大垣山岳協会

新雪の穂高を眺めて・藪漕ぎ 2022.11.06-07

笠ヶ岳

【 個人山行 】 笠ヶ岳クリヤ谷 丹生 統司

 またぞろコロナが騒々しくなった。議論と人混みを避けて単独絶景を楽しもうとクリヤ谷から笠ヶ岳を目指したが藪漕ぎにギブアップして退散した。新雪の穂高や錫杖岳前衛フェースの写真はボツにするには勿体なくて披露することにした。

<ルート図>
  • 日程:2022年11月6,7日(日,月)
  • 参加者:丹生統(単独)
  • 行程:後述
  • 地理院地図 2.5万図:笠ヶ岳

11月6日(日)

タイム:槍見9:45-錫杖沢出合11:55-キャンプ地標高1660m 13:25

 中尾口のヘリポートから見える景色である。雪化粧した南岳が南西尾根を滝谷出合に落とし、中岳と大喰岳は重なって見える。その奥に槍ヶ岳の黒い穂先が天を突いていた。明日はこの景色を笠ヶ岳山頂から眺める予定である。笠ヶ岳まで行くには遅い出発だが適当なキャンプ地が錫杖沢出合しかなく時間調整である。

 前日にクリヤ谷は通行不能という情報を得たが今更中止は考えなかった。何とかなると、それよりも今季初めての冬靴とザックに入れたアイゼンが重かった。

 クリヤ谷に昔はこのような吊り橋が有ったことを証明する貴重な写真だ。小倉幹、三輪唯さんが居て私の髪もフサフサだ。前衛フェースを登った帰りだと思うがルートは覚えていない。錫杖に通っていた頃は健在だった吊り橋だが、その後に大雨で流されたのだろう。以後は渡渉となって雨後に事故が起きたようだ。笠ヶ岳へは抜戸岳に新道が造られると、これを使うよう指導されクリヤ谷ルートは廃れたと聞いている。

 この赤い標識も私たちの若い頃から有ったものだと思われる。半分ほど幹の中に取り込まれて年月を感じる。

 渡渉を終えると左岸の登山道を進む、前衛フェースに通うクライマーが多いのか道は良く踏まれており歩きやすかった。先ず大木場の辻と錫杖岳の稜線上にある三本槍の岩峰が見えて来た。

 クリヤ谷が北に向きを変えるといきなり前衛フェースの岸壁が現れ、その迫力に誰もが圧倒される。この壁に初めて挑んだのは昭和48年で三輪唯夫さんとである。それまで穂高や剱岳、北岳の岩場しか知らなかったが前衛フェースの虜になって通うことになった。

 錫杖沢の右奥に錫杖岳本峰が有る。若い頃には山頂に行ったことが無く60歳を過ぎて初めてピッケルの埋め込まれた頂に立った。今日はクリヤ谷の岩屋を求めて錫杖沢出合のテントサイトは通過した。

 初めて前衛フェースに挑んだ時に利用したクリヤ谷の岩屋であるが記憶に残るイメージと違っていた。岩はスラブ状ですっきりしていたような、谷水は瀬音を発てていたと。それが岩の形状はともかく谷は干上がって水が流れていない。懐かしい岩屋を今夜の宿にと思っていたがもっと上流でキャンプ地を捜すことにした。(この岩屋は最初の1回きりで以後は全てもっと壁に近い錫杖沢の岩屋を使った)

 若い頃、何度か前衛フェースに通いながらクリヤ谷の岩屋から上流には一度も足を踏み入れたことがなかった。写真左の岩峰は烏帽子岩だろうか、右奥の岩峰は錫杖岳本峰だろうか、初めての景色にウキウキである。笠ヶ岳は抜戸岳や弓折岳から冬と夏に登っていたが2度とも天気が悪くて穂高や槍は見えなかったが今回は天気も良さそうで楽しみであった。

 錫杖沢出合を過ぎると道は笹が足元を隠し岩は苔むして滑りやすくなった。あまり人が歩いていないと判断できた。標高1600m辺りで小さく微かな水音を聞いた。これは見逃せない、笹を分けて谷に降り水を確保した。後はキャンプ適地を求めて歩いた。

 行けども笹藪が続きキャンプ適地は見つからない。標高1660m、これ以上進むと傾斜が増して更に条件は悪くなる。ブナや針葉樹の大木の下は笹が薄い、石や木の根、倒木のない平らな登山道の上にテントを置き、中に入ると笹をそのままザックと体重で押し倒した。登山道の幅に両肩が納まり足を延ばして寝られた。テントは傾いているが一晩の事だ。

 テントの中から見上げるブナの枝ぶりや梢を写真に撮っていたら熊棚を見つけた。ブナと笹原、絶好の熊の棲み処だ。この日は着いて早々、夕方と夜半に計3度爆竹を鳴らした。

11月7日(月)

