【 個人山行 】 祖母山 ( 1756.39m Ⅰ等△ ) 丹生 統司
青空が覗き明るくなった山頂の山名柱や石造りの祠は既に氷が解けていた。冬のウィークデーであったが5~6人の登山者がいた。コロナ化の世相を反映してか異なるパーティーが会話を交わしている風景は見なかった。
点名・祖母山(Ⅰ等△ 1756.39m)標石柱は欠かされた角のセメント補修が痛々しかった。石柱下部も欠かされ細くなっており地面の表土も流されて歯槽膿漏状態であった。点の記住所は大分県竹田市神原字祖母山となっており大分県を代表するⅠ等三角点の山である。
山頂は360度遮るものが無いが遠くの山々は未だ雲海が覆っており九重山や阿蘇山などは見えなかった。しかし、天気の回復は早く雲が流れて消えていく、近くの山から徐々にベールを脱いでいった。
古祖母山から障子岳の県境稜線が姿を現し、天狗岩から辿って来た稜線の樹氷が雪を抱いた尾根のように見える。九州の冬山は初めてで絶景にシャッターを押しまくった。
彼方に傾山が荒々しく起伏の激しい山稜を見せていた。当初は傾山を坊主尾根から登り九折越へ周回する計画をしていたが登山時間が11時間以上かかると知って断念した。高齢者が日照時間の短い時期に不慣れな土地で迷惑をかけることになってはと自重した。
山頂で食事の予定をしていたが敷物を出してくつろぐ人が誰もいない。何となく食事をし辛く撮影を済ますと山頂を後にして9合目小屋を目指した。だが、ここは陽当たりが良くなくもっと暖かい所で食事をしたくて通り過ぎた。
山頂でダウンジャケットを着こんでいたので樹氷のトンネル潜りは全く問題なかった。ただ足元の雪が溶けて少しずつ土が靴に付着して汚れ出した。
下山方向稜線に素晴らしい山容の岩山が2山、大障子岩(1451m)と障子岩(1409m)と思われる。満開の樹氷の白花と岩山の黒さが対照的であった。
山頂から宮原へのコースに入ると人の気配が消えてまた一人になった。日当たりの良いランチ場所を求め足早に先ず宮原分岐を目指した。標高を下げるごとに樹氷の花が小さくなって淋しい気分になる。振り返ると樹間から山頂が見えていた。
豊後大野市尾平側に張り出した祖母山頂直下支稜の岩壁が圧巻の迫力だ。その向こうに古祖母山の美しい屋根のような山頂がシルエットで浮かんでいた。
馬の背を越えて岩の上から振り返ると祖母山へ続く尾根が満開の樹氷で覆われ素晴らしい花盛りの景色だ。宮原分岐迄行けばこの景色ともおさらばだ、未練たらしく何度も振り返りシャッターを押した。
途中で大きなブナが目に留まり駆け寄って撮影した。ブナは雪深い山のイメージが有るが以前大崩山でも見た、雪の少ない温暖な地域でも育つのだと知った。
「宮原分岐」まで来ると樹氷は消えて落葉で埋まった林床は乾いていた。分岐から少し下った日当たりの良い斜面でダウンジャケットを脱ぎすて昼食休憩をとった。
実は標高950m辺りでルートを間違えた。宮原ルートは下部で「さまん谷」の渡渉が避けられないが大雨だと渡れないそうだ。その迂回ルートに誘引された。10~15mほどの近距離間隔の赤目印に誘われ高度で約50m下降、落葉で埋まった道が明らかに今までと違うのに気付いた。慌てて地形図とコンパスで確認するとアカン!間違っとる。このまま下りようとも思ったが初志貫徹、50m登り返して正規ルートへ復帰した。
美しいヒメシャラ、本州の山で見るシャラ(ナツツバキ)とは幹肌が赤く色が異なる。
ドジを踏んで少しロス時間は有ったが日暮れ前に帰って来た、奥岳川に架かるこの第1吊り橋を渡ればほぼ登山も終わりだ。思っていたより手応えのある山であった。
この美しい流れとまぶしいほど白く光る河床の渓谷美を忘れまいとカメラに収めた。在住する岐阜とは違った故郷の山が紹介できて良かった。
振り返れば祖母山頂へ続く鋸の刃のような県境稜線、いい山、いい時期に登らせていただいた。駐車場にはポツンと私の車が1台、今日の駐車場売り上げは500円だったようだ。
実は20代の頃の夏に祖母山は一度登っているがコースが思い出せない。おそらく竹田市の登山口からと思われるが祖母山を登ったという記憶しかない。若い時の山登りはその程度のもので「ぶっ飛ばし」で景色や植物など目もくれていなかった。恥ずかしい次第だ。
来夏は傾山を紹介できたらと思っている。この山も若い時に登っているが傾山に登ったという記憶しかない。反省を込めて今度は記憶に留める登山をしたいと思っている。完
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