【 初登り・月例山行 】 多度山( 402.8m Ⅱ等△ ) 三重県桑名市多度町油井 NT
当初、2024年初登山は高賀山を予定していたが天候不順が予想され三重県桑名市の多度山へ変更した。大社近くの駐車場へ着くや雨が落ちて来て傘をさし出発したが山頂へ着く頃には青空が覗いていた。下山後は大社へお参りして今年の安全登山を祈願した。
- 日程:2024年1月7日(日) 雨後晴れ
- 参加者:L.FT、SL.FI、AI、OM、KM、GY、ST、SM、TS、TK、NY、NT、FM、MY、MK、MM、YT、YM、UT(体験)
- 行程:大社駐車場8:15-多度山分岐9:48-海の展望所10:00-多度山分岐10:23-多度山10:40~11:44-大社12:35
- 地理院地図2.5万図:阿下喜、弥冨
名物の大社への大鳥居を目指す車の中から綺麗な虹が見えた。案の定、出発準備をしているとポツポツ落ちてきて傘や雨具を着けてスタートした。新年早々雨とは・・・
民家が途切れた先に小さな谷が北へ延びていた。右岸の山道を辿り獣害柵を開け進入した。
本日体験参加のU嬢、孫のような年代で笑顔が眩しい、年甲斐もなく若い女性が近くにいるだけでウキウキ、若手に声を掛けたのだが生憎先約があり我々がお相手をすることに。
多度山はおそらく初めて登ったのだが事前勉強を怠っており帰宅後調べて中道コースを登ったことを知ったが遊歩道が網の目のように多い山の印象だ。里山の道中にはこういった地蔵が残されており立ち止まって観察するだけで歴史に触れた気分になった。
道脇に腰を下ろし休息出来るように丸太が組まれていた。板でこしらえた「座椅子」のようなものも吊り下げられていた。おそらく多度登山を日課にしているお馴染みさん同士が此処で休憩するのだろう。岐阜の金華山や赤坂の金生山にも日課にしている人が多い。
縦に溝のように深いシワを刻んだ大きな古木の幹に目を奪われた。カシかクスの木と思われるが地上に出た根張りにも古さを感じ登山靴で踏むのが申し訳なく心で手を合わせた。
二つ目のお地蔵さんに会った。かなり古そうだ、さっさと通り過ぎるのがもったいなくて写真を撮った。F、Mの両氏も呼び止めた、これが3人共々仲間とはぐれることに・・
帰りの多度山への分岐は地形図で確認をしておいた。地蔵の撮影等は僅かな時間だったが仲間の集団が消えており追いかけた。途中で「展望所迄200m」の標識が有ったが山道を指しており方向が違うので無視、そのままコンクリートの急坂の道を早足で追った。
コンクリートの急坂を結構な勢いで追ったが仲間は見えず声も聞こえない。一つ目の林道分岐は方向が違い無視、コンパスの方向を480mの最高所に合わせ進む、次の分岐は南へ下っており此れも無視、それらしい高みに道はなくいつしか北へ向かっており引き返した。
展望台へ行くと言っていたのを思い出し最初に方向が違うと無視した「展望所迄200m」の標識地点へ戻った。それの指す山道へ進入したが、高みの鉄塔にもおらず携帯でF.Lを呼び出した。下写真(S女史の提供)の「光る海の見える展望所」には辿り着けなかった。
多度山分岐で合流するや「読図がなっとらん」と厳しいお言葉、面目丸つぶれであった。
475mの高みから402mの多度山へは幾つもの電波塔を横目に見ながら広い砂利道を下った。道中も勿論「展望所」へ辿りつけなかったことをいびられて理事長は形無しだった。
多度山は見晴らしよく名古屋のビル群まで望め足下に宝暦治水の千本松原を見下ろした。
その眺望に恵まれた故に電信が未発達の明治期、桑名の米穀取引所の相場を「旗信号」で名古屋や四日市、大垣などにより早く伝える中継基地が有ったようだ。(写真はM氏提供)
今日の参加者の集合写真。この後、南の斜面で日向ぼっこしながら長い食事休憩をした。
帰りは多度山から一旦100mほど引き返し南へ下りる尾根、健脚コースを下った。3~5歳ほどのお子さん連れの家族登山者とのすれ違いが多く地元や名古屋近郊の方に親しまれている里山と感じた。要所の古い地蔵はそんな里山の日常を見守って来たのだろう。
下山後に大社で今年1年の安全登山を祈願した。多度と言えば南北朝時代から続く「上げ馬神事」で有名だが動物虐待の抗議にコース最後の壁が削られ白いシートで覆われていた。祭りは古来より若衆の男気がもてはやされた。諏訪の御柱祭、岸和田のだんじり、博多祇園山笠など迫力や豪壮が名物で危険も伴う。山登りも馬鹿と煙はなどと揶揄される、100%安全な登山は無く基礎技術や知識の習得を怠らず批判を招かぬ努力の継続が必要だ。
下はリーダーに戴いた地形図に今回間違え歩いた所を緑の線で書き足し、説明を加え一部を切り取り拡大した。海の見える展望所は「高み」とばかり思い込みコンパスは480mの最高所の等高線に合わせ進行した。南へ向かう林道分岐が有ったが下っており無視した。
コンパスの指す方向に「高み」は有ったが道も踏み跡もなく展望所は発見出来なかった。
行き過ぎに気付き引き返す。地蔵が有った場所からすぐの所に「展望所迄200m」の標識があったからだ。だが山道を辿った先の展望所と思われる鉄塔の有る所に仲間は居なかった。
先へ進んだが道が下り出したので引き返し携帯で連絡を取り合い多度山へ続く分岐で合流した。
地形図を拡大して冷静に自分達の歩行跡を地形図に書き込むと間違えた原因が簡単に理解できた。
① 展望所は「高み」との思い込みが有って480m最高所等高線にコンパスを合わせて北側の高みばかりを目視で捜していた。
② もらった地形図はGPSの軌跡で南へ向かう赤線は誤って進入した跡との思い込みがあった。この赤線の南へ下って切れている所が展望所とは全く思っておらず、冷静に考えれば展望所が高みとは限らず下った先の見晴らしが良ければ展望所なのだ。
山登りは奥が深い、500mに満たぬ里山で結構焦って結果的には徘徊となった。冷静にもっと地形図を深読みしておれば今回の失敗は無かったが新年早々一つ勉強出来て成長させて戴いた。75歳になろうというのにまだ山に教えられ育てられている。本日体験参加のUさんからは早々に入会の確約を頂いた。山登りは生涯勉強で学びを継続しなければならない遊びである。山に教えを請う仲間を得て嬉しい、一緒に成長しましょう。完
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