大垣山岳協会

円原・峰山、カルスト高原周回記 2023.11.04

峰山

【 一般山行 】 円原( 点名 Ⅲ▲ 871m 別称ダケ )、峰山(881m △なし ) SM

 岐阜県山県市円原の標高750mほどの台地状山林は石灰岩質のカルスト地形として特有な景観で知られる。出だしでやや方向を間違えたが、そのおかげで手あかのついていない新鮮で野生的なカレンフェルト景観の中を巡り歩くことができた。1㎞離れて並び立つ円原(点名Ⅲ▲871m別称ダケ)と峰山(881m△なし)の二つの目標も達成でき、その間の尾根でやや早めのモミジ、カエデの紅葉にも出会えた。

  • 日程:2023年11月4日(土)
  • 参加者:L.SM、NY、YC
  • 行程:自宅6:20⇒国道256号道の駅ラステン洞戸(大垣組と合流)⇒県道196号⇒西洞納谷林道⇒西洞集落跡奥で駐車→三本松峠登山口(標高約610m)9:50→10:15やせ尾根に上がる→11:15・708m標高点→12:10円原山頂12:30→1:40峰山2:00→北尾根降下→2:55林道出合→3:15駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:谷合・下洞戸

 所属する大垣山協のリーダー山行だが、当初予定の5日は悪天候予報だったので直前に急遽1日繰り上げた。都合のつかない人が多く出て、総勢3人のやや寂しい陣容となった。よく晴れて、春のような温かな朝、林道東側の斜面を上がる。上がってすぐ方向を誤った。南側に延びる西洞谷の枝谷に下りるべきなのが、北側枝尾根を進んだ。尾根はすぐ南に向かう。断崖に挟まれた細い尾根や足場のない斜面トラバース。平らな石灰カルスト地形を想定していたのに、意外な荒々しさ。だが、標高700mに達すると、平らな人工スギ林帯に変わった。

 標高650~800mの高原状の山域は石灰岩が堆積して出来たカルスト地形として知られる。この山行の狙いの一つはその特有な景観を見学することだった。人工林帯の中の沢筋にはコケや低層植生の緑に包まれていた。(写真①)沢と言ってもどこも水流はない。水分は石灰岩質の表土に吸い込まれてしまう。時に沢筋にポッカリ穴が開き底に石灰の岩片が散らばる。(写真②)水は全くない。これもカルスト地形固有の水の地下への落ち口である。

写真①
写真②

 標高700mほどの平原(約15ha)中央部で方向を南から東へ変える。全てスギ・ヒノキの人工林ばかり。せっかくのカルスト台地を暗く隠してしまうのはもったいない。708m標高点付近から南西に向け急斜面を登る。やがて、石灰岩の露岩が広く露出した裸出カルストの間を縫うように登る。(写真③上)荒涼たる風景なのだが、上を向くとスギの緑の林冠が広がる。異様な組み合わせに戸惑い立ち止まる。

写真③

 露岩帯を越えて人工林の斜面を登り、落葉樹などの雑木林の立つ円原山頂に到着。消えそうな山名板が木の幹に付いていた。(写真④)スギの木の下に三角点石が立っていた。07年秋に登頂した時の記憶が全くないのはさみしい。

写真④

 峰山山頂まで広い尾根状の平原は素晴らしい広葉樹二次林が待っているはすだ。前回遭遇した紅葉の色模様がまだ脳裏に残っている。しかし、目前のカエデやコナラなどの色合いはやや薄くて精彩に欠ける。時期が少し早かったのと、温暖化による気温上昇によるものだろう。(写真⑤)カルスト地形の景観はこの一帯にもたくさんあった。井戸のような深い竪穴が点在。(写真⑥=直径2m余、深さ5m)広い尾根筋にはドリーネ(凹地)が幾つもあるが、見届けできなかったのは残念であった。

写真⑤
写真⑥

 どの山でも同じように、近年山地樹林の過剰繁茂により遠地への眺望が効かなくなった。峰山山頂への踏み跡は一切ない。見えない山頂を地図上で予想し方向を決めて登る。裸出カルスト帯を登り抜けて緩やかな山頂部。薄くて消えそうな峰山の山名板をカエデ類の木の幹に見つけた。(写真⑦)一休みの後、用意したクマよけ爆竹を鳴らし、その安全確認の後、だだっ広い南尾根を下り始める。踏み跡やテープ類は一切ない。

