大垣山岳協会

雨天を回避して前日登山・天狗堂&サンヤリ 2025.11.08

天狗堂

【個人山行】天狗堂(988m)&サンヤリ(958mⅡ等△) 東近江市君ヶ畑町 NT

 当山行は11月9日の日曜日に14名の参加で行われる計画であったが前日予報は100%雨、急遽8日の土曜日に前倒しで行った。計画者のYリーダー始め多くが既に他の予定が入っており参加者は5名になったが青空の下、紅葉真っ盛りの鈴鹿10座の1山を堪能した。

<ルート図>
  • 日程:2025年11月8日(土)  天候 晴れ
  • 参加者:L.NT、ST、FI、MM、RH
  • 行程:君ヶ畑登山者駐車場8:37-天狗堂10:30-展望岩10:46-サンヤリ11:37~12:10-天狗堂12:58-御池林道14:00-君ヶ畑登山者駐車場14:37
  • 地理院地図2.5万図:竜ヶ岳

 愛知川上流の御池川沿いの小椋谷は皇位継承に破れた惟喬親王が幽棲された地と伝わる。親王は巻物の軸が回転する原理から轆轤技術を発明、木工技術を開発し木地師発祥の地とした。「君ヶ畑」の地名は親王が薨去するまでこの地で暮らしたことに由来すると伝わる。

神社横の急登を高度で250mあえいで登ると多賀町との境界尾根に出て傾斜が落ちた。

君ヶ畑集落から続いた針葉樹林帯は市境界尾根へ上がると広葉樹の森となった。見上げると青空に黄色く色づきかけた葉が柔らかく映えて渡る風は暖かかった。

地形図で天狗堂へ最後の急登が200m続くことが予測されたので手前の平地で休憩を入れた。大きな赤松の木が幾本か有ってマツクイムシから逃れていることに感心して見上げた。

いよいよ急登が始まって足元には落ち葉が木の根や岩を隠していた。立ち木、岩を掴んで高度を稼ぐ、ストックが少々邪魔で有った。

高度を稼ぐ毎に岩が多く大きくなり更に傾斜が増した。随分以前の冬季にOM.Lで訪れた記憶が甦った。傾斜地の雪が深く手古摺った記憶が有るがこれほど傾斜が強かったとは、

益々傾斜が増して大きな岩場が連続するがルートは弱点を旨く選んで岩の隙間から上に導いた。それにしても流石に若いM君、11月というのにTシャツ1枚で寒くないようだ。

岩場が尽きて幾分傾斜が緩くなると固定ロープが上に導いた。もう頂上は近い予感がした。平地になった道を50m程北に進むと山頂だった。

駐車地の車の台数からすると意外や山頂には誰も居なかった。未だ10時半前であったので10分ほど休むと山頂写真撮影後に「サンヤリ」まで足を延ばすことにした。

10分ほど北に進むと展望岩であった。せっかくなので登って景色を見ることにした。花崗岩の大岩は風化されてフリクションが良く効いて登りやすかった。

展望岩からの景色である。北にデーンとテーブルマウンテンの御池岳1247mが見えてその右奥の尾根に鉄塔が2基、東の藤原岳1140mへ続く稜線で有った。

更に東から南東へ目を転じると藤原岳から続く右の大きな凹みは治田峠、徐々に高度を上げて銚子岳1019m、静ヶ岳1088m、奥は竜ヶ岳1099mであろう。

展望岩からは北西へ弧を描くように細い岩尾根となって924mPへ続いていた。時折、岩稜帯特有の急な下りが有ったりして変化を楽しんだ。

尾根には大きなブナが残されていた。両側緩斜面は落ち葉に埋め尽くされており立ち木と枯葉の絨毯のコントラストに秋山登山の魅力を堪能したのだった。

尾根脇の斜面の大きなブナの枝にスズメバチの巣を発見、小生には見えなかったが蜂が巣穴から出て来たそうだ。若い頃にスズメバチの巣採取に凝ったことが有る。冬季の伊吹や霊仙山周辺で行ったが蜂は居なかった記憶が有るのだが・・・

