大垣山岳協会

山考雑記 コカシ洞 ソボ洞 喜びあり 憂いあり 2024.05.30

コカシ洞

【 個人山行 】 コカシ洞 ( 745m △なし )、ソボ洞 ( 739m Ⅲ△ ) SM

 奥美濃では数少なくなった未踏峰のコカシ洞(745m)とソボ洞(739m ▲Ⅲ)、ついでに奥谷(点名▲Ⅳ)に山仲間2人と登った。広葉樹の枝葉に輝く緑、ふわふわ落ち葉の尾根筋を昇り降り夢心地。一方で、人間による自然山野への過重負荷の現場を見届ける山入りでもあった。

  • 日程:2024年5月30日(木)
  • 参加者:KT、SM、FT
  • 行程:自宅発⇒尾張パークウェイ⇒東海環状道美濃加茂IC⇒関広見IC⇒国道418号⇒7:40尾並坂峠空き地で駐車(FT・KT両氏合流) 
    峠(340m)出発7:50→9:05中電奥美濃岐北線鉄塔33番→中電三岐幹線139番鉄塔→9:30コカシ洞→9:45 138鉄塔→10:10金原林道出合→10:30ソボ洞(136番鉄塔)→往路戻る→11:20 138番鉄塔11:50→北西尾根降下→12:35林道伊自良根尾線出合→1:05点名奥谷(583m)→1:25林道復帰→2:15国道418号出合→2:50尾並坂峠
  • 地理院地図 2.5万図:谷合

 登山道のない山野を歩く薮山派にとって、送電線の鉄塔は有力な目印となる。山中での人工物を嫌がるくせに、その最たる鉄塔に頼る。あるものは何でも使うのが登山者なんだと理屈をこねて、尾並坂峠から中電の鉄塔巡視路を南下し始める。尾根東側のトラバース道から尾根の背に出ると、直ぐに33番鉄塔に出る。この先もソボ洞までの尾根の大半に鉄塔巡視路が続く。巡視路だから、上り下りの斜面にはプラスチック階段が埋め込んである。だが、年月を経て堆積した腐葉土の下に隠れている所が多い。

 尾根筋の樹林はほとんど広葉樹の二次林だった。明るい日差しが落ちてきて麗しいグリーンの園の中を歩く(写真①)。東側からスギやヒノキの人工林が尾根上まで上がる時もあるが、とたんに林冠の屋根の下となり薄暗くなる。139番鉄塔に出ると、北西方向に視界が開けた。雲を被る能郷白山(1617m)、その左に若丸山(写真②の最奥)。さらに東側に船伏山(1040m)が浮かぶ(写真③の右)。

写真①
写真② 若丸山(最奥)
写真③ 船伏山(右)

 さらに緑の二次林の尾根をひと登りすると、ブナの大木の横の木枝に「コカシ洞」の山名板を見つけた。(写真④)だが、すぐ近くに「五斗蒔山」(ごとまきやま)の山名板もあった。(写真⑤)こちらには小さく「歴史と伝説の地 2023・6 地主」の説明文が付いていた。実は「五斗蒔山へ」の看板は歩いてきた尾根筋に2回見つけた。二つの名を持つ不思議な山だ。(写真⑥=五斗蒔山看板の下で)

写真④
写真⑤
写真⑥ 五斗蒔山看板の下で

 この山から平らな広い尾根を西に進むと再び鉄塔に会う。138番鉄塔だ。ここから送電線沿いに尾根を下り、金原谷林道に出てから巡視路を進むと、ソボ洞山頂。こちらは三角点のすぐそばの木に「ソボ洞739m」の山名板一枚だけ。(写真⑦)三角点の点名は「日当」。この山の西側からの登り口である集落名である。などと考えたのは下山後だが、ソボ洞から往路を戻り、138番鉄塔で昼休み。

