大垣山岳協会

2025年安全祈願登山・象鼻山~南宮山 2025.01.23

南宮山

【 週日山行(安全祈願山行) 】
象鼻山( 129.9m Ⅳ△ )~ 南宮山( 419.0m Ⅱ△ ) 養老町橋爪~垂井町宮代
NT

 当会2025年の安全祈願登山は象鼻山から九十九坊寺跡、栗原山を経由し南宮山毛利陣跡(通称展望台)へ至る主稜線を歩き垂井町南宮大社へ下山した。その後全員で大社拝殿に昇殿し今年の安全登山を祈願した報告である。

<ルート図>
  • 日程:2025年1月23日(木) 晴れ
  • 参加者:L.NT、IS、IK、IY、OS、OS、KT、KM、ST、ST、TS、HA、FT、MT、MK、RH、YC
  • 行程:象鼻山登山口8:45-象鼻山9:05-九十九坊跡9:37-栗原山10:13-乙坂峠11:23-毛利陣跡展望台12:28~13:00-南宮大社14:40~15:20
  • 地理院地図 2.5万図:大垣

 何度も訪れている象鼻山であるが登山口傍の石碑に刻まれている文字を初めて読み牧田川で戦国期に近江浅井と美濃土岐氏の激しい合戦が有ったことを知った。また象鼻山下の道路が嘗て多良街道と呼ばれ中山道が参勤の行列で警護が厳しい中、気軽に旅人に利用される裏街道だったことなどを知った。

 頑丈な鉄柵扉を開けて進入、急な舗装道路の両脇は高木の常緑樹に覆われて空が見えない。

 象鼻山は70基に及ぶ古墳群となっており弥生後期から古墳時代の築造とされている。桜やモミジが植えられ公園化されており春と秋に訪れる人も多い。

 象鼻山山頂は1号古墳(前方後方墳)である。そこからは濃尾平野が見渡せて権力者の墳墓にふさわしい。機内政権に敵対した「狗奴国が東海地方に存在したとの説があるが、その王や豪族では」と地元教育委員会の説明書きが有った。しかし、出土品の朱壺は機内大和王権が地方首長に下賜したとされるのが定説でその影響下にあったと思われる。

 九十九坊跡に着いた。斜面に並ぶ凄い数の石碑や五輪塔は栗原山の尾根に有ったものを集めたようだ。天台宗・久保寺双寺は僧房九十九を数え鎌倉期に隆盛を誇ったが南北朝の混乱に巻き込まれ足利、新田の戦で焼失したとの説明書きが有った。

 樹齢400年といわれる二本の幹が同化した「連理のサカキ」。また、竹中半兵衛が主君斎藤興龍を諫める為に岐阜城を乗っ取るがその後此処で一時期幽閑生活を送ったと伝わる。1600年の関ケ原の役では長宗我部が陣を置き日和見を決め込んだ地でもある。

 栗原山へはヒノキの植林帯となって昼なお暗い山道を進んだ。尾根に上がりきると収容しきれずに残された五輪塔のパーツが付近に散乱していた。この尾根一帯が墓地で有ったと思われ歴史の深さに感銘した。

 清水寺への道標をやり過ごして進むと市杵島神社(いちきしま)の標識が有った。これまで面倒で立ち寄ることをしなかったが樹間越しに見えたので足早にお参りした。市杵島姫を主祭神とし水の神様として知られているようだ。

 栗原山到着(点名・栗原235,28mⅢ等△)標石柱文字面の向きが南側ではなく北東側を向いており珍しい。

 栗原山から西へ小さな起伏を繰り返し見晴らしの良い鉄塔基部へ到達した。東の展望が確保され見覚えのある金華山と百々ヶ峰が見えている。生憎の春霞で御嶽山は見えない。

 中電の鉄塔巡視路は北に向かって急な階段となって下った。これまで史跡の見学でチョコ停が多く展望台到着時間が大幅に遅れそうな気配であった。

 標高298mの峰に向かって急傾斜の道を登らねばならない。御年89歳のIYさんには辛い登りだが後一頑張りだ。

 旧宮代村と旧乙坂村を結ぶ乙坂峠を越えて山道をすすむと「山神」と書かれた石碑があった。南宮山は東の象鼻山から西の関ケ原観音山まで信仰の山であると気付かされる。

 尾根の途中から南宮大社の境界石と思われる「境」と彫られた自然石を幾つか数えると大社から登って来る道に合流した。傾斜が落ちるて楽になった展望台は直ぐそこだ。

 大社からの道に合流すると関ケ原の役で築造されたと思われる堀切や土塁を越えた。毛利陣跡404m(通称展望台)は南の展望が確保され東屋やベンチが有ってくつろげる格好の高みだ。山頂(419m)へは歴史散策に時間を取られ過ぎていた為に中止した。

 濃尾平野を眺めておしゃべりに花が咲くランチタイムとなった。1月というのに暖かく春霞が発生して名古屋のビル群は見えなかった。

 南宮大社の境内は午後3時になるというのに参拝者が多かった。社務所で受付を済ますと全員の昇殿が許され安全登山を祈祷し祓いを受けた。御下がりのお神酒は26日の総会参加者に振る舞う予定である。

 神事で使われるサカキは漢字で「榊」と書く、「木」へんに「神」と書く、「榊」という字は中国から伝来した漢字ではなく和製漢字のようである。サカキの語源は人間世俗界と神の聖域の「境」を現す「木」、つまり「境木」が転じて「榊」になった説と「栄える木」が転じた二説が有るようだ。

 祈願をしたからといって安全登山が担保されるわけではないと誰もが知っている。山が非情で無常であることは短い山歴だが何度か身につまされている。年に一度お参りをすることで安全を再認識、決意することは非常に大事である。今年も1年、安全登山を心掛け楽しく沢山の山に登りましょう。完

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