大垣山岳協会

大垣の山を歩く・ダイラの頭(ノボリ谷右岸尾根~五僧峠周回) 2024.06.05

ダイラの頭

【 個人山行 】 ダイラの頭( 803m △なし ) 大垣市上石津町時山 NT

 梅雨前の好天が続いている。近くに住む同期の会員MTと前夜に急遽五僧峠への計画が決定。地形図を眺めると南のダイラの頭へ向かって所々細くなった魅力的な尾根が突き上げている。ルートはこれに決定、牧田川を靴を濡らさず渡れるか心配だがなんとかなるだろう。

<ルート図>
  • 日程:2024年6月5日(水) 晴れ
  • 参加者:L.NT、OS、MT
  • 行程:駐車地8:10-ノボリ谷出合8:20-鉄塔8:44-ダイラの頭10:30-東ヨコネ12:01~31-西ヨコネ12:58-東ヨコネ13:30-五僧峠14:42
  • 地理院地図2.5万図:篠立

 牧田川の渡渉を心配したが、車道からノボリ谷出合への下降が計算外で有った。峠方向に登るほど谷底が深く険しくなっていくやっと杉の植林を見つけ40m下降して谷底へ下りた。出合には嘗て五僧峠へ続いていた旧道が一部残っており赤い車が放置されボロボロの木橋も、対岸には未だ使用可能に見える炭焼窯と此処にも一台車が放置されていた。

 向かう尾根の標高480mに鉄塔が有ると思われたので巡視路を期待した。だが中電の標識は下流とノボリ谷を指していた。下流へは踏み跡の気配が全くない。ここは経験上、出合尾根末端から最短での直登が得策と判断した。80mほど登ると鉄塔巡視路に遭遇した。

 巡視路のお陰で順調に標高480mの鉄塔に着いた周辺は新緑を纏った樹木が茂っている。これより先に道はないので踏み跡を捜すとヤブが薄く進入しやすい所があった。

 ヤブは最初はうるさく足元も枯れ木が邪魔をしたが直ぐに途切れて下草のない歩きやすい尾根となった。そして赤布の目印が残されているのを発見、やはり物好きはいるのだ。

 急傾斜地にはトラロープが設置してあった。実は地形図を眺めていて尾根の細い所が何ヶ所か有るのでザイルとシュリンゲ、カラビナは非常用にザックに忍ばせていた。だが、今日のメンバーにそれは不要だった。

 秋の紅葉した尾根もいいが新緑の尾根もすがすがしく気持ちが良い、今日の尾根歩きは楽しくて最高だ。関ケ原では連日風が強いがこの尾根も谷から吹き上げる風が実に心地いい。所々でアセビ、ユズリハが歩行の邪魔をしたがそれが途切れると両手を振って歩けた。

 標高720mで時山集落の阿蘇谷左岸から来る尾根と合流した。此処まで来ればダイラの頭は指呼の間、樹間から東の烏帽子岳が見えていた。

 俄かに傾斜が増して岩が出て来た。風化が進み小石や粗いザラ目が斜面の道を覆って足元が不安定だ。時折滑って体力を消耗させられる、急登が始まると年齢を感じる。

 ダイラの頭着、頂には沢山の山名板、案内札、目印等が樹々に括られていた。山名板が全く不要とは言わないが神社の絵馬のごとく山頂の木々に括られているのは如何なものか。いづれゴミになる、一枚あれば十分と思うが。

 ランチタイムには少し早い、県境稜線を北西へ辿り標高767mの東ヨコネをランチ場所に決めて出発した。

 北に霊仙山が広い山頂台地と石灰岩の白い肌を見せている。東の鞍部は滋賀県醒ヶ井の丹生川の源頭である。現在は漆ヶ滝の崩壊で谷山登山道が寸断され通行が止められている。右の高みは谷山で最右は「ソノド」である。

 尾根には城壁を思わせる大岩が、大阪城の巨石とまではいかないが立派で見とれる。

 東ヨコネへは1時間ほどで着くと木に括られた案内札に書かれていたが何せ高齢者集団である。山腹で山頂斜面をエスケープするトラバース道を横目に頂を目指した。1時間半も費やし最後の急登ではヘロヘロで高みに立った。三国岳を眺めてランチタイムとした。

 時間も早いので三角点の有る西ヨコネを往復することにした。足元に大葉のイワカガミが斜面一帯を覆っていた。4月の花期はピンクの絨毯となるのだろう。

 西ヨコネ山頂手前で東の眺望が開けていた。左から烏帽子岳、ダイラの頭、双耳峰は三国岳、最右は焼尾山922mと思われる。ダイラの頭から南に県境尾根が延びて来ている。

 点名・西ヨコネ(Ⅲ等△759,63m)三角点石柱傍に平たい石が置いてあった。その石には「横根」と書かれタヌキと山小屋が描かれていた。上手でほほえましく一緒に写真に収めた。先日の越前の姥ヶ岳でも同様の物を見たが作者は同じなのだろうか。だがこれも一個だけで充分である。絵馬のように沢山になれば山頂がゴミ山になる。

 私たちの若い頃は鈴鹿に熊は居ないというのが定説で有った。だがこの頃は鈴鹿で「熊注意」の立札をよく見る。10年ほど前に三国岳から烏帽子岳へ周回の折りに「糞」確認していたが今回もブナの幹にくっきりと爪痕を確認した。

 県境尾根標高700mの峰に掲げられていた山名板。東西に「ヨコネ」が有るので北にあるこの高みが「北ヨコネ」で有っても異論はないが、いずれこの名が定着すればこの札を掲げた方が山名の名付け親になる。奥美濃にもこの頃この種のものが増えて・・・

 五僧峠の直ぐ上にあった旧農商務省の「測點地理寮」と書かれた美濃、近江の境界石。五僧峠北側の斜面にも同じものを確認している。

 東ヨコネの案内札に五僧峠まで50分と書かれていたが1時間10分を費やし峠に着いた。
初めから若者のタイムと割り切っていたので到着時間は気にしていないがそれだけ老いたことなのだろう。マイペースで細く長く山を続ける極意にしたいと思う。

 今山行取付きの牧田川の支谷であるが下山後に地元時山の方に伺って「登り谷」と教えていただいた。間違いがあるかもしれず漢字表記は止めてカタカナ表記とした。その際に、「あら!○○さん」孫が同じ校区で顔見知りらしく話が弾むと山の話から話題が違う方に、私以外の二人は同じ地区なのだ。作業の手を止めて長話になりそうな気配、良い光景だ。久しく個人山行を共にしていなかった仲間と此処で別れた。いい一日であった。完

コメント