大垣山岳協会

山岳寺院跡を訪ねて・己高山 2021.10.23

己高山
鶏足寺(旧飯福寺の参道)

【 個人山行 】  己高山 ( 923m Ⅲ△ ) 丹生 統司

 湖北の山々には寺院跡を多く確認することが出来る。伊吹山には弥高寺跡、天吉寺山には大吉寺跡、呉枯ノ峰周辺には管山寺、今回は己高山を登り鶏足寺跡を見学する計画である。

 鶏足寺は行基によって草創されたと伝わる。行基は聖武天皇に懇願され東大寺大仏建立を勧進し多大な成果をあげて日本初の大僧正となる。近鉄奈良駅前の目立つ広場に行基像が建ち今なお親しまれている。写真は鶏足寺(旧飯福寺の参道、秋の紅葉で有名だそうだ)

<ルート図>
  • 日程: 2021年10月23日(土) 晴れ時々小雨
  • 参加者:単独
  • 行程:石道寺駐車地8:45-鶏足寺9:00-高尾寺分岐10:00-己高山山頂11:10~40-鶏足寺跡12:00-馬止岩12:30-仏供谷登山口13:20-石道寺駐車地14:15
  • 地理院地図 2.5万図:近江川合

 仏供谷登山口から登る予定で登山ポストの有る駐車場で朝食を頬張っていたら小学生の長い行列が通過していく、勿論教員や保護者と思われる方々も。「己高山ですか」と聞くと「ハイ」の返事に「こりゃあ登山にならない」己高山を諦めた。山を代えようと集落を抜けて国道に出たがふと思い直した。 元々周回の予定である。登山口を変更すればいい、石道寺に向かった。石道寺はコロナの為に閉鎖中で重文の「十一面観音立像」は拝観出来なかった。

 石道寺から遊歩道を鶏足寺(旧飯福寺)に向かうと広い境内に草刈り機のエンジン音を響かせて地元ボランティアの方々が清掃に勤しんでいた。古い石階段と坊跡が印象的だった。

 鶏足寺から登山道に戻るのが面倒くさく、寺の左の斜面から主尾根登山道に合流すべく向かった。尾根筋には嘗ての道らしき凹みが残っており藪もなく歩きやすかった。

主尾根に合流すると目印を見つけ登山道に出た。広葉樹の森は傾斜も緩く歩きやすかった。

 地形図に掲載されていない分岐を幾つか越えると鉄塔を二つ潜った。風が強く時折雨が落ちて来た。雨具を着けるほどではないが小学生の集団登山引率は大変だと思った。登山経験の浅い保護者方の過剰反応に翻弄され雨具を着たり脱いだりと忙しいはずだ。

 登山道が北に向きを変えると周りはブナの二次林となった。木漏れ日を浴びて歩いた。

 山頂が近くになるにつけブナの幹が太くなった。その林を抜けると傾斜が落ち下草が切れて平地に「しめ縄」が捲かれた自然石が出現、山頂だった。

 山頂で休んでいると男女のペアが登って来た。小学生の集団について聞くと「彼らとは会っていない」と言う。雨で中止したのだろう。それならと仏供谷登山口へ周回を決めた。

 山頂から南西に約100m急下降し北に斜面を300mトラバースすると寺跡に出た。木之本町観光協会の看板によれば、鶏足寺は行基が草創し泰澄が寺院を建立、その後799年に最澄が再興したとある。古代から隆盛を誇ったが戦国期から江戸期に衰退、明治末期に仏像は里に下ろされている。昭和8年に残っていた堂宇も消失したそうだ。

 宝篋印塔や五輪塔、石灯籠に使用されたのか円柱が空しく打ち捨てられていた。クリンソウが6年ほど前に訪れた時より随分増えたと感じた。

 上の岩場が「牛止岩」下の岩場が「馬止岩」となっていた。生活物資を運ぶ牛や馬が此処を越えることが出来ず、これより寺へは人力に寄ったのだろう。

 鉄塔周辺の樹木が刈られてか丈が低く長浜市内が見下ろせて琵琶湖が今日の天気を映して鉛色だった。肉眼で見えた琵琶湖だったがレンズを通すと判り辛い。

標高550m辺りにある「六地蔵」近江で最古と言われるそうだ。中央は大日如来像である。

 ヤレヤレ登山口に着いた。この尾根は登りに使用した南西尾根に比較すれば急な下降が多い、雨後は大変だろうと思われた。

 仏供谷登山口から6、7分で中ノ谷本流との合流点に着いた。左俣の本流を遡れば関ケ原の役で敗れた石田三成が潜んでいたオトチ洞窟が有る。時間が許せばと思っていたが次回にしよう。またこの谷の流れは大谷川といいオオサンショウウオが生息しているようだ。

 遊歩道脇に茶畑の丘が、この亀山は旧飯福寺の薬師像を彫った際に出た木かけを埋めたと伝わり昭和初期まで五輪塔が有ったそうだ。己高山鶏足寺を再興した最澄は薬師像鎮座の里にふさわしい薬の木として茶の木を植えさせた。ここは現代も茶の産地となっている。

 仏供谷登山口から長い林道歩きと遊歩道を歩き鶏足寺に帰って来た。ボランティアの方々は既に作業を終えたのか誰もいなかった。

 鶏足寺は紅葉の名所であるという。境内のモミジは青々としていたので11月中旬頃が見頃だろう。石道寺の十一面観音像や鶏足寺の寺宝が収蔵されている己高閣はコロナ禍の影響を受け休館中で今回拝観が出来なかった。三成の潜んでいたオトチ洞窟の訪問も残している。いずれまた出直そう。完

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