【週日山行】南宮山(419mⅡ等△) 不破郡垂井町宮代 NT
2026年当会の安全祈願山行は関ケ原古戦場の桃配山・徳川家康陣地跡から南宮山へ縦走して大社へ下山した。例年のごとく参加者は全員大社拝殿へ昇殿し安全登山を祈願、お祓いを受けて今年1年の安全登山を誓った。

- 日程:2026年1月21日(水) 天候:晴れ
- 参加者:L.NT、OS、OS、KM、GY、TS、NY、FT、MT、YN、WY、HY、IS
- 行程:関ケ原古戦場、桃配山徳川家康陣跡8:45-点名・大高9:39-南宮山山頂10:35-展望台(毛利陣跡)11:12~56-南宮大社13:00
- 地理院地図2.5万図:大垣、関ケ原
1600年の関ケ原合戦の折り家康は古式に従って此の地で兵に桃を与えて士気を高めた。以来此の山一帯を桃配山と呼んだ。これより南東へ延びる尾根から南宮山を目指した。

伊吹山から南東に延びた尾根は相川山で東に向きを変えて池田山へ至る。振り返ると背後に陽を受けた明神山から池田山へ至る稜線が見えていた。

標高340mの峰へ上がりきる寸前に上から声がかかった。会員のW女史が関ケ原の烏頭坂から登り先着していた。読図で此処へ登ってくることを予知して待っていたのだ。

340m峰から160mほど歩くと点名・大高(342,2mⅣ等△)だった。標石柱は落葉樹の幹の根元に抱かれるように鎮座しており判り辛く危うく見過ごす所だった。

標高380mに中電の鉄塔が有って此処から北東方向御嶽山の眺めがすこぶるいいはずなのだが今日は雲が低く山頂部は隠れていた。鉄塔北側の雑木が大きくなっていた。

鹿が食んで丈が短くなったヤブ原を南へ移動すると南西に冠雪した鈴鹿の霊仙山とソノドヲが見えている。これまでも伊吹山が疎林の枝越しに見えていたが写真が旨く撮れなかった。

朝倉山から延びて来た尾根の分岐に手書きの概念図案内板が有った。道迷いが有るのだろう、整備された登山道歩きに慣れた人にとって落ち葉で埋まった道は迷いやすいようだ。

南宮山(418,9m点名・牧田村Ⅱ等△)を囲んで集合写真、近くの木に手作りの山名板が幾つか括られていたのだが全て撤去されていた。

午後から私用が有る為関ケ原へ引き返すW女子とは此処で別れた。南宮山西面の尾根は彼女のトレーニング道場で有り心配は無用だ。

東へ向かって大きな鞍部を越え三ツ目の高みが標高404mの展望台である。竪堀や堀切、曲輪跡が現れ此処が嘗て関ケ原合戦で毛利氏が構築した陣跡だったと知ることができる。

此の高みから麓にかけて毛利とその友軍29000の兵が詰めていた。今朝方の登山口、桃配山の家康本陣を西の三成と東の毛利勢が挟撃すれば天下は毛利のものだった。だが日和見をしている中に戦は家康の大勝利で終わった。毛利は戦後の仕置きで領地は120万石から1/4に削減された。敗軍となっても勇猛果敢に戦い所領を1石も減らさなかった島津とは対照的だ。小田原評定で結論先延ばしの現代日本の議員と何処か似ていないか・・・

濃尾平野を眺めてランチタイムを過ごしていると恵那山の北の雲が切れて冠雪した中央アルプスがクッキリと見えて来た。と、思ったら伊吹から寒風が吹き下ろし慌てて下山した。

展望台(毛利陣跡)を出ると底冷えするような冷気が樹々の間から抜けていく、濃尾平野を眺めていた時の長閑な空気は既になかった。伊吹山から相川山、明神山へ延びる尾根が雪雲で覆われ煙っていた。昨年は展望台から下山に1時間40分もかかって大社の待機組に大迷惑をかけた。今年はメンバーの足が揃っており順調に大社へ降り立った。

関ケ原から車の回収を済ませると拝殿への昇殿が許さ全員で1年の安全登山を祈願しお祓いを受けた。年に一度お参りをすることで安全を再認識、決意を新たにした。今年も1年、安全登山を心掛け楽しく沢山の山に登りましょう。完


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