大垣山岳協会

鯖街道と八ヶ峰 2020.10.18

八ヶ峰

【一般山行】 鯖街道と八ヶ峰(Ⅱ等△ 800.2m) 丹生統司

 八ヶ峰は古代の重要な道路である知井坂峠の傍に位置している。峠への尾根道は若狭国の海産物を都へ運ぶ重要な産業道路であった。近年の人々はそれを鯖街道と言った。山名は山城、河内、摂津、近江、越前、丹波、丹後、若狭の八ヵ国が山頂から見渡せたことに由来するようである。

  • 日程:2020年10月18日(日)晴れ
  • 参加者:L.小栗敦、安藤正、大塚花、大橋辰、小倉幹、加藤美、清水友、清水満、丹生統、藤野一、堀洋、宮沢健、村田美、森美、山本千
  • 行程:五波峠8:45-標高698m家族旅行村分岐9:45-八ヶ峰10:18~10:28-知井坂峠10:43-八ヶ峰11:04~11:40-五波峠13:00
<ルート図>

 登山口の五波峠には立派な石碑があり道路が拡張されて膨らみに数台の車が駐車出来るようになっていた。この自動車道の開通で若狭と丹波はより近く物資の往来も飛躍的に増大した。そして、その後の知井坂峠の運命を決定づけた。

 五波峠から西に向かってスタートした。県境尾根の福井側は杉の植林帯で京都側は疎林であった。広葉樹が少し色づいているが紅葉には早かった。

 やがて落葉樹林となって気持ちの良い尾根歩きを楽しんだ。時折大きなブナやミズナラがあり立ち止まって眺める。山栗のイガイガが足元に一杯散乱しており秋を感じた。

 紅葉にはまだ早かったが足元は既に落ち葉で地面が見えないほどであった。相変わらず山栗が多かったが実は大方動物に持ち去られているようだった。

足元にイワカガミが艶のある青々とした大葉を群生させていた。春の花期は見事だろう。

 赤松の枝ぶりが見事な山頂に到着した。点名・八ヶ峰の標石文字面は北を向いており珍しい。10分間の休憩で知井坂峠のお地蔵様の拝顔に更に西に向かって下降した。

 尾根を歩いていると一見して踏み跡と判る窪みが若狭側から上がって現れ西の峠に続いていた。これこそ若狭の幸を運んだ古道の名残であろう。

 峠の10mほど手前に錫杖を持った光背付きお地蔵さまと宝篋印塔があった。南北朝時代の武将新田義貞が建てたと伝わるが風化しやすい花崗岩が700年を経てまだ目鼻立ちが残っており疑わしい。知井坂峠は血坂峠ともいわれたそうだ。尊氏に敗れた義貞がこの峠を越えたか定かではないが北陸へ落ちていく義貞の胸中は正に血坂峠で有ったに違いない。

 今回は行けなかったが峠から若狭側に降りたところに唯一の水場がある。石製の水桶があり「弘法さんの水」と呼ばれる。水槽の前面に「船願主小濱名田庄志中 桶願主八原喜右衛門 世話人忠次郎 享和二年戌六月」と刻まれており読み取れる。220年前に設置されたもので地元では重要な経済道路を大切にしていたことが伺われる。

 山頂に引き返して記念写真をとり八ヶ国が眺められるという眺望を楽しもうとしたが雲が低く摂津や河内までは見えなかった。日本海と青葉山の双耳峰は確認できた。

 嘗て小濱から丹波・京都への古道は名田庄堂本村の染ヶ谷川と小松谷に挟まれたこの尾根を登って知井坂峠を越えた。鯖街道の名残を留める尾根の末端で記念写真を撮った。

 奈良橿原藤原宮跡から出土した木簡の中に塩の荷札が多数見つかっている。その塩が小濱産であるか確証はないが1300年もの往昔からこの峠を越えて海の生産物が運ばれていた可能性は高い。そう思うだけで歴史のロマンに浸れて少しマニアになった気分になった。

 しかし大正12年に京都由良川沿いに自動車道が整備されると知井坂峠東の五波峠は荷馬車が通れるように改修された。その後五波峠と西の堀越峠も自動車が通れるよう拡張整備されると知井坂峠はその地位を奪われ落ち葉に埋もれてしまった。完

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