大垣山岳協会

行市山 2014.03.02

行市山

月報「わっぱ」 2014年4月(No.389)

【 月例山行 】 行市山ぎょういちやま (659.7m Ⅲ△ ) 桐山 美代子

  • 日程:2014年3月2日(日)
  • 参加者:L.藤井利、藤井真、河合幸、後藤友、古林定、田中善、米山多、衣斐剛、丹生統、安藤正、大原和、大橋辰、大塚花、近藤初、桑原美、馬場昭、桐山美
  • 行程:大垣7:00=新堂・毛受の森登山口(長浜市余呉町)8:15~30-徳山五兵衛秀現砦跡分岐9:00-別所山9:30-行市山10:30~11:15-別所山-徳山五兵衛砦跡-登山口13:30=大垣15:10
  • 地理院地図 2.5万図:木之本

 琵琶湖北岸の賤ヶ岳からこの辺り一帯は秀吉が柴田勝家・佐久間盛政を破った賤ヶ岳の合戦の戦場であり、今日はその史跡巡り山行だ。一方、個人的にも私の飛騨高山の実家のご先祖が、越前大野領主金森長近の配下として柴田勝家側に参陣したらしいことからなじみ深い山域でもある。

 前日の雨は朝方やんだ。総勢17人、登山口からしし囲いの金網の扉を開けて雪のない落ち葉の踏み固められた登山道に入った。山頂まで100m間隔で距離表示板があり、山頂まで3300m。このコースは合戦時、柴田勝家側に組みした北陸の大名達が段々状に陣城を構築した尾根筋だ。

 しばらく明るい尾根歩き。林道(池原小谷線)を横切り、コナラ、ミズナラやブナなどの二次林内を登ると雪が現れ、前田利家・利長父子の砦跡がある別所山に着く。かなり広く土塁も残っている。

 行市山へと続く尾根道は二次林の中の急登。次第に積雪は増えて30cmほどある。行市山のなだらかな山頂は広々と雪に覆われいた。ここに佐久間盛政の軍勢8000人が集結した砦跡があったというが、それらしい痕跡は目に入らない。好天ならば、絶景といわれる眺望は厚いガスでゼロ。

 陽差しもなく寒さにふるえる。昼休みを早めに切り上げ、同じ道を雪に時々足を取られながら下山。途中、登る時に素通りした徳山五兵衛秀現の砦跡に向かう。登山道から約10分下った丘の上の畳6枚ほどの切り開きに砦跡の標柱があった。

 五兵衛秀現は別称五兵衛則秀という。我が会のホームでもある美濃徳山(現岐阜県揖斐川町)を支配した武将で、賤ヶ岳合戦では負け組となったが、しぶとく生き抜き復活。子孫は徳川政権で代々旗本の要職を維持した。負け戦となったであろう砦の様子を眺めると、その後の一族繁栄が不思議に思える。

コメント