大垣山岳協会

千本立に立てて嬉しや、激やぶなんの 2022.06.13

千本木

 ひと月前に地理意識の混乱の末に直前まで迫りながら、引き返した信州平谷の千本立(1466m点名同Ⅲ△)への登頂を果たすことができた。山頂からの眺望は最高。近隣の山、遠く南アの主峰群の姿を拝し頭を下げた。悦楽の後には苦行が伴う。南尾根を下りだすと、密なクマザサの背高いやぶの波にしばし無我夢中の遊泳。間もなく無ザサの谷筋にでた。千本立登頂は実現したが、もう一つこの山域の原生林時代の様子を知りたいという願いは実現できないまま。ブナやミズナラの巨木の切株は見当たらなかった。

【 個人山行 】 千本立せんぼんだち(1466m 点名同Ⅲ△ ) 鈴木 正昭

  • 日程:2022年6月12日(日)、13日(月)
  • 参加者:鈴木正(単独)
  • 行程:
    • 6月12日(日) 午後自宅発⇒国道155号⇒追分⇒八草IC⇒猿投グリーンード⇒力石東IC⇒国道153号⇒足助トンネル⇒平谷交差点右折⇒国道418号⇒5:30白沢林道入口近くの路側(長野県平谷村・標高約960m)で前夜泊
    • 6月13日(月) 5:20→白沢林道→5:30キャンプ場→6:40桐山分岐→7:35五座小屋峠道分岐→7:55千本立8:30→南尾根→激やぶ南下→9:50やぶ離脱沢筋に出る→10:30小尾根から沢筋→11:50国道418号出合→12:10別荘地裏登り口→1:15十六方(点名十六本の根1194mⅢ△)→2:00登り口→国道418号→2:45駐車地
  • 地理院地図 2.5万図:平谷

 林道空き地での車内泊から薄曇りの空を仰ぎながら白沢林道を歩き出す。この林道は10年前まで、これから目指す千本立直下まで車で入れた。その後の出水による山崩れで今はブツ切れ状態だ。よく整備された広い無人のキャンプ場の中を通る。間もなく、林道右わきに背高い石碑が立つ(写真①)。平谷村の山中には数多くの木地師が居住し木工製品作りで生活していた。白谷沿いにも4戸あったようで、この碑はその名残らしいが、碑文は摩滅し読み取れない。

写真① 背高い石碑

 林道(跡)は所々で低いササ原の中の踏み跡となる。標高約1050mで白沢は幅が狭まり、道が通る右側(左岸側)は相当な急斜面となる。しかも、崩れやすい砂質の斜面。崩壊して路盤が30mほど下の沢にずり落ちている(写真②)。そんな崩壊地点が6か所ほど。丁寧に歩けばなんとか通れる。主稜線に出ると崩壊は消えた。廃林道をショートカットする作業道を上り、再び廃林道に出る。記憶のある林道跡を南下し、前回千本立と勘違いしたピークの脇を100mほど進むと南前方に三角形の小高い山が見えた(写真③)。あれだ、その右奥に奥三河の茶臼山が控えていた。なんで、前回ここまで来なかったのか。正常な判断力の喪失は現実に起こり得る。その自覚こそミスを防ぐ。

写真② 崩壊した林道(跡)
写真③ 三角形の小高い山

 林道からの取り付き点から10分。狭い千本立の頂上に立つ三角点に着いた。カラマツの若木数本がうるさいが、眺望は満点。北側に大川入山、恩田大川入山(写真④=右側が大川入山)、北東遠方に南アルプスの赤石岳、荒川岳(写真⑤=中央が荒川岳)。山岳眺望に時を忘れる。

写真④ 千本立の頂上から 右側が大川入山
写真⑤ 千本立の頂上から 中央が荒川岳

 山頂からは町村境の尾根筋を南下して国道418号の平谷峠に出る予定だった。だが、下り初めてびっくり。ササの海。細いクマザサだが、高密度かつ背丈ほどの高さ。峠への尾根の始まりがつかめない。ササで見通しが効かない。木に登ろうとするがうまくゆかない。途中で赤テープ2つを見つけたのでつられて降りる。これが間違いだったようだ。激やぶ遊泳1.5時間。やぶから沢状の林内草原に出た。

 地図を調べると、村界尾根のすぐの西の沢筋らしい。カラマツやダケカンバ、コメツガなどの二次林。ブナの幼木も混じる。緑の林冠から陽光が落ち、見上げると元気をもらえる。ササはほとんどない。やがて沢の水量が増し深くなり、ヒノキ林となる。左岸斜面に延びる作業道を下り、国道418号に出た。平谷峠から約1㎞西。若干の近道となった。

 時折、爆音を上げてすっ飛ばす大型バイクに注意しながら国道を西行。もう一山、十六方(1194m)を目指す。梨ノ木川分岐にある別荘裏から急なヒノキ人工林の斜面を登る。道はない。やぶは薄く尾根の背にでた。青テープでぐるぐる巻きのヒノキの間を進む。カラマツやコメツガの大木も混じる。青テープは獣害防止のためだろうが、本当に効果があるのだろうか。予想以上に時間がかかり、標識も何にもないむき出しの三角点標石の横でしばし休んだ(写真⑥)。

写真⑥ 十六方(1194m)三角点

 念願の山頂到達は果たしたのだが、この山行ではもう一つの目標があった。千本立の山名の由来に興味を持った。千本もの巨大な樹木が立つ山と想像した。昔、地元の山林関係者たちが付けたものだろうが、命名由来や巨樹の歴史についての確実な情報は得られていない。そこでかつての古木、大木の存在を示す痕跡を探そうという考えた。先月の東方子→桐山の山行で尾根筋にわずかに残るブナやミズナラの美林を見届けたので、きっと千本立一帯にも美樹があるかもしれないし、ないなら過去での存在を示す巨大な切株を探してみよう。

 千本立一帯を含む平谷の山林は古くから全山、村民だれでも届けさえ出せば、自由に林産物を利用できる共有入り会い山だった。1874年に村南部のムク山山域3300町歩には目通り3mの大木が84000本あったと平谷村誌に報告されている。千本立ち一帯の状況には触れていないが、私はそれ以上の巨樹地帯を空想した。

 しかし、人々の生活水準や国土の基盤整備の急進に伴い、薪炭材として建築材や土木資材、として平谷の豊富な樹林資源は急激に消失して行く。そこで、村は1895年に村民全戸にカラマツの苗100本を配布して植林を奨励した。これが平谷の植林の始まりだと村誌にある。その後何度もカラマツ植樹が続いた。朝歩き出した白沢林道沿いにはカラマツの壮齢木が優先した。カラマツ林は標高1300m辺りまで目についた。ただ、目通り3,40㎝ほどが大半。千本立一帯ではシラカバやダケカンバ、ミズナラが主体となるが、巨木は目に入らなかった。もちろんブナの木もなかった。さらに、道脇のササ原内を探ったが、大木の切り株の跡も見当たらなかった。

 明治末期にはすでに林木の過剰利用の記録がある。つい10年前まで車が通れた林道が通じる千本立一帯の林野。大木が残るわけはないともいえる。ただ、林道崩壊のまま年月が経てば再び巨樹の森は復活するだろう。近年、山林資源を糧に山地で生活する山暮らし集落は絶無となった。駐車地に戻る国道脇の民家の数人に山林の情報を聞いてみた。みな、豊田市など外部からの移住者人で、山内に入ったことはない、そうだ。往古の山林を知る地元の古老に聞きたいのだが、果たせていない。

<ルート図>

発信:6/17

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