写真⑦ 峰山 山名板

 幅50mほどもある広い尾根はケヤキやコナラなどの広葉樹が点在しその間にモミジ類や低層のシロモジなどが黄色や赤い紅葉を広げている。足取り軽く真南に下りる。標高750m辺りで斜度が増して、モミツガ類の低層チクチクヤブの中の下りとなる。ただ、自然にできた歩道のような無ヤブの筋があり、そこを選んで快調に下る。後ろを振り返ると他の2人が見えない。大声で叫ぶが返事なし。少し下ると前方に林道の白いガードレールが見えた。西洞谷の枝谷を越えて、林道に上った。登り口から150mほど手前の地点だった。その直後、後ろから2人が姿を見せた。

 この山行では冒頭で方向間違いをしてしまった。登山口の三本松峠の位置を確認せずに、林道脇斜面を上がった地点から尾根筋を東側に進むと山林作業用らしい踏み跡が南に向かっていた。当初予定では林道脇からすぐ下の西洞谷の枝谷に降りてから南西に延びる古道マヒラ道に入る予定だった。この道の名は大垣山岳協会が1997年に刊行した「美濃の山2巻」に出ていて、私の07年山行でその一部を歩いた道。明確な踏み跡、古い標識や赤テープが付いていた。「マヒラ」は大字円原の中の小字名である。まっ平の地だから付いた名だと推定する。

 マヒラ道を通らず、今回歩いたコースは実に価値ある経験だったと自負している。広大なカルスト平原の真ん中を通り、さらに大規模な裸出カルテルを通り点名円原に直行できるコースである。歩く人は皆無、表示類や登山者の赤テープ類は全くない。さらに峰山までのコースも一般的でなかったらしく、なだらかな尾根筋帯には表示類など一切なかった。最後の峰山南尾根も同様だった。この山域には年に10パーティーほどの入山者が居ると推定する。ほとんど旧マヒラ道を通るのだろう。

 今回は通らなかったが、昔のマヒラ道の実像に強い興味を抱いた。西洞集落から西洞谷の枝谷筋からカルスト台地を通り、標高約450m下の西側にある円原集落に繋がっていたようだ。1990年ごろ、車の通る林道西洞納谷線が開通して廃道となったという。その古道に一切お世話にならず、独自のコースを無駄なく歩くことができたことを後で確認し、少し鼻を高くした気分である。

 古道の実像は今も明確ではない。かつて円原集落から円原川の2㎞上流の近島集落に住み、円原カルスト台地に約6haの山林を所有する吉田Tさんに円原高原のことをお聞きした。古道は円原台地からほぼ真西に進み、最後に猛烈な急坂を降りて、円原集落に下りていた。さらに今島集落に下りる分岐道もあった。親や祖父の時代には、西洞集落の住民は町への買い物や山仕事の帰り行き来し、円原集落の山林家も通った道だった、という。吉田家は事情があって、50年前に9㎞下流の谷合に移転した。

 吉田さんによると、円原台地一帯の人工林は1952,3年に県の補助金を得て主にスギを植えた県行造林地。十数年前に約100haで間伐をしたそうだ。それでも今、木の幹がすだれ状に折り重なる暗い密集林が多かった(写真⑧=中央丘陵地にて)。国産材の経済的価値が低迷する今、スギ林の行方が心配である。なんとか有効利用できないものか。

写真⑧

 ただ、冒頭に掲げた写真のように、スギ林に囲まれた水流のないカルスト地形の中の緑の楽園のような光景。緩やかな沢筋の両脇にはコケ類や低層草木が絨毯(じゅうたん)のように地表を包んでいた。あのような緑の光景が長く続く中をマヒラ道は円原集落まで続いていたのだろう。いつか、その道筋を歩き通して見知らぬ地形美を味わいたい。完

<ルート図> ●青点線は円原集落への古道の推定コース

発信:11/10


コメント