大垣山岳協会

ドウの天井1332.5m(点名・上大須Ⅱ等△) 2020.02.11

ドウの天井

ドウの天井1332.5m(点名・上大須Ⅱ等△) 丹生統司

  • 日程:2020年2月11日(火)晴れ
  • 参加者:丹生統(単独)
  • 行程:上大須8:15-洞の天井13:40~14:30-上大須17:40

 奥美濃の藪山に親しむ我々にとって貧雪は彼らを野放しにする大敵だ。だが貧雪の今季は麓から遠くて冬季に容易に近づけない山を登れるいい機会でもある。貧雪を嘆くばかりでなく発想を変えればチャンスでもある。嘗て「秘境の山」といわれたドウの天井は舗装されたダム管理道路歩きが主だが長いアプローチゆえ冬季はラッセルがきつく単独の日帰り山行が難しい。しかし今季なら絶景を見ながら天空散歩が楽しめるかもしれない。幸い当日の予報は晴天マークである。前日降雪があったが積雪は登山に支障がないと予測した。

 樽見駅を過ぎて板屋トンネルを過ぎると道路が白くなった。降雪翌日の道路状況は予測されたことだが貧雪に慣れて感性も鈍り出発時間が遅すぎたこと悔いた。

 上大須集会所付近は6㎝ほど積雪があった。集会所に駐車して北側の小さな谷を跨ぐと北上する急な尾根の獣道を追って取付き標高650mの鉄塔から西に7mほどトラバースして舗装されたダム管理道路のヘアピンカーブに出た。上大須ダムから3,6㎞の地点でこれより「ドウの天井」山頂直下迄8㎞ほどの道路歩き山行である。

<ルート図>

 出発時にカメラの電池切れに気付き携帯で代用した。この頃忘れ物が多く又「老いを実感する」。能郷白山は大きくてやはり奥美濃の雄である。今回は能郷や屏風の積雪偵察も兼ねての山行である。毎日伊吹山のみすぼらしい冬の容姿を見あげて嘆いているがやはり白山と名付けられた所以、この分なら3月初めころまで雪はありそうだ。

 屏風山といえば三角錐の山容でピラミダル、なぜ「屏風山」と名づけたかと思っていたがここから見ると確かに屏風をたてたような容姿である。扇子を逆さにしたような形容もあろうが「扇山」よりは「屏風山」の方がインパクトはある。中央の谷が屏風谷、その右の細い尾根が県境稜線である。こう見ると県境尾根は結構な急傾斜で突き上げている。

 雪は強風で飛ばされ舗装が出ている所も多く、また新雪は軽くツボ足で我慢したが標高1100mを過ぎるとそれも膝頭まで埋まりギブアップしてワカンを着けた。風が強いのだろう砂丘を思わせる吹き溜まりの山が幾つも出来ていた。

 屏風山左後方は銀杏峰と部子山。写真には写っていないが右後方には荒島岳が白い雄姿でカッコイイ。冬山初級講習計画がある3月1日まで充分雪は残りそうなくらい白かった。

 長いラッセルに辟易して最後は山頂へ続く西尾根を登る予定だった。平坦な道路は雪の吹き溜まりが多く尾根なら風で飛ばされうるさい藪を我慢すれば楽と思われた。しかし明神山からの県境尾根を見過ごして結局登山道を登った。この登山道の尾根が急で吹き溜まりとなっており辛かった。北に白山がひと際白く昨年GWの美濃禅定道往復を思い出した。

 山頂の三角点は心当たりがあったので直ぐに掘り当てた。点名・上大須Ⅱ等三角点。

 山頂は風もなく最高の日溜りと休息場所を提供して迎えてくれた。そしてこの絶景、東に御嶽山から北に乗鞍岳、穂高へと続き手前の尾根の間から笠ヶ岳の先端が覗いていた。その左におそらく黒部五郎から寺地山の主稜線だろう白い峰が続いていた。西は能郷白山から伊吹山山頂へ続く奥美濃の山並みが墨絵のようだ。集会所から5時間30分を要して山頂着、到着は13:40分と遅かったが絶景と春のような陽気に時の経つのを忘れてしまう。しかし日暮れが少し延びたとはいえこれ以上の長居はランプの助けが必要となる。14:30分重い腰を上げて山頂を後にした。

 上大須ダム、川浦ダムが出来る以前「ドウの天井」は登頂が難しい秘境の山であった。私はこの山を昭和50年秋に登っている。当時会員のUが「大阪わらじの会」のレポートを見て川浦谷に興味を持ったがクライミングに自信がなくて声を掛けて来た。私を含む4人で昭和50年9月14日に先ず「左門岳」を一泊二日で川浦谷・銚子洞から登った(岳友20号Uの記録)。奥美濃にこんなに険しくて奇麗な水の川が有ったのかと思った。キャンプ夕飯のおかずに「イワナ」を一人2匹、計8匹を30分ほどで釣り上げたのも印象深かった。この年夏に黒部上の廊下を遡行し沢泊3日間毎夕竿を振ったがボウズだった。

 2度目が「ドウの天井」で現小倉幹副会長も同行した。ルートは川浦谷・西ヶ洞からコゼイ洞谷経由で山頂に立ち箱洞を下降、一泊二日の沢登りをしないと山頂に立てない秘境の山だった。昔の西ヶ洞は現在より水が多く要領が悪いとヘツリで「ドボン」をやらかした。当時すでにダム計画は知られておりコゼイ洞で調査の為と思われる人を見た。コゼイ洞上流は滝が連続し尾根に逃げた記憶がある。その名瀑も川浦ダムの底に沈んでしまった。

 「ドウの天井」の記録を捜そうと岳友を引っ張り出したが何処にもない、当時は穂高といえば滝谷や奥又白谷・屏風岩、劔といえばチンネ・八つ峰、錫杖岳や北岳バットレスなどの記録は満載である。「奥美濃の沢登り」はランクを低く見ていたきらいがある。当時の我々の筆不精のせいかもしれないが今になって思えば勿体ないことをした。

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