大垣山岳協会

新巣山から津賀立、尾根筋ヨタ歩記 2023.07.30 

新巣山

【 個人山行 】 新巣山 ( 973m Ⅱ△ )・ 点名 津賀立つがたち ( 984m Ⅲ△ ) SM

 長い尾根を歩きたい。木曽川の支流、付知川の西側に1000m弱の尾根筋が延びている。中津川市付知町と東白川村の市村界尾根である。その上にある新巣山(973mⅡ△)と点名津賀立(984mⅢ△)に登って来た。目標は達したが、何度も道間違いをした。おかげで林道歩きを堪能した。樹木繁茂による眺望ゼロ化、そして舗装完備の林道整備の実情。歩くたびに山々の苦境と人間の関りが見えてきそうだ。

  • 日程:2023年7月30日(日)
  • 参加者:SM(単独)
  • 行程:6:00自宅⇒中央高速⇒中津川IC⇒国道257号⇒国道256号稲荷橋左折⇒県道359号(越原付知線)⇒越道(こいど)峠登山口で駐車
    駐車地8:00→8:45新巣山(点名越原)→尾根筋→10:30恵北林道出合→11:40市村境尾根取り付き→12:40点名津賀立1:00→南尾根へコースミス→2:45 P913→3:05恵北林道出合→コースミス→恵北林道十字路復帰4:10→県道359号→5:00越道峠登山口⇒県道359号⇒国道256号⇒自宅
  • 地理院地図 2.5万図:付知

 まず 目指す新巣山の登山口、越道峠は標高約800m。酷暑の続く毎日だが、涼しい風がそよぐ。ヒノキの人工林の下、登山道は低いササ原の中にやや急な角度で登り始めた。踏み跡は鮮明である。新巣山には97年11月に登っているが、どこから登ったのかも覚えがない。

 しばらくで、道脇に「展望地」の大きな看板。北側の視界が開け西奥に御岳、その手前に小秀山、唐塩山など加子母の山々の峰筋がややかすんだ青空に続いていた。(写真①) 新巣山の2等三角点は広い切り開いた丘の上にあった。(写真②=三角点前で) 地元の東白川小学校の全校登山の記念木柱が2本立っていた。1本は2014年4月と昨年2021年5月だった。(注)賑やかな子供たちの歓声が聞こえてきそうだった。ただ、周りのヒノキ、スギの人工林や低層木の繁茂のせいで眺望は全く効かない。

写真① 加子母の山々
写真② 新巣山 2等三角点前で

 山頂から東北に向かう市村界尾根を下りだす。激薮の心配は消えた。明確な踏み跡が膝高程度のササ原の中に延びていた。この尾根を忠実にたどり約3㎞先に点名津賀立が待っているはずだ。尾根筋にはひざ下ほどのササ原が薄緑色絨毯のように広がっている。うっとりするほどの美景であった。その中を明確な踏み跡が続く。ヒノキ林は貧弱だが、Y字型の幹が幾つもあり、面白い。(写真③) ただ、これも手入れ不足の結果なのだろう。

写真③

 ところが、1㎞弱先で道筋が薄れたせいもあって主尾根から外れて、尾根の東側を並行する恵北林道に出てしまった。方位には注意していたが、途中2か所で「新巣山⇒」の大きな看板(写真④)が二つも現れた。つまり、北の方からの登山路があったのだ。頭が混乱するうちに東側にそれてしまったのだ。

写真④ 「新巣山⇒」の大きな看板

 舗装完備の恵北林道を進む。林道は津賀立の北側を巻いて中津川市加子母に出ている。幅6mほどある立派な路。路側の工事標識によると1993年敷設とある。大垣山岳協会編の美濃の山第3巻の津賀立山行(91年12月)記録には恵北林道は存在していなかったようだ。だから付知市街地から東白川との峠から市村界尾根を行くほかなかったのだ。

 私は恵北林道を進み、標高約800mで小さな谷筋に取り付き(写真⑤)、難なく尾根筋に上がった。薄暗い若いヒノキ林。ササ原の中に作業用らしい踏み跡が続く。ところどころに間伐の跡が見られ、道筋の各所に番号入りの赤テープが掲示してある。これを参考に急なササ尾根を登った。途中で番号テープは消えたが、間もなく小さなササ原のコブに点名津賀立の標石があった。(写真⑥) 看板など表示類は全くない。倒れていた白い標柱を地面に立てて写真を撮った。

