.480)
【 週日山行 】 権現山 ( 524.6m Ⅱ△ )、大加山 ( 356m △なし ) 宮川 祐志
- 日程:2021年10月5日(火)(快晴)
- 参加者:L.鈴木正、岩田嘉、小倉繁、桐山美、高橋文、宮川祐
- 行程:中之江駐車場6:45=東海環状道・富加関IC=県道58号線=轡野集落=林道奥駐車地9:00-権現山10:35~10:55-派生林道出合(昼食)12:00~12:35-駐車地12:45=大加山麓駐車地13:55-大加山手前の標高240m地点で引き返し-駐車地14:45=中之江駐車場17:00(解散)
- 地理院地図 2.5万図:上麻生(飯田15-4)
今回の週日山行は1日2座の強行軍(?)。2日前に一般山行に参加した私は、体力面の不安を感じながら、早めに集まった4名のメンバーとともに大垣を出発した。富加関ICを降りた最初のコンビニで鈴木リーダーと合流。
最初に登る山は、関市下之保にあり轡野川の源流に位置する白山信仰の山である。2年前の三角点踏破を含め3回目となるリーダーから白山神社前で神社にまつわる話を伺った後、林道奥の駐車地(標高約170m)から歩き出した。
10月に入り季節外れの残暑が続く県内各地だが、この日も真夏日の予報。しかし、山に入ると風は無いもののスギやヒノキの高木で強い日差しが遮られ、汗だくになるような状況にはならなかった。案内表示板が各所にあるため道迷いすることは無いが、間伐しっ放しの木枝が転がる急な登りが続き、次第にゆっくりしたペースとなった。
この日唯一出会った単独登山者に道を譲った後、山頂手前でいったん下る。そして「急な登り坂」の看板からは厳しい急登りの道を進み、しばらく後「ここは社跡地」と案内板のあるフラットな山頂に着いた。中世からこの山頂部にあった白山権現社は、徳川家光時代に轡野集落の白山神社に移したと伝わる。ほぼ400年前のこと。山頂に痕跡を探したが、何も確認できなかった。
金属製の帽子を被った権現山頂上の木柱、二等三角点、方位盤を挟んで集合写真撮影。写真右端に家型木箱が小さく確認できるが、リーダーは5年前の夏、木箱からビニール書類を取り出そうとして蜂?に刺される災難に遭われたそうだ。単独山行には様々な危険が伴うが、虫に刺されアナフィラキシーショックを起こす危険や対処なども十分理解しておかなければならない。
山頂からの眺望はほとんど無く、南方面だけがわずかに開けていた。小牧山や名駅の高層ビル群が見えることもあるらしいが、残念ながらかすんでしまって何も確認できなかった。
20分ほど休憩の後、「下りコース」と書かれた案内板から周回を開始。「沢へ近道」の看板に従い進むと、さらに倒木が増え荒れた道となる。ロープが取り付けてある斜面や枯れ葉の下りでは度々足を滑らせ、メンバー全員が慎重に進まざるを得なくなった。
その後、木漏れ陽の中、静かな流れの沢沿いの道は心地良く進むことができたが、沢にかけられた丸太橋はどれも苔に覆われて朽ちて危険な状態であったため、迂回したり岩混じりの河床に降りたりして通過した。巨大な岩壁を横目に急峻な地形を越えると、ようやく別荘の屋根が見え広い林道に出た。そこには「乙女の滝」の案内看板があったが、私は気づかず通り過ごしてしまった。
ちょうど正午となり林道上に座り昼食。昼食を終え林道を10分ほど歩いた駐車地から車で次の山へ移動した。手違いで少しロスタイムが発生し、また地元の方への登山口確認などが重なり当初予定から1時間ほどの遅れが生じていた。
結局、天理教下之保分教会横の路肩に駐車し、男性5人だけで2座目の大加山を目指すこととなった。登山者があまり入ることの無い山で、1座目と違い案内看板など無いため、地図読みや目印リボンの付け方などを学ぶ良い機会となった。
荒れた斜面を80mほど登った小ピーク(205m)で進む方角を確認し、さらに15分ほどで標高240m付近まで登ったが、その先山頂までの往復所要時間とメンバーの体力を考え引き返すこととなり、残念ながら1日2座踏破とはならなかった。
ただし個人的には、今回の山行における様々な場面で、状況に合わせた適切な判断と行動力が大事なことであることを感じ取ることができ、とても良い機会であった。
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