大垣山岳協会

2025年、賀寿祝賀会&忘年登山(NO2)・賎ヶ岳~山本山編 2025.12.07

賤ヶ岳

【月例山行(忘年山行)】賤ケ岳(421m Ⅲ等△)~山本山(324m Ⅱ等△) 長浜市木之本町 NT

 賀寿山行2日目(7日)は新たな参加者7名を加えて木之本町大音から賤ケ岳へ登り還暦登山者を祝福、その後点名・西山360m、古保利古墳群を経て山本山まで縦走の予定である。

<ルート図>
  • 日程:2025年12月7日(日)  天候:晴れ
  • 参加者:L.NT、IK、IS、ES、OS、OS、OM、GY、SK、ST、TM、TS、TK、NY、FT、FI、HN、MY、MT、RH、YM、WY
  • 行程:大音登山口8:13-賤ケ岳 9:03-点名・西山9:56-磯野山城分岐10:23-山本山12:14~57-朝日小学校駐車場13:22
  • 地理院地図2.5万図:木之元、竹生島

 宿泊組は山荘を後に365号から8号に出て大音登山口へ着いた。そして新たな本日参加者7名が合流し、朝日小学校駐車場へ車をデポ、メンバーが終結して賤ケ岳へ向け出発した。

リフト沿いの九十九折登山道から稜線へ登り切ると足下に琵琶湖と北部の山が眺められた。

大音登山口から50分ほど費やし賤ケ岳山頂に着いたが雪は無いと言っていいほど。時間が早いせいか古戦場マニアは少なく広い山頂は空いていた。三角点付近から足下に余呉湖、その先に冠雪した横山岳、その左に昨日登った七々頭ヶ岳が見えている。余呉湖奥の北陸自動車道と国道365号左の高い山は柴田勝家の本陣跡の行市山660mで薄く雪を載せていた。

広い賤ケ岳山頂にはパラパラと5~6人ほどの登山者しかおらず昨日使用したAM.L作成の横断幕を掲げて本年還暦のTKさんを祝福、記念写真を撮った。他の登山者にはばかって万歳は自重した。

集合写真を撮り終えていよいよ南の山本山を目指す気を高めたが、目的の山は遥か彼方に霞んでいた。写真中央のピラミダルな高い山は点名・西山360,2m(湖北丸山)である。

賤ケ岳山頂を後に山本山へ出陣、今日の日中は暖かくなりそうな気配で助かった。雪解けのぬかるみを心配したが足元は乾いており靴の汚れも心配無さそうだった。

琵琶湖東岸の集落は峠道で高時川周辺の穀倉集落と結ばれていたようで古代から続く水運の交易路だったかもしれない。山本山までの縦走中には幾つもの小さな峠を跨いだ。

点名・西山(360.2mⅣ等△)着、付近の木に「湖北丸山」と書かれた手製の山名板が括られていた。地形図で現在地の確認を指示すると未だ1/4しか来てないと嘆く声が聞こえた。

尾根にナラ系の樹木が多くなると落ち葉の絨毯が続きカサカサ音が気持ちよくて足が前へ前へと動いたようだ。疲れを感じないのか昨日の雪道とは違って皆の足取りが軽かった。

磯野城分岐標高320mに到着、西野山と書かれた山名板が有った。此処より20分で磯野城跡の道標が有り、東進した標高300mの高みが城跡で点名・赤尾の三角点石柱がある。

磯野城分岐を過ぎると山本山までの稜線上に小保利古墳群が延々3㎞にわたって続いた。長浜市教育委員会の説明看板によれば古墳時代初期(3世紀)から終末期(7世紀、飛鳥時代)の前方後円墳や後方墳、円墳など130基を越える規模の古墳群のようだ。

墳墓の連続する峰を外してトラバース道が整備されており右側の高みの古墳を横目に進む。

古墳群を終えて標高250mから50mの急登が続いた。これを過ぎると山本山城跡の堀切等の遺構が出て来た。この城跡は平安末期の築城とかで清和源氏の一族が居城にしたという。

山本山城本丸跡とみられる広い敷地の南の高みに点名・山本山(324mⅡ等△)が有った。その南の二の丸と思われる日当たりの良い広場で陽を浴びてランチタイムを過ごした。

山本山保存会によれば「山本山」は「朝日山」「田中山」「白山」と地元で呼ばれ琵琶湖の何処からでも見えることから「見当山」とも言われ5ツの名を持つ山だそうだ。

常楽寺の急階段を下り終えると右手に朝日小学校が見えて賤ケ岳からの長い縦走を終えた。

昨日は雪の七々頭ヶ岳で深い雪と戯れ夜は酔いに任せて時を忘れた。今日は落ち葉を踏んで約12㎞の低山縦走が楽しめた。年末にかけても当会の山行は続くが一ツ重要行事を終えてホッと一息だ。来年もまた楽しい企画の登山を楽しもう。完

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