写真⑤
写真⑥ 点名津賀立の標石

 念願だった2山の登頂を終え、足取り軽く尾根を下り始めた。100mほど先の尾根の分岐でポカミス。東に下るべきなのにすぐ先にあった赤布に引きずられて南尾根に降りてしまった。高度100mほど降りて気づき、分岐に戻った。東尾根を下り始めるとすぐに覚えのある番号入り赤布を見つけた。方位の不確認と登る際の記憶の失念。脱線原因はいつも同じだ。

 市村界尾根を軽快に進み、P919mに達した。背の高いスギや照葉樹の樹木が密集して周りの地形はつかめない。ここでまた失態。北東尾根にすすむべきなのに、東に延びる枝尾根を降りてしまった。うるさい倒木や枯れ枝を潜り、小さな沢を降りてアスファルトの恵北林道に降りた。だが、降りた位置の認識間違いで、登る際に歩いた林道を北側に逆走してしまった。途中で気付いて戻り、あとはすべて林道歩きで越道峠に戻った。

 方位の確認忘れにより2時間近い無駄を強いられたのだが、加齢による過誤だけとも言えない。特に低山では近年、地球温暖化現象による樹林の繁茂で暗さを増し外部への眺望が効かなくなってきた。津賀立でも前記の「美濃の山」では山頂付近から御岳がくっきり見えたとあった。(冬の記録だが、常緑樹林だから夏季でも同じだっただろう)新巣山山頂でも眺望はゼロだったが、30年ほど前なら山頂手前の「展望地」と同様の眺望が得られただろう。

 低山歩きでは眺望が現在位置把握に最も役立った。最近ではすぐ先の尾根の分岐さえ、見過ごす失態を何度も経験している。過失を防ぐには方位計での確認しかない。ただ、それには時間と手間を食う。急いでいるとつい失念してしまう。(スマホGPSの利用は登山ルール違反だと私は持たない)

 低山ヤブ山派にとって樹林濃密化は今や最大の悩みだと思う。そのハンディを乗り越えて、苦労を重ねて目標の山に到達する。その過程の山内で見、知り、考えたことこそ大事にしたい。

 もう一つ、今山行で気になったのは恵北林道についてである。同林道は中津川市福岡町から同加子母・万賀まで総延長23km。1994年に完成したが、当時は砂利道だった。だが、現在は全線がアスファルト舗装となっている。今回私が歩いたのは2㎞余であったが、すべて舗装完備だった。ただ、1ヵ所土砂崩壊により車の通行は不能だった。(写真⑦) この林道はかつて、オフロードバイクのライダーのコースとして知られブログに幾つも記録を見つけた。ただ、20年ほど前の記録が多い。つまりその後舗装が進み、現在全線舗装となった。オフロード(未舗装)でなくなり、当然ながらバイカーは消えた。

写真⑦ 舗装完備の恵北林道(土砂崩壊地)

 全面舗装をしておきながら、道路を利用した林業活動の跡は点名津賀立の東側尾根筋だけだった。一帯は名高い東濃ヒノキの山林である。なのに尾根筋で見たヒノキの密集ヒョロヒョロ林の寂しい光景。市場材価が低迷しているので、出材や手入れ作業ができないのか。一方で、公費を注ぎ込み、どんどん林道整備が進む。恵北林道の整備について、「誰のために造ったのか。誰がこれで儲けているのか」とブログで記したオフロードバイカーの思いに私も同意する。

 本当は市村界尾根を歩き通したかったが、道迷いもあり、長い林道歩きをしてきた。だが、無駄ではなかった。山を巡る新たな貴重な知見を得られた、と満ち足りた思い浸っている。完

 <注>東白川小学校の全校登山
 東白川村内にある高峰6山を毎年一山ずつ登る学校行事。児童は卒業までに6山全山制覇踏する。1986年に初めて、38回目にあたる今年は手掛岩山にのぼる予定。

<ルート図>

 発信:8/3

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