タイム:テント発6:50-テント撤収、再出発9:10-最高到達標高2015m 11:30-中尾口ヘリポート15:15

 森林帯での設営を想定し夏のテントフライにしたが夜半は冷えて寒かった。外に置いていた水バケツの水は凍っていた。藪の中では明るくなるまで動けず6時50分遅い出発となった。それが出発して10分で体調がすぐれず藪の中で3分ほど休んだが回復せずテントに引き返した。水分不足か喉が渇いていたのでたっぷり水を飲み寒かったのでシュラフを出して潜った。朝使用した水バッグはまた凍っていた。

 太陽がテントを照らし出すと暖かくなって気分も良くなり食欲も出て行動食を頬張った。冷えすぎが原因か、行動中寒かったがダウンは藪で破られると思いザックに仕舞っていた。

 撤退を決めてテントを撤収していると体調がすこぶるよくなった。このままテントを担いで行ける所まで行こう、稜線まで出たら笠まで行って明日は笠新道を下ろう。天気は明日も良いはずである。このまま帰るにはもったいなくて9時を過ぎていたが再出発した。

 背後に焼岳が見えて、遠くに冠雪した乗鞍岳が見えていた。イチイの赤い実が美味しそうで2,3粒口に入れると果汁は甘かった。当然種は吐き出したが毒であると後で知った。

 高度を稼ぐと藪の隙間より西穂から奥穂高、涸沢岳の稜線が見えて来た。やはり、あそこで諦めず登って来てよかった。ジャンダルムの尖った切っ先のような岩塔が格好良い。しかし、どこまでも笹藪が続きテント設営適地など全く無くて昨日の適切な判断を自賛した。

 標高を稼ぐごとに変化する晩秋の穂高をご覧いただこう。

 千石尾根にロープウェイが見えて西穂高へ続く稜線に西穂山荘が確認出来た。西穂高、間ノ岳、天狗ノ頭、そのコルからコブ尾根ノ頭とジャンダルムの岩ヒダのような飛騨尾根が圧巻だ。奥穂高と涸沢岳の間の白出沢が滑り台のようでコル上に穂高山荘が確認出来た。

 傾斜が増して来れば笹薮は薄く楽になると思ったが甘かった。顔より笹丈は低くなりホコリでの咳きこみは解消され見通しは利いた。だが足元が見え辛くなり足で探って歩く格好になった。傾斜が増すにつれ道はジグザグとなりトラバースでは踏み跡の消えている箇所が多くなった。今年だけでなく何年も道は整備されていないようだ。谷筋が近くなり水音がしたので藪を分けて谷に降り水くみをした。谷は真っ直ぐ上に延びており階段状で歩きやすく見えた。藪の道を放棄してこのまま谷を登りたい誘惑が湧いたが自重した。

 踏み跡が消えて急斜面のトラバース最中に笹に足を取られ滑って尻餅をついた。クマイザサの細軸の良く滑ること足場が決まらず宿泊装備で膨れたザックも相俟って中々立ち上がれない。ズルズル滑り落ちる身体を懸命に笹を掴んで何とか元の位置へ、この尻餅で体力を一気に消耗した。時計を見ると11時半、高度で2015mほどの所である。クリヤの頭まで高度で未だ400m、何度もこれを繰り返すのかと思うとプッツリ、やる気が失せた。

 このまま登って笠ヶ岳まで行けば冬季避難小屋が解放されているだろうが確実な保証はない。テント泊となれば森林帯まで降りないと夏フライではチャックが凍るだろう。笠新道については杓子平に雪が有るだろうから暗くなればルートを見失いやすい。明るいうちに森林帯まで下れるか等々考えれば、此処は潔く諦めて撤退するのが賢明な判断だ。その位置で穂高と焼岳の奥に見え出した霞沢岳を写真に収めると踵を返した。

 帰りに登りで見つけた岩屋に寄ることにした。そこは標高1960m辺りで見ると岩壁下部が屋根の庇状になっており基部が平になっているか確認したかった。道から僅か数mの距離で笹を掴み這い上がると岩壁基部はテラスになっておりテントが張れる広さがあった。テラスは多少谷側に外傾しており寝相が悪いと笹の斜面を滑り落ちることになるが・・・・ご覧のように展望抜群の見晴台、10分ほどの距離に谷水があり最高のサイト地と確信した。錫杖沢出合から上にはテントを張れる適地は全く無いので此処はお助け宿である。

 最高のサイト地から見るジャンダルムは奥穂高山頂から見る入道頭と違い細く薄い岩塔にT1、T2のテラスを従えてナイフのように薄く鋭い飛騨尾根を天狗沢に落としていた。白出沢は白い滑り台コースの様相で北穂高は黒く雪を拒んでおり「滝谷は飛ぶ鳥も通わぬ」といわれた所以を実感した。信州側、上高地や涸沢から見る穂高は庭園のような趣であるが飛騨側のそれは谷が深く切れ込み岩峰は鋭く尖って荒々しい衝立のようだった。次は此処をねぐらにと誓い引き返した。完

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