大垣山岳協会

砕石地帯を高巻き高社山登拝 2023.06.23

高社山

【 個人山行 】 高社山 ( 416m Ⅲ△ ) SM

 多治見市大沢町の砕石地帯から念願の高社山(Ⅲ△416m)に登ることができた。昔は遠く名古屋の市街地までみえたという眺望は森林の過剰繁茂により消えた。一方で砕石地帯の最上部で見た赤茶色の小石の山のキラキラ輝く光景が今も目に浮かぶ。低山ながら色んな場面に出合い新しい認識や課題を得ることが出来た。

  • 日程:2023年6月23日(土)
  • 参加者:SM(単独)
  • 行程:23日自宅⇒内津神社駐車場(愛知県春日井市)9:30→10:10 V字道路屈曲点→10:25岐阜県道16号・林道へ→10:40砕石地内作業道→11:30歩道出合→11:40歩道分岐→11:45高社(たかやしろ)山12:20→12:35愛宕神社→1:05高社神社→1:30高社神社鳥居(登山口)→1:40市道→2:50林道滝ケ洞線→国道19号側道→県道508号→4:10内津神社
  • 地理院地図 2.5万図:小泉

 霧雨の降る中、内津神社から北上する舗装市道を歩き出す。県境を越えて、多治見市の大沢町の山域に入るのは5回目である。広大な砕石鉱業地帯の北側に鎮座する高社山に登るのが主目的である。国道19号と中央高速のガード下を潜り、間もなく砕石地帯に入る。砕石や建設廃材を満載したダンプがひっきりなしに行き交う。道路資材会社(写真①)の脇を通り多治見市街地から延びる県道16号に出た。

写真① 道路資材会社

 十字路脇には土木建築廃材の処理工場があり、ダンプの出入りが賑やか。ここで県道を突っ切り、北に延びる幅の広い作業道に入る。草が生えた無舗装だが、順調に進めた。やがて道は廃道となり、樹木や草藪に包まれ視界ゼロ。だが、すぐ右下に舗装路が見えたのでそこに降りる。ぱっと視界全開。下の方に広大な砕石現場が丸見えとなる。道は舗装してあるが、車通行の形跡はない。この最上部域での土石採掘は終わったようだ。舗装はすぐに終わり採掘跡らしい赤茶けた小石の堆積が広がる(写真②)。典型的なチャート石(石英の微粒から成る堆積岩)。色は多彩だが、黄色や赤茶色のものは庭砂利や建築に多用されている。特にこの地の石の赤茶色は鮮やか。おとぎ話のような山肌を慎重に登り小さな尾根上に出る。(写真③=直下の平坦部が庇となり砕石斜面は見えない。下部の建物は県道わきの砕石工場)。下の方には数台のダンプが見えたが上部には一台も見えなかった。マツの幼樹の間を抜けて尾根を東に進む。枝葉の雨水でズボンがぐしょぬれ。雨は止んだが、雨具のズボンをはく。道なきやぶ尾根を進むと南から北に上る歩道に出た(写真④)。地図に破線のある高社山に延びる道らしい。

写真② 採掘跡らしい赤茶けた小石の堆積
写真③ 小さな尾根上に出る。
写真④ 南から北に上る歩道に出た。

 樹高10m以下の厚い常緑広葉樹林内で見通しは全く効かない。ひとしきりで登山口への分岐を分けて西に向かうと、高社山の山名標柱が立つ山頂に達した。(写真⑤/⑥=点石の横で)山頂と言っても、平坦地で三角点があるだけの小さな切り開き。

写真⑤ 高社山の山名標柱が立つ山頂
写真⑥ 高社山山頂 点石の横で

 山頂らしくないただの暗い雑木林の中。周辺に昔の祠や碑石などがあろうかと、探したが何もなし。早々に腰を上げて登山口に向けて出発。登山道なので間違う心配はなし。途中で枝分かれ道を進むと長い石段の奥に高社神社があった。脇に立つ「神社改築記念の碑」によると同社は嘉禎2年(1236)に根本村、大原村、小木村の産土神として創設された。長年の風雪より老朽化、昭和62年(1987年)に石造りの社殿に改築した、とあった。広い神社境内、大きな参拝者用の休憩舎もあった。(写真⑦=石造りの社殿)ただ、碑の記述に「高社山は雄大な尾張平野と木曽川の雄姿を眺望できる景勝の地である」とある点は現状とは全く合わない。山頂からも神社からも、分厚い樹林のせいで尾張平野もすぐ南下の砕石地帯も全く見えない。地球温暖化に伴う樹木量の増大と山林資源を不要とする人々の暮らし。当然の帰結だろうが、我らヤブ派登山者にとってつらくも悲しい山情となった。登山口から市道を南下、大原町の集落地を通り愛知県境の山地を通る林道に入る。林道が幾筋も分かれていて幾分大回りして、中央高速の下をくぐり国道19号の側道から内津に戻った。

写真⑦ 石造りの社殿

 今月9日に道を間違えて届かなかった高社山登頂を果たし、うれしいの一語。だが、われら現代人の勝手や都合を愁える場面にも遭遇した。その一つは広大な砕石地帯の情景だ。高社山南麓に広がる大沢町と北小木町の一部は全国でも有数の砕石地帯だろう。年を通じて砕石業者数社が採掘や砕石生産を続けている。砕石地帯となったのはいつ頃だったのか。ある大手会社のS常務に伺った。ここで営業が始まったのは1962年ころ。かつて、一帯は民家も農地もないマツなどの樹林が広がっていたそうだ。人も歩かぬ山林地帯が今や現代生活になくてはならない道路用材や建築や土木用材の良質な生産地となったのだ。

 登山者にとっては、森が広がる昔の高原のほうが嬉しいが、一方で山行に伴う道路交通の便利さを支える砕石採掘事業の大切さも知るべきだろう。

 私が砕石地の最上部の境界域を歩いたことを伝えると、S常務は採掘地内には危険だから入らないでくれ、ときつく叱られた。もし人身事故が起きたら、会社が厳しい責任を求められることになる、という。私は以後、砕石帯の境界内には入らないようにすることをお伝えした。完

<ルート図>

 発信:6/27

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