大垣山岳協会

歴史散策 行市山 ~ 柳ヶ瀬山 2020.11.17

柳ヶ瀬山

【週日山行】 行市山( 659.7m Ⅲ△ )~ 柳ヶ瀬山( 439.1m Ⅳ△ ) 丹生統司

 我が会11月の週日山行は天正11年の賤ケ岳合戦における柴田勝家方陣地である行市山から柳ケ瀬山(玄蕃尾城跡)を歩いた。11月中旬とは思えぬ暖かさで上着を脱ぎ汗を拭きつつ歩いた。嘗ての軍用道には大きなブナが有り幹には熊の爪痕、陽に映える紅葉を眺め、見上げて秋の芸術を堪能した。足元の秋の恵みも収穫し充実した一日だった。

  • 日程:2020年11月17日(火)
  • 参加者:L.堀 義、安藤正、岩田嘉、大橋礼、小倉繁、桐山美、清水照、竹森せ、丹生統、堀 洋、宮澤健
  • 行程:毛受兄弟・登山口8:45-別所山砦跡9:55-行市山10:55-倉坂峠12:45-点名・中尾山12:55-玄蕃尾城跡10:05~14:00-柳ケ瀬登山口14:55

 賤ケ岳の合戦は秀吉の快勝に終わるが毛受兄弟は柴田勝家を逃がすべく身代わりとなって討ち死にしたそうだ。合戦後にあっぱれな戦いぶりに秀吉はいたく感動し亡骸を丁寧に葬ったとされる。地元の方々によって現代も綺麗に清掃され保存されていた。

 新堂集落、毛受兄弟の墓所で一旦参加者を降ろして柳ケ瀬山の登山口に車をデポし引き返した。獣害除けの柵を開けて出発した。

 林谷山砦跡、この付近には徳山五兵衛(美濃徳山村)や金森長近(越前大野)等が陣を布いていたが敗色濃くなる前早々に戦場離脱したそうだ。

点名・新堂 Ⅳ等三角点368m 中谷山との山名板が有った。

立派な鉄製階段があり林道を横断した。此処で休憩をした。

杉の植林帯が終わると広葉樹林となって素晴らしい紅葉(黄葉)で有った。

 別所山砦跡、此処に陣を布いた前田利家は秀吉の反撃が始まると早々に戦線から離脱した。柴田方は林谷山より別所山、行市山、玄蕃尾城迄人馬が駆け抜けられる軍用道路で結び鉄壁の陣構えであったが戦うことなく放棄された。

 点名・行市山 Ⅲ等三角点659,7m 今日の周回ルート最高点である。ここに陣を布いた佐久間盛政は秀吉方の大岩山砦、岩崎山砦を急襲して先勝するが秀吉の反撃に遭い孤立した。柴田本陣との連絡が断たれ敗因の元になったとされる。

秋の贈り物、ヒラタケとみて収穫。

ナメコ

大きなブナの幹には熊が上り下りした爪痕が残っていた。

 倉坂峠(刀根越)へは急な下降で注意を要した。コルから玄蕃城跡へは手入れの行き届いた遊歩道になっていた。

 点名・中尾山 Ⅳ等三角点 標高439m 標石は標高460mの最高点から南に500mの位置にあった。標石になぜか陶器の湯のみや赤いプラスチックが、意味不明?

 深い空堀、高い土塁、これまで見た砦跡では最高に堅固な遺構に思えたが、なぜこれほどの要塞を放棄して逃げたのだろうか、戦わねば勝ちはない。

 柴田勢本陣跡の高みで記念写真。

 柳ケ瀬集落へ向け下山を開始、軽トラックが走れるほどの広い道は落ち葉で埋まっていた。

 さて秋の恵みのキノコであるがナメコは湯を通して大根おろしにカツオだし醤油でいただいた。ヒラタケは豚肉、白菜、豆腐、ニラをたっぷり入れて美味しく鍋でいただいた。ビールとキノコの味覚が噛み合って美味かった。妻はヒラタケには箸を付けなかったが、完

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