大垣山岳協会

令和6年古希祝+忘年山行・余呉湖山域周回 2024.12.01

大平良山

【 月例山行(還暦古稀祝賀忘年山行) 】 賤ヶ岳( 421m Ⅲ△)、大平良山( 458m Ⅳ△ ) 滋賀県長浜市余呉 NT

 我が会は例年11月末に還暦、古希、傘寿の祝賀と忘年山行を兼ねての宿泊山行が恒例となっている。本年の祝賀該当者は2名、山行は余呉湖を囲む山を周回した報告である。

<ルート図>
  • 日程:2024年11月30日~12月1日(土・日)
  • 参加者:AM、IK、OS、GY、SD、SM、SM、TS、NY、NH、NY、NT、HT、MK、MY、MT、YC、YH、YM、FT、FM
  • 行程:後述
  • 地理院地図2.5万図:木之本

11月30日(土) 天候 雨  懇親会 ウッディパル余呉宿泊

 この日は雨で七々頭ヶ岳登山が中止となり出鼻をくじかれた。午後2時半に出発時間を遅らせ大垣を出た。ウッディパル余呉では2棟のコテージに分散宿泊だが古希の祝賀会等はレストランを貸し切っておこなった。今年は吉田正敏、後藤好美さんの2名が古希祝賀対象で記念品を贈呈した。その後は料理に舌鼓をうつ。

 YMさんのギター演奏が始まると宴たけなわに、彼は羽島市開催の「NHKのど自慢」に応募、予選会で見事に落選したとの体験談を披露された。6000人を越える応募の中で200組のみ抽選で予選会に出場、テレビ放送の本選は20組のみでかなりの難関のようだ。

 H君もギターと喉を披露して山登りと違う一面を見せた。その後はコテージへ帰って2次会、各々持参の酒の自慢話から始まって山談議へ・・・明日の山登りのことなどすっかり忘れてコテージの灯りを誰が消したのか覚えていない。

12月1日(日) 天候 雨後曇り後晴れ 余呉湖山域周回

  • 行程:余呉観光館9:45-岩崎山10:04-中川清秀墓10:33-賤ケ岳11:46~12:32-飯浦越12:50-公法寺山13:18-大平良山14:05-権現峠14:42-駐車地15:49

 SD他のクライミング組6名は早朝に飯抜きで京都金毘羅山へ向け出発した。残されたハイキング組は8時半からのんびり朝食を戴いてからコテージを出た。余呉観光館の駐車地は既に満車で隣のワカサギ釣場に停めた。先ず賤ケ岳を目指すが岩崎山砦跡(点名・江戸Ⅳ△)を途中見学、この砦はキリシタン大名の高山右近が守備していたそうだ。

 尾根は杉の樹林で暗く朝までの雨で足元は悪かった。黄葉した樹木が有ると明るく感じた。

 賤ケ岳合戦で柴田方の佐久間盛政は秀吉方中川清秀が守る大岩山砦を急襲し清秀を討ち取る。だがこの勝利が秀吉の大反撃で潰走のきっかけを作る。清秀は死んだが中川家を継承した子孫は秀吉、家康に仕え豊後岡藩へ転封となって明治維新まで続いた。この墓は清秀の百回忌に4代藩主が建立した。明治期に廃藩置県による廃城令で岡藩居城は破却された。滝廉太郎は幼少期に遊んだ岡城廃跡の印象を「荒城の月」のメロディーで表現したと伝わる。

 尾根の所々で紅葉を楽しむ。

 雨は止んでも雲は低く垂れ込めていた。だが時間の経過とともに雲の切れ間に太陽が時々顔を出した。陽射しを受けて映える黄葉の美しさに立ち留まってカメラを向けた。

 賤ケ岳山頂着、南東に長浜市街が見渡せ、その先に伊吹山が山頂部に雲を抱いていた。南に目を転じると足下に琵琶湖が鉛色の水面を映えさえ竹生島を浮かべている。賤ケ岳山頂から左岸の奥琵琶湖を縁取るように細い尾根が南へ続き山本山がピラミダルな山容で格好良かった。

 北に余呉湖を見下ろす。周回コースの大平良山が見えて、そのズ~と奥に行市山が、佐久間盛政は柴田本陣の玄蕃尾城まで馬が走れる軍道を造り鉄壁の要塞を築いた。だが大岩山砦の先勝に酔い引き時を誤って秀吉の反撃に総崩れとなって柴田方本隊の壊滅を招いた。

 山頂には大勢のハイカーがいてあちこちに陣取り晩秋の日光を浴びて食事をしていた。人混みを避けて南へ行くと撮影に丁度良い段差の階段を見つけた。赤く色づいたモミジの背景も好都合、ここで集合写真を撮った。

 北の三角点付近へ再度移動して担ぎ上げた4本のシャンパンの栓を抜いた。ザックの中は相当ユルユルだったようで瓶は揺すられ暴れていたようだ。開栓の音と共に溢れて屍の眠る大地に注ぐ献杯となった。半分ほどに減ったシャンパンで古希の祝いの乾杯をした。

 大平良山への周回で最初の峠、昼なお暗い飯浦越えの切り通しへの下降、先行した仲間が真下に見える。これほど深い切り通しは合戦前に柴田軍侵攻への備えとして強化要塞化されたのであろうか、上部から飯浦側斜面に2段の犬走りも確認出来た。

 飯浦越えの地蔵菩薩。琵琶湖最北深部の班浦港が北国との往来で賑わった頃は余呉周辺住民との生活交流も活発だったと思われる。元々は飯浦に在ったものを持ち上げたようだ。

 塩津への下山路の公法寺山380mを過ぎ広い広葉樹の尾根を進んだ。キノコが有りそうな雰囲気であるがサルノコシカケ以外は見つからない。途中には動物のヌタ場が有った。大平良山458mで集合写真を撮った。賤ケ岳より30mほどこちらが高い。

 大平良山からは杉の植林帯となって単調で暗く湿気の多い尾根歩きで有った。ヒルが多そうで夏は立ち入りたくない尾根だ。石灯篭が出て来て権現峠と確認したが、自身の読図では峠は未だ先と読んでいた。もっと拡大した地形図でないと読図もおろそかに、情けない。

 峠から東へ下ると斜面は広葉樹となって谷は明るく秋の山に浸りながら下る。だがガードレールの敷設された舗装道路が接近し並走が終わると谷中の杉林が延々と続き辟易とした。

 地形図に記載のない作業道が幾つか有って騙されそうになるも高度を下げるごとに足元のシダが消え石コロが小さくなると舗装道路となって獣害用の柵を潜って余呉湖を見た。

 集落から県道へ出ると観光館の駐車地を目指しリーダーを置いてきぼりにして歩いた。県道から農道に入りショートカットを試みる者など各々が自由に最短時間を競うように駐車地を目指した。駐車地へ着き北の方向の山を仰ぐと雲が覆い裾野に白く雪が見える。おそらく横山岳の尾根であろう。今日から師走、雪山がそこまで来ている。完


コメント