岐阜県白川町の高原にある別荘地を歩きまわり2つの三角点を訪ねた。50余年前にできた別荘地は廃屋ばかりで、休業状態。会う人のない別荘域内の道路をさまよい、歩いた。途中で時計コンパスが誤作動して、あらぬ方向に進み難儀して駐車地に戻った。消滅しつつある別荘地だが、林野体験や自然教育の場として現代的活用ができないものか。登山の現場では様々な知見や教訓を得られる。
【 個人山行 】 宇枯高原
( 点名・上赤河 570.9m Ⅳ△、点名・夕立岩 912m Ⅲ△、点名・宇枯 907m Ⅳ△ )
鈴木 正昭
- 日程:2022年12月8日(木)
- 参加者:鈴木正(単独)
- 行程:自宅6:00⇒国道19号向流交差点⇒国道418号⇒木曽川武並橋⇒国道412号⇒県道68号(恵那白川線)⇒恵那市中野方⇒中野方峠⇒白川町上赤河⇒8:10林道屈曲部に駐車(岐阜県白川町上赤河)
駐車地8:20発→8:30△Ⅳ上赤河(570.9m)→駐車地8:50→林道上赤河線→9:30愛建管理センター→9:50白川グランドホテル(休館)→10:35シルバータワー・△Ⅲ夕立岩(912m)11:10→宇枯高原別荘地跡→12:30飲食店跡→やぶ尾根→1:00南部ピーク(約920m)1:25→引き返し→3:05方角修正→3:20裏岩山Ⅱ林道出合→4:03林道から古道踏み跡→4:50駐車地(標高約550m) - 地理院地図 2.5万図:切井
廃屋ばかりの別荘地の高原を歩き、幾つかの三角点ピークを巡る山旅。興味深い風景や場面に出合える期待に胸に、別荘地「パール白川」に向かう林道の途中に駐車。まず、ここから南の丘にある三角点上赤河に向かう。踏み跡は薄かったが、密集する低木の陰にある標石をなんなく見つけ、幸運な出発となった。駐車地に戻り、すぐに真北に向かう舗装された林道上赤河線を歩き出す。道の両側にはパール白川「〇〇山荘」といった小さな看板がたくさん立ててあった。両側を見るが建物はない。ヒョロヒョロヒノキの密集林で暗くて日差しは入らない。
立派な林道を標高差約200m登ると瀟洒な「白川グランドホテル」の看板のあるホテルに着いた(写真①)。入口のガラス戸は閉まっており、玄関付近にはスリッパなどが乱雑に散らばっていた。ホテルは愛知県の不動産会社AK社が経営していたが、4年前に営業停止となった。
ホテルから北西に延びる立派な舗装路を歩きだすと沿道の左右に別荘家屋が幾つも現れる(写真②)。いずれも屋根に枯葉がつもり、細い樹木が生えている家もある。人が住む形跡のない高老朽度のものが多い。少ないが住めそうな建物もあった。家の位置はすぐ沿道際にあるもののほか、道から奥の斜面や崖沿いにあるものもあった。道は北西に進み、尾根筋を北東に折り返して、広い広場に着いた。
ここに別荘地の象徴的な存在の「シルバータワー」が起立していた(写真③)。高さ約30mほど。入口に「天文観測所」の文字がある。上部に4つの張り出した出窓がある。最上部に観測用ドームらしい構造。パール白川経営のAK社が別荘地付属施設として造ったものらしい。後で同社の管理人の話ではかなり前のことだが、盗賊がタワー内に押し入り望遠鏡を盗み出すという事件が起きたそうだ。今は、入口の扉は閉まり廃屋化している。別荘の現役時代には在泊中の家族子供たちが望遠鏡観測を楽しみ、広場で賑やかに遊び回ったのだろう。
誰もいない枯葉の原で休む間、子どもたちの歓声が聞こえるような錯覚を感じた。タワーの北側にある樹木の中の丘に上に「夕立岩」の三角点があった。派手なタワーの裏のササやぶ(写真③の左奥)の中にひっそり頭を出していた。
