去る10月に仲間5人との山行で山頂に届かなかった大加山(359m△なし)がチクチクと頭に残る。その棘を拭い去るとともに、南にそびえる権現山(524m△Ⅱ)に裏側から登る周回コースを考えた。幾つもの誤算誤認の末、完登できたのだが、後でコースの主要部はかつて、普段の山仕事に使った山道だったことを知った。今は誰一人通ることのない沢や尾根筋。一方で林道奥地では大規模な伐出作業現場が山を圧する。近郊山林の行く末に希望と心配が入り混じる。
【 個人山行 】 大加山 ( 359m △なし )~権現山 ( 524m Ⅲ△ ) 鈴木 正昭
- 日程:2021年12月12日(日)
- 参加者:鈴木正(単独)
- 行程:自宅6:40⇒国道41号⇒七宗町役場⇒県道64号⇒北条峠⇒県道58号関金山線⇒JA津保川支店前駐車地(関市下之保若栗)8:15→天理教津保分教会裏(古道取り付き)→9:55大加山10:10→南東尾根降下→10:45間吹集落墓地→県道58号横断→沢沿い林道→11:40派生林道入り→12:10右岸側尾根上に出る→1:30乙亀谷との峠→2:10権現山2:40→2:45乙亀谷降下開始(峠)→3:40乙亀林道出合→4:00乙亀集落→4:45駐車地
- 地理院地図 2.5万図:上麻生
10月山行時と同じように天理教分教会の裏手に回ると前回気づかなかった歩道の入口を見つけた。小さな谷奥へササ原で覆われた古道が登る。すぐに目指す尾根の背にでた。後はヒノキ林内のやぶの薄い作業道をぐんぐん進む。尾根筋は総じてなだらかだが、各所に岩塊や岩場がある。その一つに登ると、北側に津保川が流れ奥にかつて登った水晶山やナガザコの山並みが遠望できた。北側約100m直下の川沿いにある工場からドンドン、ガンガンの作業音が上がってくる。里山ゆえに致し方ない。
大加山の山頂は広い丘の上にあった(写真①)。手入れのよくない細いヒノキ林内。薄暗く眺望は全くない。すぐに退散してひろい尾根を南東に降りる。途中、想定より一つ南側の急な小尾根を下ると間吹集落の墓地に出た。草取りをしていた老婦に道を尋ねてから、中之保川を渡り東に延びる谷間に進む。地元の人はこの谷筋を「中山」と呼ぶようだ。1㎞強進むと南側に延びる枝谷が派生。本谷に掛かる今にも落ちそうな橋を渡り枝谷に入る。地形図には谷沿いに歩道が記されている。しかし、ほとんど形跡は消えている。
倒木がふさぐ谷底を避けて左岸斜面をトラバースした後、東側に上がる谷間をよじ登る。約100m上がり尾根筋に出た。後で分かったが、これがミス判断だった。想定より随分早めに谷間に取り付いたのだ。出た尾根筋には地籍調査の杭や少ないが古い赤テープがあり、想定の尾根に間違いないと信じたが、現在位置がつかめなくて不安が増す。標高約400mの小さなピークで昼休み。やっと眼前に権現山らしい姿が目に入った。ここから尾根を南側に降り、西側の乙亀谷流域との最低鞍部、つまり峠に達する直前、ギエーツ、ギエーッの大声。驚き見ると2頭のイノシシ君が峠から乙亀谷に猪突猛進する姿。真っ黒く丸々と太っていた。突然現れた私に驚いたのだろうが、年寄りのよたよた歩きを見てすぐに静かになったようだ(写真②=猪が掘り返した穴)。
峠を越して、急傾斜の尾根道をぐんぐん登る。人の歩いた形跡は皆無。背の低いまばらな広葉樹の下に分厚い枯葉の厚い布団。カサコソ鳴らして踏みしめ上がる(写真③=下る時の撮影)。上部でヒノキ林も出るがやぶはなく、峠から高度150m登ると権現山の登山道に出た。
5か月前に仲間5人と登った山頂、今は誰もいない静けさ(写真④)。くもり空で眺望はなし。当初安全性から登山道完備の下之保の轡野登山口に降りるつもりだった。だが後の県道行程が長く夜歩きとなりそうなので、往路から中之保・乙亀への予定コースを目指した。
猪の君出合の峠から乙亀谷に降り始める。小さな谷でさして苦労なく降下。地図には距離にして500m程進むと林道にでるとある。平らに大きな猪のぬた場が現れすぐ林道出合かなと思うと谷がぐんと狭まり、小さな3m滝が出現(写真⑤=奥に僅かに見える)。両岸岸壁で高巻きは無理。引き返して高巻きはすることも考えたが、ロープを出して滝の正面を懸垂降下した。ただ、着地する際、小さな滝つぼを避けられず両足とも水没。沢靴を用意してないので以後冷たい足元のままでの歩行となった。その直下の2m余の小滝は右わき草付きを降りた。その先の枝谷合流点で谷は幅広となり立派な乙亀林道の起点に達した。
舗装林道を歩き始めると左側のヒノキ林が一面皆伐され茶色の腐葉土の肌が天空高く広がっていた(写真⑥)。見える範囲だけで1?ほどか。山肌に大型重機を何台も見かけた。舗装林道下ると乙亀の集落に入った。路上でお会いしたMK(69)さんに声を掛けた。谷筋の皆伐は岐阜市の人の持山で最近、業者に材を売り渡し現在も作業中だそうだ。この光景は間吹からの林道奥でも見た。小さな谷筋が丸裸となっていた。
伐出適齢期を越しても放置したままの人工林に山行のたびに出合う。下層に何も生えず、多彩な植生を持つ里山の有機的な生態系が失われる。そうした不安や疑念に光を見た光景であった。最近、国産材価が上昇しているためであろうか。一方で警戒心も抱く。作業用の粗悪な素掘り林道が拡大しないか。皆伐跡地で必要な植生再生の手入れができるかどうか。もう一つMKさんの話で感銘したのは、私が歩いたコースにはかつて住民の生活作業路が通じていたことだ。つまり、乙亀谷沿いを詰めて猪のいた峠を越して、往路に歩いた間吹への林道へ出るコース。しっかりした歩道があった。林業作業や奥地でのシイタケ栽培、マンガンの採掘作業などで行き来する重要路だったそうだ。高度経済成長期以後、いずれの用途も消えて道も消えた。峠から乙亀林道出合まで丁寧に探したけれど、古道の跡は目に入らなかった。
MKさんは乙亀集落の自治会長。現在戸数は30戸。近年戸数の減少は割に少ないという。そのわけを伺うと、郷土愛なんでしょうか、という。川あり山あり緑ありの地への自信や誇りを感じた。
「でも、若い世代がみんな外へ出てしまうので行く末は心配だよ」 辛いことお聞きしてしまった。
完
発信:12/15
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