大垣山岳協会

渓谷の森林浴を経て・御前山 2023.08.19

萩原御前山

【 一般山行 】 御前山 ( 1646.5m 点名・五善山 Ⅰ等△ ) 下呂市萩原町 NT

 御前山は御嶽山の遥拝所である。登路の桜谷は小滝が連続し岩を噛む水音が轟き飛沫は涼気となって谷を包んでいた。深山のヒノキやネズコの林を抜けて笹の急斜面を登って巨岩の高みに立った。目当ての御嶽山は雲に遮られていたが頭上には青い夏空が有った。

<ルート図>
  • 日程:2023年8月19日(土) 晴れ
  • 参加者:L.MT、SE、TM、TS、NY、NT、HT、FT、FI、MY、MK、MM、MH
  • 行程:水洞平駐車地8:06-桜谷登山口8:27-屏風岩9:59-御前山11:11~12:07-点名・油坂13:35-上村ルート林道出合14:38
  • 地理院地図 2.5万図:湯屋

 先ず上村ルート下山口へ1台車をデポし、東屋のある水洞平駐車地から桜谷登山口を目指した。地形図では波線になっていたが広く舗装された道路であった。

 桜谷登山口にも数台の駐車スペースが有り此処に登山ポストが有った。最近雨が多かったせいで右岸へ渡る木橋は苔が復活し滑っていた。スリップに注意し恐る恐る渡った。

 空中湿度が高く道脇はシダ類が多く足元の岩は苔で覆われていた。滑りやすく油断できない苔岩に注意して丁寧に越えると時折谷を流れる涼気に遭遇した。

 上流に木橋が見えて古くていかにも滑りやすく危うそうであった。通行止めとなっており左岸の急斜面に捲き道が造られていた。2016年とは随分ルートが変わっていた。

 やがて鳥居が現れた。御嶽山の遥拝所として山岳信仰の霊山で有った証であろう。此処まで幾体か観音像を確認して来たが神仏混交時代の名残であろうか。気持ちを新たにして鳥居を潜った。

 山頂まで80分、屏風岩まで30分の看板、ヤレヤレ案外早く着くかもと思ったが此処からが辛かった。道は谷の古い木橋を避けており捲き道の急登が続いた。

 急登が終わると大岩の裾を足元に注意して進む、梯子の順番待ちを終えて越えると前に誰もおらず息を切らし追っかけた。三輪Lがこんな飛ばし屋だったのかと初めて知った。

 屏風岩、30mは有りそうで右壁に2段のオーバーハングを備えた壁だった。思わずルートになりそうな壁のクラックを目で追った。大垣近郊ならば若い時代にハーケンを残しただろうが当時は御前山の存在も知らなかった。残置ハーケンは確認出来なかった。

 周りに笹が出て来ると谷水は苔むした岩下に消えたが流れの水音は聞こえていた。少し下った落ち口でペットボトルに汲んで飲むと冷たくて美味しかった。

 尾根に出ると傾斜が落ちて避難小屋が有った。2016年に訪れた時には無かったのでその後建設されたのだろうか。周りには巨岩が多かった。

 小屋を過ぎて直ぐの岩場でマムシを見つけた。撮影の為に首根っこ掴み細い棒で上顎の牙に刺激を与えると毒汁が出た。若い日に鈴鹿の谷で1日に8匹掴まえ1匹500円で売った。その金で大垣東宝近くの「宝亭」で仲間とWカツを食った記憶が甦った。

 山頂すぐ下の岩の窪みに観音像が祀られていた。この像は2016年の時にも有った。

 山頂大岩の横には御堂が有って十一面観音像が安置されていた。織田信長が岐阜城の鬼門にあたる御前山に金の観音像を奉って厄除けにしたという実しやかな逸話がある。その金像は盗まれ、その後も何体か盗まれた為か錠付き御堂となっていた。

 Ⅰ等三角点、18㎝石柱五善山を前に記念写真。残念なのは御嶽山を厚い雲が覆っており山頂部が見られなかったことだ。2016年の折りには噴火で犠牲になった方々へ合掌したことを思い出した。この7月末には八丁ダルミ以降が登山解禁となり噴火前状態に戻った。

 下山は上村ルートに取ったがMLの韋駄天について行くのが大変でトレラン状態だった。要所に観音像が安置されており「猿の鼻観音」の札が有った。

 尾根は西へ向かい小さな起伏を繰り返して標高を下げた。道脇には高さが4mもありそうなサラサドウダンの木が多く5月は見頃だろう、振り返ると山頂が遠くなっていた。

 下山路は鉄塔巡視路と重なっている所は手入れがされており歩きやすかったが巡視路から外れ登山専用道路となると笹竹に覆われ御覧のごとくである。直ぐ前を行く仲間以外は見えず撮影をしていると置いてけぼりで少々焦って追いかけた。

 此処は焼堂観音像が安置され、鎌倉時代に天台宗の密教寺院が有ったと伝わる。落ち着いて観察したかったが最後尾で追っかけるのが辛く写真を撮るだけになってしまった。

 鉄塔の下で休憩「見えるのは何処の山?」と誰かが聞いて来たがこの付近の山に精通しておらず雲にも邪魔をされ見当もつかなかった。帰って調べると白山の方向で周辺の山々が見えていたのだろう。いつものことだが20万地形図を持参して来なかったことを反省する。

 上村ルート下山口に下りると水洞平へ車の回収に向かった仲間を木陰のアスファルトの上に座り足を投げ出して待った。明日は筋肉痛の予感がした。北北西の方向に大きな山容の川上岳1662,5mが見えていた。秋には藤野リーダーで計画されているので多数の参加をお願いしたい。


=追悼=

 病気療養中であった当会常任理事のSSさんが8月11日に逝ってしまった。母の初盆の帰郷中であり法事の最中での訃報に言葉を失った。思えば今年2月の雪山個人山行を一緒したが深い雪の行進にも根をあげず大手術後を感じさせなかった。その精神力に感服したものだ。しかし、細くなった身体は冬山衣装でも隠しようがなくこの日を恐れていた。

 彼は登山技術と知識と洞察力を兼ね備え、その穏やかな語り口は冷静沈着を求められるハードな登山や会の運営で欠かせない人材で有った。後輩の指導にもまだまだ尽力してほしかった。

 電話口で奥様が「伊吹山にもう一度登りたいと言っておりましたのに残念です」と声を詰まらせ言われた。今冬、雪の襲来を待って必ず登らせてあげることを約束し冥福を祈る。完


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