前出の管理人や地元住民らの話によると、別荘は1970年ころ開設され、最盛期には100軒もの家屋が建った。高度経済成長期、全国で別荘地ブームが起きた。人々が競って買い求めた。だが、数十年たち、持ち主が代替わりする時代となり、若い人は山中の別荘には寄り付かなくなり、別荘家屋はほったらかしとなった。パール白川でも、4・5年前まで、5・6軒で人が住んで庭仕事をしていたが、今では全くの廃屋高原となったという。
シルバー・タワー広場から広い別荘高原の中を南東に進み三角点宇枯(Ⅳ△907m)を目指す。別荘高原の東部に入ると倒壊廃屋が多くなった(写真④)。ただ、道路はしっかり維持されている。枯葉に覆われているところが多いが倒木や落石などの障害物はほとんどない。車の通行に支障はないと言える。管理会社が定期的に道路整備、清掃作業をしているという。誰もいない別荘地なのに道路管理はしっかりしている。地球温暖化危機の中で樹林など自然豊かな別荘地暮らしへのブーム再来を期待しているのだろうか。
別荘地の北部は標高800mを越す尾根筋にあるため、ヒノキ、スギの人工林は消えて、コナラ、ダケカンバなどの落葉樹が立ち並び、明るい日差しが気持ちよい。ただ、道路が網の目のように交差延伸していて、位置の把握が難しい。最初は2.5万図と細かく照合しながら進んだが、時間もかかるし、地図に掲載のない道がたくさんあり、つい乱雑なコース選択となる。なんとか標高点823mに達した。
丘の上に妙な形の3階建て(写真⑤)。中に入らせてもらうと、一階に大きな6角形のカウンターがあった。酒場のバーだったのだろう。ここからササ原の中の踏み跡をたどり尾根筋を東行する。途中で別荘道路に出たり入ったりし、点名宇枯のあるはずの丘に達したが、見つからない。そこでもう一つ南側に見えるピークに向かう。ヒノキ林の中の丘を探し回ったがダメだった。あきらめてもと来た方向に向かい別荘地から林道上赤河線に戻る予定だった。(後でカメラのGPS軌跡を見ると点名宇枯のすぐ東を往復していた。残念至極)
ところが予想外の谷や尾根が現れ、不審に思いながらどんどん進んだ。ふと、方位計付き腕時計(SEIKO製)を見ると指示方位が明らかに誤作動しているのを発見。それで、想定コースから相当逸脱していたのだ。すぐにメモ書きしている磁気補正手順を参照して、正しい方位をつかみ南側の沢筋を降り始めた。間もなく舗装付きの立派な林道に出た。地図を見ると大きく時計回りに進めば駐車地に戻れることを確信できた。暗闇迫るころ、駐車地に滑り込みセーフできた。
随分難儀した別荘地跡歩きだったが、頭に残るのは別荘地という休養スタイルの盛衰である。ウェブ情報によると、軽井沢、那須、伊豆と言った有名別荘地でも、廃墟同然の老朽別荘地が増えて、売ろうしても買い手がつかず、放置されたままだそうだ。パール白川も同じだと言える。ということは樹木豊かで酸素の豊富な森の中での保養、休養スタイルが日本の現代人から否定されいると見てよい。地球温暖化が進む今日、むしろ、廃別荘地を現役化して、復活させることが得策ではないか。樹木を大切に育てつつ、木造の別荘家屋を更新改築する。別荘に住みながら樹木の育成や伐採を習い勉強するといった教育的な体験を味わう。そんな自然体験を組み込んだ別荘休養の形を追求できないだろうか。そして、もちろん周辺の低山歩きも含めてみてはどうか。
パール白川も含めて50年ほど前のバブル、高度経済成長期にできた別荘地はどこも建物の寿命が尽きる時を迎えた。まもなく建物はすべて壊滅消失する。自然の肥やしになることも一理あるが、あの立派な域内道路がもったいない。新しい形の別荘地利用法に期待したい。 完
発信:12/11
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