【 一般山行 】 竜頭山( 1352m Ⅱ等△ ) 浜松市天竜区佐久間町大井 NT
V字に切れた深い谷、耕地は見当たらず標高100mから400mの傾斜地に張り付くように集落が有った。急カーブが連続する細い道は右に左に身体が揺すられ車内から見る前方に空はなく切れ落ちた谷と傾斜地だった。やっと車道に膨らみを見つけ停車した所が竜頭山平和登山口、降車して首を反らして見上げると空が真上にあった。ネット調べによると竜頭山の古道は巨石信仰や山岳信仰に始まり密教と結合して熊野修験回峰の場となった。山頂には嘗て秋葉寺の「奥の院」が有って秋葉信仰元々の聖地であったようである。
- 日程:2024年3月31日 (日) 晴れ
- 参加者:L.FT、IK、OS、OH、KF、ST、SK、NY、NT、HY、HM、FM、FI、MY、MK、MM、YC、体験参加者
- 行程:平和登山口7:43-青ナギ8:57-竜頭山山頂11:29~12:57-青ナギ14:40-平和登山口15:38
- 地理院地図2.5万図:中部、気田
国道から階段を上がると登山ポストや看板が有って登山口は明瞭でわかりやすい。本日は体験参加者が1名、MY氏に地形図と登山の基礎知識のコーチをお願いした。
登山口傍に不動明王と石道標が有って「奥の院是左〇〇」と読める。此処が嘗て秋葉道と言われた古道で竜頭山山頂の戒光院跡に秋葉寺の奥の院が有ったことを知る。
急傾斜の斜面に植林された良質の杉の木立と石垣群、傾斜地の用土を確保する為なのだろうか。小屋跡と思われる野面積みの平地が確保された所には半鐘の櫓があった。
急傾斜地を石垣で補強して道が確保され上流の仙戸の集落へ続いていた。おそらく往時は牛馬が行き交う広さが有ったと思われる。
青ナギに到着時の我が会の休憩風景である。直ぐに地形図を出して現在地を確認し合うことが定着して嬉しい光景である。当会はGPSに頼らず自立した登山を目指している。
青ナギの地蔵尊、江戸中期に秋葉道に出るために天竜川流域の各集落から竜頭山稜線に至る尾根道が整備された。これは奥の院秋葉寺本尊の不動明王への参詣道でもあって本堂周辺3里は女人結界で有った。近代の道が3本破線で麓の集落へ向かい地形図に記されているが半血沢側の斜面を覗いたがそれらしい踏み跡を確認することは出来なかった。
小屋が有るので期待して近づくと役目を終えた杣小屋だった。樹木を伐採する人を杣といい材木を板にする人は木挽といった。山中で長期の共同生活をする為の小屋が杣小屋でムシロ1枚が一人分の広さ、危険な仕事が多く杣頭の統率の下に厳しい掟があったようだ。
谷沿いのトラバース道は用土が流されて荒れていた。濡れた岩は滑りやすく足を取られると大怪我をしそうな所も有って体験参加者を含むメンバーでの下山道には不向きと思われた。植生も杉の人工林から疎林へと変わって来ていった。
丸太の橋が2ヶ所有って慎重に越えた。それにしても高々1300mの山で900mを越えても一向に細くならない豊富な水量にこの山の保水量はどうなっているのだと首を傾げた。
独立標高点のある1045mの尾根に出た。此処には半血沢へ下りて標高300から400mに点在する岩井戸集落や大滝集落、大輪集落へ通ずる道があるはずで地形図に破線で記載がある。しかし覗いてみたが既に廃道状態なのか確認出来なかった。
人の胴回りほどのブナが出て来た。奥美濃では珍しくもないが雪国の象徴のブナを浜松で見るとは思わなかった。温暖な地域に多い黄土色の幹肌をしたヒメシャラも多くて共生に少し困惑した。そういえば九州の祖母山、大崩山でも少ないがブナを見た記憶がある。
尾根に上がりきると傾斜が落ちてリョウブなど細木の疎林に大岩が次々に現れた。嘗て修験者が回峰した主稜線に出たのだ。山頂はもう近い。
東屋の休憩所が有って眺望が確保されているが生憎の黄砂なのか春霞なのか靄って富士山や南アルプスの山並みは見えない。近くに山座同定の看板が有ったが見える山並は初めて聞く山名ばかり、勉強不足で覚えられず諦め通り過ぎた。
仲間の待つ山頂に着いた。彼等は既に食事を終えて懇親(おしゃべり)の最中であった。誰かが富士山が見えるというのでサングラスを通すと確かに白い雲と見間違うほど見分けが難しいような薄く白く小さい山頂部を確認し納得した。
下山前に山頂三角点(点名・竜頭山Ⅱ等△)を囲み集合写真を撮った。平和登山口から6、22㎞嘗て杣夫が斧を振り木馬を引いた林を抜け、豊な水量の谷を幾つか跨いで辿り着いた山頂はスーパー林道が延びて遊歩道と木製テーブルとベンチのある公園であった。
計画では往路を引き返す予定であったが谷のトラバースが数ヵ所危険と判断して尾根を下降する周回コースに変更した。広い尾根の散策コースを気持ちよく歩き下って行った。
下山路は国土地理院発行地形図に記された尾根の破線路を辿ると思っていたが1200mの鞍部から地形図に記載のない登山道が谷へ下りておりそれを下った。谷中の道は雨水で洗われ石が多く荒れていたが谷から離れると直ぐに歩きやすい地道となった。長いトラバースを経て950m辺りで尾根へ合流した。これから下る道は嘗て木材搬出の木馬(きんば)道であったが役目を終えて現代では登山道として利用されている。それにしても杉木立が美しい。針葉樹は味気が無いといつも嘆くが、木曽と並ぶほど此の森も別格で超美林である。
ネット調べの道聴塗説で有るが、この古道が利用され始めたのは縄文時代まで遡る。黒曜石の運搬や巨石信仰、塩の道として始まり、中世に修験道や火の神・秋葉山信仰で往来が増えた。明暦3年(1657)江戸の大火を契機に火防の神として秋葉大権現を祀ることが全国的に流行し竜頭山は参詣者で賑わったようだ。明治初年の神仏分離令で竜頭山「秋葉寺」が廃寺となり「奥の院」は移築されている。
さて本日使用した竜頭山登山路であるが大半が国土地理院地形図に記載されていない。おそらく山頂へ至る「天竜スーパー林道」の開通と「山頂天竜の森公園」の開園に合わせ平和登山口からの登山道も整備されたのであろう。登山道の高度100m毎の丁寧な案内板と山頂の木製テーブルやベンチの風化、傷み具合から同年時期の製作、設置と思われる。
地形図に記載された破線の道が使用されず廃道になっていることはよくあることだがこれほど大掛かりに新道を開設しておきながら地形図に記載せず放置しているのは安全登山を考えると無責任といえないか。行政も関わらねばこれほど大きなプロジェクトは出来ないはずで責任は重大である。とはいえこの登山道のお陰で安全に無事下山出来たのである。安全登山を考えると行政には国土地理院への登山道記載の働きかけを願いたいものだ。完
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