写真⑦ ソボ洞の山名板の下で

 まだ時間的余裕はある。尾並坂峠に直接戻らずに、ここから尾根筋に北側に進んだ先にある点名奥谷に向かうことに衆議一決。進む尾根筋が見えないのは不安だ。鉄塔によじ登ってみるが、樹林が厚く高く見通せなかった。困った樹林の過剰繁茂だが、進んでみると、広葉樹二次林、つまり雑木林の天国。(写真⑧)テントを張って半日過ごしたいなあー。やがて、尾根筋は細くなり、細いヒノキ人工林に変わる。途中で左側の枝尾根に入りかけ、すぐに気付き修正。尾根は次第に細くなり、やがて左手に延びている林道に降りた。林道は伊自良根尾線。尾並坂峠の西で国道418号に接合している。道脇の表示によると、20余年前から少しずつ、岐阜県岐阜農林事務所が伸ばしているようだ。砂利道林道が鋭角に曲がる突端から枝尾根をよじ登る。アセビなどの喬木薮を潜り抜け、点名奥谷に達した。(写真⑨)訪れる人は少ないようで、字の読めない古い看板が小木にぶら下がっていた。

写真⑧
写真⑨ 点名奥谷

 林道に戻り、本谷沿いに歩く。沿道には春夏の野草が花を咲かせてお出まし。エゴノキ(エゴノキ科)の白い小花(写真⑩)や赤いタニウツギの花、白い小花の房を上に立てるヤマゴボウ(ヤマゴボウ科 写真⑪)。ホオノキの黄色の大きな花からは甘い香りが落ちていた。多彩な花が咲く草や木を見ながら、本谷沿いの林道を歩き、国道418号に出た。車一台も来ない国道の屈曲部を上がり、峠のお地蔵様に無事帰還を報告、拝礼して駐車地に着いた。

写真⑩ エゴノキ
写真⑪ ヤマゴボウ

 私が所属する大垣山岳協会の月報「わっぱ」にコカシ洞ソボ洞の山行記録が最初に出たのは1988年2月が初めて。私たちが登った尾並坂峠とは反対側の日当方面から金原谷筋を経て登っている。コカシ洞の山名はこの時、会の主導役のTY氏が現地の人から聞き取ったとあった。「ソボ洞」の由来は不明だが、金原谷の支流、素振(ソブリ)谷から登るコースがあるため、その音がなまって付いたと私は推測。コカシ洞も同じように古い時代に土地の山地主や村人が付けた名に違いない。だけど、コカシ洞山頂にあった「五斗蒔山」の山名板は不可解至極である。「わっぱ」の山行記に数回出ているが、山名は「こかし洞」だけであり、「五斗蒔山」の山名板は出ていない。「2023・6 地主」の添え書きにあるように、昨年6月にこの山林の地主さんが掲げたと思われる。

 この山名が地主だけの判断で付けたのか、山に出入りする地元の人々が古くから呼んだものかはわからない。「五斗蒔」は焼畑農業で一反に五斗の米した取れないほどの地味の薄い土地のことをいう古語。福島県郡山市にも同名の山があり、近くでは土岐市の東海環状道に「五斗蒔スマートIC」がある。地名や人名の姓名にも使われている。収穫が少ない地として地元の人々が呼んでいたかもしれない。であれば、「コカシ洞」はどんな意味があるのだろう。ただ、山主がこの時点で五斗蒔山の山名板を掲げたのはどんな意味を伝えたいのか。持山が地味の薄いことを言いふらすことはまずいことではないのか。可能ならばお聞きしたいと思う。「歴史と伝説の地」は何を示すのかも興味が湧く。

 尾根筋をたっぷり歩いたが、人工林は総じて少なかった。もっと谷筋に近い山域なら立派な樹林に会えたかもしれない。人里のある主要路に挟まれた山域だから、昔から林業が盛んな地だっただろう。かつての林業繁栄の時にできただろう林道網が地形図にうねうねと延びている。さらに点名奥谷に向かう際の尾根筋の西側に前述した林道伊自良根尾線が延びつつある。調べると、20数年前から、毎年100~200mずつ伸びているようだ。看板には「山林強靭化林道」とあった。その砂利林道を下ったのだが、路側の谷筋には大量のプラスチックや紙などのゴミが投棄されていた。山中で最近よく見る光景だ。車の入れる立派な林道が出来ると山が汚れる心配が出てくる。最近の山歩きでは、山野自然を踏み荒らす人間の乱行が目に付くことが多い。これが「山林強靭化」なのかな。さらに、この林道を使って今後、人工林の間伐、伐採、再植林を進めるのだろうが、山野自然の愛護保護を忘れないことを望むばかりだ。 完

<ルート図>

発信:6/5

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