尾根ではハッとするような見事な紅葉に足を止めてカメラを向けることも何度か有った。

サンヤリ迄の尾根は石楠花とイワカガミの群落を行く道中であった。石楠花については来年の春は当たり年のようで大きく膨らんだ花芽を沢山見た。来春の花見山行をお勧めする。

サンヤリ到着、点名・萱原村Ⅱ等△を前にポーズを決めてもらう。三角点から西に木漏れ日を求めて移動しランチタイムとした。周囲は大イワカガミの群落が斜面を覆っていた。

 下山は一旦天狗堂迄戻り、当初リーダーのY女史が計画書に記した尾根ルートから南の御池林道へ下る予定である。天狗堂山頂から南東に既存の登山道を分岐を気にして標高840mまで下った。そこから南下する尾根上で道や目印を捜した。ヤブと言えるほどではないが足元がうるさい程度、だが踏み跡すら見つける事が出来ず結局道なりに尾根を下った。下り始めはコンパスの指針は合っていたが途中から全く外れて現在地が掴めない。道は薄くなったり目印が遠くなったりしたが尾根芯を外さぬ用心は心掛けた。南へ下っているので御池林道へ出る確信はあったが何処の辺りに出るか掴めなかった。おそらく当初の下山口よりかなり上流に出ると思われたがGPSは林道に出るまで見ないと決めていた。
 途中で作業道に出合うと直ぐに御池林道に出た。降りたところは結局、既存登山道の登山口であった。登山道は谷を下っているのだが我々は尾根を忠実に下り登山口で一緒になったのだ。当初のY女史が選定した下山口より2倍長い林道歩きとなった。

 さて気になるのはY女史が地形図ルートに記した下山口である。地形図片手に見逃すまいと注意していたが林道へ降りられる緩斜面は腰迄ありそうなシダ類の草地であった。「こんな所を?」「彼女ならやるだろう」彼女の話でもちきりで君ヶ畑の駐車地へ着いた。
 帰宅後にY女史にルートについて尋ねると「10月の会議で道は無い、最短で下ると申しました」とのことだ。会議で聞き洩らしていた小生がしゃしゃり出てリーダーを務めたことが30分も林道を余分に歩く羽目になった。大反省である。メンバーにはお詫びします。
 11月12日(水曜日)トレーニングを兼ねて、O、M、Wを誘いYルートに再挑戦し最短ルートを下りた(地形図の破線ルート)。今回はヤブ山の覚悟をして道は無いものとして挑んだ。天狗堂山頂で全員高度計の高度を合わせて出た。標高840mの支尾根分岐では読図で議論、慎重にコンパスで確認し踏み出した。尾根の曲がりでは細かくコンパスの進行方向を調整した。林道へ出るまでGPSは絶対に見ないと暗黙の了解が有った。
尾根の末端、御池林道へは腰迄のワラビのシダ類を掻き分けて出た。11月8日に此処へ降りると予測した所にドンピシャで降りた。

 せっかく君ヶ畑へ来たのだから惟嵩親王が創建し住まいとした金龍寺を見学した。村人は金龍寺を高松御所と崇めたようだ。寺横の急な石段を登ると花崗岩の囲いに掘られた菊の御紋と中央に宝篋印塔、奥に円墳暮が有り椿の木が木陰をつくっていた。

 惟嵩親王は第1皇子で有りながら第4皇子の惟仁親王(後の清和天皇)に皇位継承で破れた。奈良時代から続く平安時代初期の婚姻は男が女性宅へ通う自由恋愛の「通い婚」であった。皇家や貴族は多くの女性と交わり子宝に恵まれた。天皇も母親の違う皇子を多く儲けたが母方の官位で子の出世は違った。兄弟の出世は生まれた順ではなく母方の官位で決まったのである。惟仁親王の母方は藤原氏で有り惟嵩親王は勝負にならなかった。完

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