大垣山岳協会

下呂御前山 森の安穏を願う 2023.12.17

下呂御前山(空谷山)

【 一般山行 】 下呂御前山( 112M Ⅱ△ 点名 空谷 ) SM

 岐阜県下呂市の中心部から北東部にそびえる下呂御前山(△Ⅲ 点名 空谷)に登った。粉雪が舞う暗い空の下、杉・ヒノキの人工林の下を歩き続けた。薄暗い杉の小木が密集する林分、大木が並ぶ明るい区域、間伐残材が放置のままの区域。標高650から1400mまでの多様な人工林。さらに、木曽御嶽の遥拝所としての山岳信仰の場。山に登るたびに、様々な大切なことを教えらた。残念ながら、御嶽の姿は全く拝めなかったが、満足感は充分だった。

  • 日程:2023年12月17日(土)
  • 参加者:L.SM、ST、MY、YC
  • 行程:自宅5:45⇒国道41号⇒6:50道の駅ロックガーデン七宗(大垣組と合流)7:10⇒下呂市大洞集落最奥地で駐車
    駐車地(標高670m)8:30→8:40登山口→9:00広域基幹林道下呂萩原線→作業道カゲキ3号線→9:35五合目→上部林道横断→10:25七合目→10:55八合目→11:20高岩権現→11:30下呂御前山山頂11:40→11:50直下で昼休み→12:10八合目→12:50お助け水→1:10五合目→1:30舗装林道出合→1:45登山口→2:00駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:宮地・湯屋

 所属する大垣山岳協会のリーダー山行だった。当初は16日に総勢9人で登る予定だったが、天候不順の予報のため急遽翌日に変更。ために4人の少数パーティーとなった。

 下呂の温泉街から北東に3㎞進んだ大洞集落の最北に駐車。集落には20戸ほどの民家が立つが、廃屋らしい家が目立った。林道を進むと、すぐ先に古い東屋風建物が薄汚れて倒れそうな姿を見せていた。私が96年3月に登った時、ここに駐車した休憩所だった。当時真新しかったのに。時間は万物を老朽化する。さらに数分進むと登山口。立派な「下呂御前山歩き案内」の木製看板が立っていた(写真①)。空には黒雲が広がっていたが、なんとか持ちそうだ。ここから素掘りの作業道。岩や水たまりの間を進みすぐに作業道を離れて斜面を登り近道。トラバースする作業道を南下する。一帯すべて杉の人工林。だが、大木が並び、きれいに間伐され明るい区域、小木がぎっしり並び、陽光入らぬ暗闇林区域。間伐はしてあるが、残材を放置して見苦しい区域。(写真②)同一の作業道の沿線なのに、こうも林相が違うのは何故なのか。作業性を考えると無駄損失が発生しているのではないか。などと、山歩き中にいつも浮かぶ疑問をいだきつつ、今度は舗装完備の道に出た。「広域林道下呂萩原線」。この道ははるか南側の大林地区から延びる舗装路で、車でこれを通って、路側に駐車して大洞からの登山道に取り付く登山者もいる。

写真① 「下呂御前山歩き案内」
写真② 残材が放置された杉の人工林

 この一帯の山野には多くの林道が通じている。私たちは広域林道を少し北に進み、登山道の矢印がある作業道(カゲキ3号線)に進む。出発してここまですべて林道(作業道を含め)歩きばかり。作業道は鋭く折り返して五合目(写真③)まで続く。ここでやっと林道から解放される。北東に延びる尾根上にあがったのだ。空は薄い雪雲に覆われ、時折細かい雪が落ちてくる。登山道上の枯葉の帯に白い雪片が薄く覆うが、やがて枯葉の茶色はふんわりとした雪の下に隠れる。でも積雪量はゼロと言って良い。

写真③ 作業道(5合目)

 尾根の背の東側に延びる登山道を皆、快調に進む。杉、ヒノキの人工林の中だが、時折アセビやシロモジの小木が変化を付けてくれる。標高1030mで南側から上がる林道を跨ぎ七合目。ここから岩混じりの激斜面が始まる。しばらくで「どんびき岩」の標識があった。(写真④)どんびきとは飛騨弁でカエルのことらしい。近くで見るとカエルというよりトカゲのように見えた。標高で120mほどのジグザグ路を登りきると主尾根上の平原に出た。八合目だった。

写真④ どんびき岩

 100mほどもある広さ。ダケカンバやミズナラなどの落葉樹が冬枯れ木枝をツンツン曇り空に伸ばしていた。(写真⑤)「遥拝所跡」の標識と小さな祠があった。下呂御前山の「御前」は神仏の前との意。つまり、御岳の神の前の山という意味で、萩原御前山も同じ意味である。ただ、遥拝所がここにあったという点は不思議なことだ。八合目では東側にはヒノキの大木が密生していて御岳は全く見えない。しかし、これらは人工林なので、100年前には低層の雑木林であり、遥拝できたのかもしれない。

写真⑤ ダケカンバやミズナラ

 八合目からは緩やかな尾根沿いに幅15mほどの切り開き道が頂上に向かって伸びていた。(写真⑥=帰路での一枚)道両側には大きな木はない。八合目から山頂までの約1㎞の道整備にはかなりの労力を要したのだろう。御岳信仰のため、地元の信者団体が奉仕活動したのか、下呂市が観光整備のため整備したのだろうか。なだらかな行程で危ない所はない。山頂のすぐ手前の西側下にある高岩権現社に寄った。(写真⑦)小さな祠が岩の上に鎮座。祠の前から下を覗くとストーンと30m余垂直に切れ落ちていた。なるほど、高岩であった。祠から参道(登山道)に出てすぐに岩塊の上にある山頂に達した。

写真⑥ 頂上に向かう切り開き道
写真⑦ 高岩権現社

 四方すべて雲の空。願望の御嶽の姿はどこにも見えない。雪の粉が舞うが、気温は零下1°Cほど。写真を撮ってすぐに山頂から少し下りた登山道で短い昼食休み。

下呂御前山山頂 = 中央の山名石柱の奥に御岳が隠れている
この初秋、同位置からの御嶽

 不可解なのは、下呂御前山山頂が御岳の遥拝位置であるはずだ。なのに遥拝所が約1㎞南の八合目にあるのは何故なのか。この点について、地元の森区長のFTさんにお尋ねした。遥拝所の経緯については知らないが、今でも毎年8月15日に地元区民らが山頂直下の高岩権現社に「御前参り」をしている。今年は天気のせいで少しずらして「御祭り」して来たそうだ。

 一方、8合目からの広い道については「森区から毎年7月の頭に10人程度を出して登山道の整備をしている。区単独の奉仕で公費は受けていないという。下呂御前山を尊崇する人々が今なお健在であることを知り、わが心の休まり、平安を覚えた。一方で御前参りは雨ごいのためだった、という説もある。これについてFTさんは50年ほど前から登っているが、雨乞い説については知らないそうだ。氏は今は水が出ない方がよいのだから、と笑っていた。大洞など阿多野谷流域での農業の縮小や河川工事の普及により水害への心配が減じたのかと推測する。森区の尽力には頭が下がるが、かつて多かった御岳信仰の信者の遥拝登山者は今では少なくなったようだ。

 小雪が舞う中、下山開始。地表を覆う雪片は滑ることもない。七合目の先に「お助け水」の看板。(写真⑧)小道を40mほど下ると沢筋に出た。96年山行の時の写真を見るとここに「烏帽子沢には甘露の恵み ともにくもうよ神の水」の歌が書かれた看板があったが、どこにも見当たらない。広い河原に石積みの小さな平地が2つあった。茶店か休憩所があったようだ。今は足を運ぶ人もいないのだろう。

写真⑧ 「お助け水」

 五合目をすぎて、一部で往路をショートカットして、登山口に着いた。八十路を越えた私以外は60歳前後の精鋭だった。私は終始、トップを歩いた。得意と自負する下りでは結構飛ばしたつもりだが、後ろからピタリと付かれてしまう。これでいいのか。それでいいよと下呂御前。完

<ルート図>

発信:12/22


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